第288話 王国への帰還
揺れる馬車。
レイとリディアは黙っていた。特に会話もなく。ただただ流されていくように進んでいくだけ。その中でレイは考える。
あの少女は何だったのか。それに彼には既視感があった。そこはいつか訪れたかのような感覚。
そしてレイは小さな口を開くのだった。
「師匠。先ほどは──」
「その話は戻ってからする。今は休んでいろ」
「……分かりました」
釈然としない。リディアもまた何かを真剣に考えているようだった。本来ならばもっと情報を持って帰るはずだった。だというのに、ほぼ何もすることはできなかった。逃げるようにして帝国を出ていくことに対して、悔しさを覚えているのか。
それとも全く別のことを考えているのか──。
無事に二人は王国に戻った。そこでレイは、一人で自宅に戻るように命じられた。報告は自分一人でしてくるとリディアに言われてしまったからだ。
とぼとぼと歩みを進める。だが、レイはそのまま真っ直ぐ家に戻る気になどならなかった。そこで近所の公園に行って、少し冷静になろうと思った。
「ふぅ……」
一息つく。
帝国から真っ直ぐ帰って来てロクに休憩をとることはなかった。それはレイとリディアは互いに早く王国に戻って来たいと思っていたからだ。
レイはベンチに腰掛ける。ふと空を見上げると、黄昏時になっていた。夕焼けの光をぼーっと見つめる。
「おや? お主は……」
「え?」
公園の中を颯爽と走っている少女がいた。肩まで伸びる艶やかな赤色の髪。しかし、周囲の長さと比較すると、前髪は極端に短い。真っ白なワンピースを着て、彼女はレイの顔を覗き込むようにしてジロジロと見つめてくる。
「お主がリディアの弟子というやつかの?」
「師匠をご存知なのですか?」
相手は自分よりも幼い相手だ。しかし、その口調と雰囲気から思わず敬語で返事をしてしまった。
「ふむふむ。もちろん、知っておるぞ。リディアとは昔からの付き合いじゃからの」
「昔からの……? 失礼ですが、もしかしてお年は──」
レイは尋ねてみた。女性に年齢を尋ねるのはご法度と言われているが、今回ばかりはそうしてしまった。
「ご、五十を超えているんですかっ!!?」
「うむ。そうじゃな。見た目は幼いがなっ! ガハハっ!」
よく見るとその少女は一升瓶を右手に掴んでいた。それをゴクゴクと飲むと、「ぷはぁ」と声を漏らして自分の名前を告げた。
「フランソワーズ=クレール。【比翼の魔術師】じゃ。よろしくの、レイ」
「はい……よろしくお願いします。クレールさん」
「いやいや。フランで良いぞ」
「えっと……フランさんでいいでしょうか?」
「うむ。で、お主はレイでいいのか?」
「はい」
レイは辿々しい口調でそう呼んだ。すると、フランはニコッと快活な笑顔を浮かべた。
「で、一人で何をしておる?」
「えっと……」
何を話すのか迷ってしまう。今、彼の前にいるのは七大魔術師の一人である【比翼の魔術師】だ。リディアと同格に相手を目の前にして、圧倒されてしまう。
名前だけは知っていた。七大魔術師の中でも最年長であり、有名な存在である。
また、フランは確かに圧倒的な雰囲気を纏っている。見た目は幼い少女ではあるが、言動からは魔術師としての厚みを感じる。
それに、今レイが悩んでいることは──特殊選抜部隊の機密情報に当たるものだ。それを吐露してしまってもいいのか。いや、ダメだろうと内心で思う。
「お主は確か、王国で軍人をしているらしいの」
「……知っているんですか?」
驚きを隠せない。そもそも、特殊選抜部隊の存在は極秘にされている。王国軍の中でも知っている者は限られている組織だ。
だが、七大魔術師ならば知っていてもおかしくないのだろうか……とレイは思った。
「あそこにはリディアが所属しておる。それに、アビーやキャロルもおるじゃろ? もちろん知っておるとも」
「そうですか……少し特殊な環境ではありますが自分は気に入ってます」
「……お主、自分の魔術師としての技量はどう考えておる?」
