第47話 修了試験
早朝。現在の時刻はちょうど五時。何時もならばアメリアと訓練をしているが、今日はこの時間ではなかった。指定した時刻は五時四十五分。そこでアメリアといつもの場所で会うことになっている。
俺は普段通りにスッと目を覚ますと、少しだけストレッチをして体をほぐす。そして軽くシャワーを浴びて、覚醒を促すといつものように訓練着に着替える。
そのまま洗面所に行ってから歯磨きをして、寝癖を適当に整えて完成。
「よし……後は……」
俺は二人分のウエストポーチを用意する。いつもならこんなことはしない。しかし今日やる訓練は、レンジャー訓練の修了がかかっているのだ。正式なものでは無いとはいえ、アメリアはエインズワース式ブートキャンプを短期間でかなり仕上げてきた。
脱走したり、サボろうと試みたり、嫌がったりなどなど……色々あったが、彼女はここまでついてきたのだ。
正直言って、途中で彼女が挫折してしまうことも視野に入れていた。その時は訓練メニューを軽くして、魔術剣技競技大会へ臨むつもりであった。
でもアメリアは俺の訓練を完全にやりきったと言っても良いだろう。肉体強化の訓練も無事に修了した上に、魔術強化の訓練もほぼ終えた。
残りは俺が最後に課す修了試験だけだ。すでに魔術剣技競技大会も一週間後に迫っている。それぞれの出場者はきっと、今は調整の期間に入っていることだろう。
だがもちろん、ここで手を抜くことなどはしない。アメリアには本気でやってもらうし、俺もまた本気で臨む。
俺は知っていた。アメリアは悩んでいると。そして、師匠の家から帰るときに去り際に師匠にこう言われた。
「レイ。アメリア=ローズに対してどうするべきか……と、手紙で書いていたな」
「はい」
「それはお前にしか決めることのできないものだ」
「……」
淡々と告げる事実。
俺は今まで、師匠に沢山のことを教えてもらった。だから今回も何か助言を貰おうとそう思っていたが、師匠が告げるのは今までとは違う言葉だった。
「もう私がとやかく言うべきではないだろう……お前は、自分の考えで全てを決めていいんだ」
「師匠……」
「レイ。私はお前が学院に入学することで、純粋に楽しんで欲しかった。この世界はあの戦場だけでは無い。醜くく、残酷で、凄惨な争いだけが世界では無い。この世界には、美しく思えることもあるのだと知って欲しかった」
「……」
「そして、お前は掛け替えのない友人を得た。私も今日、全員と話してみて思ったよ。あぁ、レイは学院での生活を楽しんでいると。確りと学生生活を送れていると。嬉しかったさ。お前は私の子のようなものだからな。その成長を喜ばずにはいられない。でもな、もう……自分で考えていいんだ。今までのように、命令をされたことをただ淡々とこなすだけではない。自分の意志で、生きていいんだ」
「……はい」
「だからお前が思うことを成せ。アメリア=ローズは過去のお前だ。境遇は違うが、それでも根幹はおそらく同じだろう。だから、私がしてきたように、お前も、彼女にできることをやってやれ。自分の意志で、そうしたいと望むのなら」
「……分かりました」
その場で礼をする。
これは今までのように上官にするようなものではない。
ただ純粋に人間として、尊敬している師匠へ、敬意を示しているのだ。
俺は、彼女に何をしてあげることができるのだろうか。
この短期間でアメリアは確実に強くなった。肉体的な意味でも、魔術的な意味でも。
しかしこの期間で彼女が別人のように成長したと言うことはあり得ない。アメリアは依然としてアメリアのままだ。その心の内に宿る、彼女の葛藤までは変えることはできていない。
俺は迷っていた。彼女のその心に触れていいのか、と。
それは繊細で、まるで零れ落ちるガラスのように、触れるだけで粉々に砕け散ってしまうかもしれない。
アメリアが過去の俺と言うのならば、当時の俺はきっと……この心に無理矢理踏み込んでくるようなことは拒絶するだろう。
そして、きっとまた自分の殻に閉じこもってしまう。
他人は誰も信じられない。この世界は醜さで満ちている。美しい場所などありはしない。信じられるのは、自分だけ。でもその自分でさえも、理解できない。だから、人と触れ合うことなど、必要ないと……そう思っていた。
そんな俺が師匠達に心を開いたのも、結局は自分からだった。そして、みんなはそんな俺のことを待ってくれていた。
ならば……俺も待とう。彼女がその手を伸ばしてくるまで。
結局のところ、アメリアもまた誰かの意志ではなく、自身の意志で、その足で進む必要があるのだから。
