第310話 極限の領域
深夜。
夜の帳が下り、森の中は完全なる静寂に包み込まれていた。猛禽類の鳴き声と、虫の鳴き声。さらには周囲にはまだ回収されていない死体もあった。そんな不気味な森の中に二人の人間が入っていく。
一人は少年であり、もう一人は初老の男性だった。
しかし、初老とは言ってもその体躯は一般の人間のそれとは段違いである。鋭く研ぎ澄まされた雰囲気と眼光。腰に差している刀を軽く握りながら、彼は歩みを進める。
絶刀の魔術師──バルトルト=アイスラー。
剣のために人生の全てを捧げ、その刀剣の扱いにおいてこの世界で右に出る者は存在しない。
また絶刀の魔術師という名称ではあるが、その本質は圧倒的なまでの剣戟である。バルトルトは柔軟な思考の持ち主であり、自分が強くなるためならばどんなことでも実行していきた。現代魔術に対する造詣も深く、もちろん魔術師としても優秀である。
だが、やはりその全ては己が剣を研ぎ澄ませるための手段に過ぎない。魔術師という名称は正しくなく、彼は純粋なまでの剣客である。
魔術を応用するのはあくまで身体強化の範疇のみ。その先にある秘剣の使用においては魔術を頼ることなど決してない。何十年もの修行の末にたどり着いた領域。
魔術を何も使用しない、純粋な剣技だというのに代々引き継いでいる秘剣は既に魔術の領域を超えていると言われているほどだ。
そんな彼は王国軍の依頼もあってこの戦場にやってきたのだが、一番の理由としては強い相手を求めている……それが彼の動機だった。
「……どうやら、俺の相手は絶刀か。しかし全盛期はとうに過ぎている爺さんかよ。興が削がれるぜ」
暗闇の中から出てくるのは、真っ赤な髪を刈り込んでいる男性だった。年齢は二十代くらいに見え全体的にかなり厚みのある体である。それこそ、いくら鍛錬を続けているとはいえ初老のバルトルトとは比較にならないほどの体躯だ。
どれほど強くても年齢に逆らうことはできない。
それは全人類において共通するある種の宿命である。
「ルーカス。下がっておれ」
「はい。師匠」
静かな声でバルトルトはルーカスにそう告げた。彼もまた師匠であるバルトルトのことは理解しており、そのまま後ろへと下がっていく。
「は、子連れかよ。全く俺の相手はハズレときた。なぁ、爺さん。せいぜい楽しませてくれよ?」
「……」
七賢人の一人であるドライは横柄な口調でバルトルトに語りかけるが、既にその声は彼には届いていない。極限まで集中力を高めているのか、彼の視界にはドライの姿しか映っていない。
不必要な情報は完全に削ぎ落とされているようだった。
「爺さん。俺は、たとえ誰であっても容赦することはねぇ」
「……」
「は。だんまりかよ。じゃあ、大人しく死ねやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
溢れ出る暗黒の粒子。それが一気に収束していくと、バルトルトは炎の海によって囲まれてしまう。徐々に温度も上がってきているのか、地面がドロドロと溶け出して融解するほどにまで高まっている。
そんな中、バルトルトは目を瞑りじっと刀を握っている。
着ている服は焼け爛れ、皮膚が完全に見えてしまっている。おそらく一分もしない内に骨ごと焼き尽くされてしまうのは自明だろう。そんな様子をドライは口元を歪めながら不適に嗤っていた。
今までの戦場で数多くの人間を焼き殺してきた。そんな彼に今更慈悲の心など存在しない。今日も今日とて、いつものように敵を殺す。
そう思っていたのだが、次の瞬間。
ドライは信じられないものを目にするのだった。
「──第一秘剣、瞬雷」
抜刀。
それは居合い抜きの要領で放たれた一撃だった。真横に抜いたことで生まれたその斬撃は炎の海を貫通し、そのままドライの上半身と下半身を分けるようにして切断した。
「あ……は? おい……これは、どうなってや……が……る?」
ドライは何が起きたのか分からないまま、血溜まりの中へと沈んでいく。それと同時に炎の海も掻き消えるようして、この場から消失していった。
バルトルトは刀を納刀すると、丁寧に一礼をした。
その所作は一挙手一投足が滑らかであり、彼の研鑽の歴史が窺えるようだった。
「師匠。お見事でした」
「うむ。相手もなかなかの手練れではあったが、油断は禁物。ルーカス。それは心しておけ」
「はい。もちろんです」
そうして二人は森から去っていくのだった。
◇
「……四人死んだ」
帝国の地下空間。そのある一室でアインスはワインを傾けながら、七賢人の一人であるフンフの声を聞いた。
「フンフ。それはどちらの話だ?」
尋ねる。既にアインスは分かっていることではあるが、敢えてフンフに尋ねてみることにした。
「七賢人の四人。ツヴァイ、ドライ、フィーア、ゼクス」
「なるほど。まぁ……元々あの四人は残っている七大魔術師には届かないと思っていた。予想の範疇だろう」
そう。
アインスはフンフ以外の七賢人に対して決して本音で語り合ったことなど一度もなかった。彼にとって同じ仲間ですらただの駒に過ぎない。自分が思い描くシナリオにおいて、いつかどこかで死ぬのは確定事項だった。
彼は自分たちならば、特別な存在である七賢人は決して七大魔術師などに劣る存在ではないと言い聞かせていた。その裏で、アインスは決して七大魔術師のことを過小評価していなかった。
厳密に言えば、現代魔術のことを彼は正当に評価していたのだ。
たとえ第零質料を使用できるとしても、それは絶対のものではない。第一質料とコード理論を駆使した現代魔術よりも、完全に優れているなどアインスは考えていないのだから。
「……アインス。次はどうするの?」
「戦況はかなり大詰めだ。あの四人がいなくなったことで、王国軍はかなり優勢になる。しかしこれは勝敗などはどうでもいい戦争だ。必要なのは数多くの血と私たちと、彼という存在。だがあの女が目障りだな」
「……リディア=エインズワース?」
「そうだ。何の突然変異か知らないが、彼女の存在はこの盤面においてもう必要はない。いや、現在はこちらが四人殺され、あと一人の魂が欲しいところだった……使うか」
「……リディア=エインズワースを最後の駒にするの?」
「あぁ。当初の計画とは異なるが、それがいいだろう」
「……分かった」
コクリと頷くフンフ。まだ幼い少年であり、一見すれば何も理解できるような年齢ではない。その外見とは裏腹に、彼は全てを理解している。これからの戦況において自分がどのように振る舞うべきなのか……ということを。
「フンフ。やってくれるか?」
「……もちろん。僕は刺し違えてでも、あの女を殺すよ」
「ふふ。それは助かる。大丈夫だ。お前の魂はしっかりとこちらで回収する予定だ」
「……うん」
不適に微笑む。
ワイングラスをゆっくりと傾けると、中の液体を喉へと流し込んでいく。アルコール特有の感覚が体を抜けていく。といってもどれだけ摂取してもアインスが酔うことなど決してないのだが。
ここまで長いようで短い道のりだったと、アインスは考える。この戦場を生み出し、仲間を騙し、全てを計画通りに進めてきた。どれだけの血が戦場で流れようとも、彼によってそれは手段の一つに過ぎない。
人の尊厳など踏みにじるのが当然と考えているため、その心が痛むことなど決してない。全ては真理世界に到達するための軌跡でしかないのだから。
そして彼は、独り言のようにどこか遠くを見ながら話し始める。
「あぁ……レイ。もう少しだ。もう少しで、君に会うことができる」
極東戦役はついに大詰めを迎えるのであった。
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