「え?」
それは真剣な眼差しだった。それに対して何と答えるべきなのか。
──自分の魔術師としての技量……? それは……。
確かに才能はあるのだろう。この年齢で軍人として難なくやっていけるほどには才能があると自覚はしている。そしてその才能の天井もまだ見えることはない。
成長はしている。それと同時に、レイは目を背けていた。自分は魔術師としてどこまで成長していけるのか。
リディア=エインズワースは史上最高の天才だ。それは自他ともに認める話である。
だが……レイはここ最近、リディアの魔術師としての底が完全に見えてしまっていた。いつまでも届くはずはないと思っていたその才能が、レイにはたどり着けるモノとして見えているのだ。
師匠はいつまでも師匠のままだ。絶対に追いつけることはなく、その背中を追い抜くことはできない。だからこそ、安心していた。満足していた。今の現状が、心地よかった。
しかし、ここ最近のおかしな現象。帝国に向かった際の感覚に、謎の既視感。自分がどうにも異質なものに思えて仕方がない。
それはレイがずっと悩んでいることだった。それを見抜いているか、フランはさらに問いかけてくる。
「……自分の技量は、師匠にはまだまだ届かないと思います」
嘘をついた。
レイはすでにリディアを射程圏内に捉えている。あと一年も必要はないだろう。もうすぐレイはリディアを超える魔術師になる。それは確かな事実だった。
彼が目を背けたい……事実であった。
「嘘じゃな」
さらっとフランはそう言った。まるで自分は何でも知っているかのような、そんな態度だった。彼女はベンチから降りると、レイの前に立つ。
「お主、すでにリディアよりも第一質料の保有量が多いじゃろう?」
「ど、どうしてそれを……?」
隠してきた事実を暴かれてしまった。部隊の誰にもバレないように隠していたことだった。リディアすら、まだその真実にはたどり着いてはいないというのに、フランはそれを見抜いたのだ。
「ま、これはわしの能力じゃな。明かすことはできんが」
「そう……そうですか」
「で、悩んでおるのか。自分の才能に関して」
「悩んでいる……そうですね。悩んでいるんだと思います。正直なところ、自分の存在が何者なのか……この恐ろしい才能の源泉は何なのか。そうずっと思ってしまいます」
決して明かすことのない悩み。それはリディアを含めて部隊の誰にも話すことができないものだった。
自分は一体何者なのか。日に日に増していく、この才能の源泉は何なのか。努力をしなくとも魔術に関してはあらゆることができてしまう。すでに冰剣も完成の域に入った。
リディアが長年をかけてたどり着いたその領域に、レイはすでに踏み込んでいる。
初めはその才能に喜んだ。リディアに褒められることが嬉しかった。しかし今はただ、恐怖しかなかった。成長し続ける自分が怖かった。
「……才能、か。有能な魔術師は誰もがその壁にぶち当たる」
「そうなのですか?」
「うむ。特に七大魔術師になる連中は普通ではないからの。その才能との向き合い方に迷う時が必ずくるじゃろう。しかし、それは自分で向き合うしかない。結局人間とは孤独な生き物じゃからの。魔術師も同様じゃ」
「……孤独に、そして向き合うですか」
「ま、年寄りの他愛のない話と思っておけ。今日は偶然お前とあったが、実はリディアが色々と気にしておる話を聞いての。つい声をかけてしまった」
「師匠が?」
バッと顔を上げる。それは初めて聞く話だった。
「リディアもまたお主のことを気にかけておる。だから大いに悩むといい。きっとあいつは待っておる。お主が自分でたどり着くのを」
「そうですか……」
フランは大きく手を振ると、公園を去っていた。レイはポツンとその場に残されてしまうが、すぐに帰路へと着く。
ギュッと拳を握る。この先に待っているのは、一体何なのか。
レイが自分自身と向き合おうとしている時期に重なるようにして、ついに極東戦役が本格化するのだった。