そして仮に、アメリアが助けを求めてくるのならば、全身全霊を持って力になろう。それが友人としての、俺の答えなのだから──。
「点呼──!」
「い────ちっ!」
「うむ。今日も全員揃ったな。さて、今日の訓練だが……今日でこのレンジャー訓練は終わりだ。エインズワース式ブートキャンプの行程を、俺が計画した通りに全て熟した。アメリア訓練兵、君には最大の賛辞を送ろう」
「レンジャー! ありがとうございます!」
「しかしッ! 訓練はまだ続く。これをクリアすれば、君には私特製のレンジャー記章を送ろう」
「レンジャー!」
「うむ。さて、最後の訓練だ。今後は修了試験と呼称するが、まずはこれを受け取れ」
そう言うと俺は、彼女の分のウエストポーチを渡す。アメリアはそれを受け取ると、じっと見つめながら中に入っているものを確認する。
「これは……?」
「修了試験は、カフカの森で俺と戦ってもらう」
「え?」
「返事はレンジャーだッ!」
「れ、レンジャー!」
完全に戸惑っている表情だった。そしてアメリアはそのウエストポーチを腰に巻きつけると、再び俺の目をじっと見つめてくる。
「アメリア訓練兵には上半身に大会で使用されるものとほぼ同じ造花である、この薔薇をつけてもらう」
「……」
「その数は10だ。制限時間は、ちょうど朝の六時から夕方の十八時の十二時間。薔薇を一輪でも守りきったら、アメリア訓練兵の勝利。全て散らせば、俺の勝利だ。魔術剣技競技大会では、場外に相手を落とす、戦闘不能にすると言った方法での勝ちもあるが、最も効率がいいのは、胸にある薔薇を散らすことだ。相手もそれを狙ってくるだろう。つまりは、その薔薇は自分の命と同じ。実際の試合でも、それをどう守り抜き、どう相手の薔薇を散らすのかが鍵になる」
「レンジャー!」
「安心しろ、今回は能力を解放しない。全て俺は内部コードだけで相手をするが、油断するなよ? 俺はゴールドのハンターでもある。森の中での戦いは熟知している。だからこそ、薔薇の数は10に指定した」
「……」
「多すぎる、と思っている顔だな。しかしそれが今の俺のアメリア訓練兵に対する評価だ。それを覆したければ、実力を示してもらおう」
「レンジャー!」
「では、森に先に向かうといい。時刻六時ちょうどに俺もカフカの森に入り、アメリア訓練兵の薔薇を全て散らしに行く。準備はいいな?」
「レンジャー!」
そしてアメリアは俺から受け取ったウエストポーチをギュッと力強く腰に巻き直すと、そのまま森の中へと入っていく。
十二時間という非常に長い時間設定は彼女の心を試すものだ。
俺はこれから、アメリアの心を削りに削って、そして折りに行く。
しかしもし……もし仮に、彼女がこれに耐え切ることができれば、きっと……アメリアはまた一つ大きく成長できると……俺は信じている。
アメリアの去って行くその背中は自信に満ちているのか、それとも別の何かか。
彼女はただ真っ直ぐ、真っ直ぐ歩いてその森の中へと姿を消して行く。
アメリア。君ならばきっとできる。ここまで頑張ってきた成果を発揮すれば、必ず俺を打ち負かすことができる。
もちろん、これは俺との戦いでもあるが……それと同時に、これは自分自身との戦いでもある。
アメリア。君の潜在能力はそんなものではない。その先にきっと……辿り着けると信じている。
だから俺もまた、全身全霊を持って挑もう。
いつかあの日の自分が何を欲していたのか、俺は知っているのだから──。
◇
レイに概要を聞いた。
これが本当に最後の訓練になるらしい。
今まで本当に辛かった。筋肉痛にずっと苛まれ、さらには魔術訓練でも連日過酷な訓練を課された。レイの言う通り、魔術訓練の方が辛かった。繊細なコード理論の構築は今まで徹底してはこなかった。いや、やるにはやっていたがあそこまでやるのか……と思うほどには大変だった。
それと同時に驚いた。きっと冰剣の魔術師としてのレイはあれをいとも簡単に、それこそ呼吸するのと同然にこなすのだろうと。
そんな彼に近付きたくて、私は食らいついていた。レイにここまでしてもらって、今更投げ出すわけにはいかなかった。
彼のように、レイ=ホワイトのようになりたい。それに、彼に見捨てられたくはなかった。だから私は……そんな歪んだ想いでここまで来た。
でも光に群がる蝶は、その光に灼き尽くされてしまうのかもしれない。
それでも私は、前に、前に進んできた。確かな何かがあると信じて。
この先に一体何があるのだろう?
この訓練を乗り越え、魔術剣技競技大会にたどり着いた先には、何があるのだろう?
そう考えても答えなど出ない。
今の私にはその答えを得るだけのものは、何もない。まだ空虚で、何も手にしてはいないただの少女なのだから。でも私はもしかしたら……と少しだけ考えてしまう。そう思うほどには、私はこの修了試験を特別なものとして認識していた。
「ふぅ……」
レイから受け取った十個の薔薇。
それを上半身に固定して、カフカの森の中を進む。
「……後、三分か」
レイからもらった腕時計をちらりと見ると、時刻は五時五十七分。後三分もすれば、レイがこの森の中に入って来て私の薔薇を散らそうと行動を起こすだろう。
制限時間は十二時間。その時間でこの薔薇を守りきれば、私の訓練は修了となる。仮にここで失敗したとしても、特に影響はないだろう。何か罰があるわけでもないのは知っている。
でも……私は成功して終えたかった。
私はどうしようもない偽物だと、いや偽物にすらなれない、有象無象だと知っている。仮面を貼り付け、他者の望む自分を勝手に描いて、それをロールプレイしているに過ぎない愚か者。
そう……そう思っていたのに、私はみんなと出会うことで自分らしさというものを掴みつつあった。演じるのではなく、本当の自分のようなものが、時折垣間見えるのを感じていた。
──きっと何者にもなれない私へ。私はそこにいますか。
そう問い続けて来た。そして私はきっと今、岐路に立っている。ここの分岐点で私は、私になれるかどうかが決まる……そんな予感がしていた。
だから私は、この修了試験を無事にクリアして……魔術剣技競技大会に臨むのだ。
誰のためでもない、自分のために。
「……始まったわね」
瞬間、ピピピピと腕時計から音が鳴る。おそらく六時と十八時に鳴るようにレイが設定していたのだろう。
私はちょうどカフカの森の中央あたりに来ていた。
と言っても正確な地形は把握していないので、あくまでおそらく……という感じだ。でもここにくるまで、私は遅延魔術を数多く仕掛けていた。
もちろんこの場所に来るように仕掛けては、居場所がバレてしまうので、ランダムに設置してある
そして私は隠れて待つ。最悪、レイに出会うことなく終わることもある。
でもそんな楽観視はしない。彼は規格外だ。だからこそ、接敵すると仮定して、私は思考を続ける。
また、私はこの十個の薔薇というものを決して多いとは思っていなかった。
訓練を一緒に今までしてきたが、レイ=ホワイトという魔術師が規格外なのは間違いなかった。もちろん、冰剣の魔術師としての真の実力を訓練中に見たわけではない。
私が見たのは、彼の基本的な肉体の性能と内部コードの扱いだけだ。曰く、能力を封印している今はそれだけが使える技量らしいが……。
レイはそれでもきっと、今の私よりも強いと思っていた。
完全な遠距離からの魔術戦に持ち込めば話は別かもしれないが、彼は魔術などには臆さない。
その心の在り方が、私なんかとは違う。
恐れなどない、震えなどない、迷いなどない。
あの双眸が見据えるのは、その遥か彼方なのだから。
だから私は、そんな彼に対して油断することなどなかった。
「ん……?」
五分くらいした頃。何かガサガサと音が聴こえた。私は音がした方を注視するも、その先には何もいない。と思いきや、出て来たのは魔物だった。あれは巨大蛇だ。でも基本的にここの魔物は別に何もしなければ襲っては来ない。
だから私は自分が気を張り過ぎていたせいだと思っていた。そしてホッと心に安心感を抱いた瞬間、上から声がして私は自分の心臓が跳ね上がったのを感じる。
「……油断大敵だ」
「え?」
ボソッと頭上から声が聞こえたと思いきや、私の胸にあった薔薇が一気に3つも散ってしまう。それは木の上にいたレイが、石の礫を投げることによって的確に私の薔薇を撃ち抜いたのだ。
「……くっ!!」
そのことをすぐに認識すると、私はすぐに魔術を発動。
《第一質料=エンコーディング=物資コード》
《物資コード=ディコーディング》
《物質コード=プロセシング》
《エンボディメント=現象》
発動するのは、中級魔術である風切。それを高速魔術で発動するも、すでにその場にはレイはいなかった。彼はすでに移動を始めていて、私の魔術の間合いを完全に把握しているのか、そのまま背を見せつつ移動して行く。
「……待てッ!」
レイは接近戦に持ち込んで来て、一気に薔薇を散らすつもりだと私は思っていたが……。
そのまま彼は木から木へ跳躍することで移動していき、あっという間に姿が見えなくなってしまった。
「逃げた……いや……?」
レイがただ考えもなしに逃げたとは考えにくい。むしろこれは彼の策略なのだろう。
「落ち着け……落ち着くのよ、私」
敢えて声に出すことで自分を落ち着かせる。
分析するに、私の遅延魔術は全てスルーされてしまったのだろう。だってそれは、全てを地面に設置していたから。
レイはそれを読んだ上で、木から木へと跳躍することでそれを回避して、巨大蛇がいる場所で物音を立てた瞬間に、私の真上の木へと移動。そして、手にしている石で一気に薔薇を3つ持っていったのだろう。
はっきり言って、予想していなかった。
彼の使える魔術、そしてあの肉体性能からして、一気に距離を詰めて来て持っているその剣によって薔薇を全て散らしていくものだと思い込んでいた。
でもその思い込みを逆手に取られて、私は遠距離からの攻撃という選択肢を無意識に捨てていた。
彼が残していった事実はただ一つ。
そこらに落ちている石であってさえも、的確に薔薇を狙って投げれば撃ち抜けてしまうのだ。
これはきっと彼からの忠告だ。
この薔薇は狙い撃ちされてしまえば、たとえなんの魔術的な要素もない、石の投擲によって散ってしまうのだと。レイはこの訓練の中で、実際の試合を想定して色々と私に教えてくれるのだろう。
そんな彼の思いやりを私は感じ取った。
「ふぅ……」
改めて、冷静になることに努める。
大丈夫だ。落ち着け。私は冷静に思考できている。大丈夫……大丈夫と自分の逸る心を落ち着かせる。
思い出せ。
きっと、私が成すべきことは彼が全てもう教えてくれている。
今回の件だってそうだ。『常にあらゆる状況を想定しておけ』『魔術師は冷静であることに努めろ』と、そう言われていたのを思い出していた。私にはまだ経験が足りない。だから、レイの奇襲も思い描くことができていなかった。
あまりの訓練の過酷さに、その時はあまり意識していなかったが、これはまさに集大成。
私はその教えを全て活かして、レイ=ホワイトに向かっていくべきなのだろう。
「よし……!」
私は自分の頰をパンパンと思い切り叩いて、意識を改める。
そして再び、森の中を駆けて行くのだった──。




