第281話 愛と覚悟
「レイちゃん。本当にごめんなさい」
数日後。キャロルは正式にレイに謝罪をしにきていた。部屋の修理費用も全てキャロルが負担し、今は彼の目の前で額を地面につけて謝罪をしていた。いわゆる、土下座の形である。
流石に今回の蛮行はキャロルもやり過ぎたと思ったのか、こうして誠心誠意頭を下げているようだ。
「……」
レイとしてはあの時の恐怖感は拭えていない。しかし、キャロルは苦手であっても彼女が悪い人間ではないということは理解している。
本人曰く、あまりにも愛おし過ぎて感情が暴走してしまったと。
可愛がられるのは恥ずかしい側面もあるが、嫌というわけではない。問題はその程度である。あまりにも行き過ぎるのは、レイとしても許容はできない。
彼は少しだけ思案した後、地面に額を擦り付けているキャロルを改めて見つめる。
「本当に怖かった」
「えっと……ごめんなさいっ!!」
「今後はあんなことはやめるように。他人の気持ちも考えて欲しい」
「分かりました。はい……」
そして、レイの隣にはリディアが立っていた。まだ怒りは収まっていないのか、キャロルのことを睨みつけている。
「いいか。キャロル。今回は未遂、といっても私が止めたんだが……レイの寛大な対応に感謝しろ。私としてはまだ我慢ならんが、レイがもういいと言っているからな。今後は気をつけろよ? 距離感も考えろ」
「はい。分かりました。本当にすみませんでした……」
ここから数年キャロルは大人しくなるのだが、またいずれその感情が爆発してしまうことはまだ誰も予想していなかった……。
◇
極東戦役。
ついに極東で行われている戦争がその名称で呼ばれ始めた。
もっとも極東戦役は小国同士の小規模の紛争であり、大規模な戦争にまで発展することはない。それが当初のアーノルド王国や各国の見方であった。しかし、ここ最近……どうにもその紛争による死傷者の数が莫大に増えているという。
そこで特殊選抜部隊は調査のために派遣されることになったのだが、そこで一つ問題が発生した。
「どういうことだ、これは?」
リディアの声が室内に響く。しかしそれはいつものような軽快な声ではない。
明らかに怒りが含まれているものだった。
「上からの命令だ。逆らうことは許されない」
ヘンリックは淡々と事実を告げる。他の隊員たちも、その様子を淡々と見つめている。
「ファーレンハイト中佐のことは尊敬している。今までもずっとこの部隊を率いてくれたことには感謝している。だが、これだけは……許せるわけがないだろうッ!!」
ダンッ! と思い切り拳を机に叩きつける。その机はリディアの拳に耐え切ることはできず、縦に大きなヒビが入ってしまう。
その言動からして彼女の怒りは相当なものだと理解できる。
リディアがどうしてこんなにも怒りを露わにしているのか。それは特殊選抜部隊に追加招集されたあるメンバーが原因だった。
「レイがこの部隊に参加するだとッ!!? ふざけるのも大概にしろッ!!」
その怒号は室内に響く。そしてそれには、キャロルもまた同意するのだった。
「そうだよッ! レイちゃんをそんな風に利用するなんて、まるで……ッ!!」
全員が分かっていた。
まるで──初めから軍人として利用するために引き取ったかのようではないか、と。
元々才能のある少年だとは分かっていた。しかしだからこそ、その才能を軍事利用するような形になるのは許せることはできなかった。
リディアもレイを軍人にするために育ててきたわけではない。しかし、軍上層部の判断はそうもいかなかった。
「分かっていただろう。いずれはこのような日が来ると。彼の存在が上に知られており、便宜が図られていたのは当然。そんな彼を戦力として数える時は避けては通れないと」
「────ッ!!」
リディアの握る拳からは血が滴っていた。あまりにも強く握りしめるため、爪が食い込んでしまったのだ。だが血を流したおかげか、彼女は少しだけ冷静になった。
「特殊選抜部隊には追加の戦力が必要だという話は前々から出ていた。しかし、基準に達する者はいなかった。そう──彼を除いて」
ヘンリックが告げる彼とはレイのことだった。
今まで沈黙を貫いていたアビーもまた、口を開いた。
「中佐。もしかして、前にレイを連れ出していたのは……」
「そうだ。彼の適性検査をしていた。基準をすべてを圧倒的に突破している。頭脳明晰、運動能力も抜群。さらにはその卓越した魔術。魔術による実戦もこなすことができるだろう。そんな彼を軍が放っておくわけには、いかなくなった」
その表情には悔しさが滲んでいた。ヘンリックもまたいずれこうなることは三年前から分かっていた。
その間にレイをどうかして、軍から離れるように手配したかったのだが……彼の能力はあまりにも強大過ぎた。
その才能に飲み込まれない為に教育を施してきたというのに、それはまるで初めからこうして軍のために力を搾取するだけのような形になってしまったのだ。
リディアにそんな意図はないとはいえ、彼女は心のうちに宿る葛藤に苛まれていた。
どうするべきだったのか。あのまま見捨てておくべきだったのか。
魔術適性が高いとはいえ、リディアによる教育がなければレイは巨大な才能に呑まれてしまう可能性もあった。そしてそれは同じ才能を持つリディアしか、教えることはできない。
だがリディアの近くにいるということは、いずれこのような未来もあり得たのは彼女も分かっていた。前々から別の道を模索していたが、予想よりも軍の介入が早かった。
リディアは思う。
──一体、何が正解だったのか……私は……。
そんな風に考えていると、扉からノックの音が室内に響いた。
「入って構わない」
「失礼します」
そう。その場にやってきたのはレイだった。彼は特注サイズの軍服に袖を通して、真剣な表情でこの場にやってきた。
怒り狂っているリディアの雰囲気や机の惨状を見れば、何が起こっているのかは聡明なレイならば理解できた。
「師匠。いえ、エインズワース大尉。これからよろしくお願いいたします」
「レイ……お前、自分が何をしているのか分かっているのかッ!!?」
詰め寄る。
今までレイに厳しく指導することはあったが、それと比較すれば今のリディアはまるで憤怒の権化のようなものだった。その双眸は怒りに染まりきっている。
今回ばかりは、自制する気など毛頭ないようだ。
「分かっております」
「……分かっているのかッ!? 軍人になるという覚悟が、この部隊にいるということの重大さがッ!!?」
「はい」
「……分かっているわけがないだろッ!!」
ダンッ、ともう一度机を叩く。今度ばかりはその机は完全に真っ二つになってしまった。それの怒りを見ても、レイは冷静だった。
「レイ……この部隊がするのは特殊工作。その中には実戦も含まれる。魔術による戦闘。相手を殺すことも任務に含まれていることがある」
「はい。すでに全ての説明は受けております。その上で自分はここに立っています」
「どうしてだッ!? お前に才能があるのは私が認めるッ! だがそれを、血で汚す必要などないんだッ! 分かってくれ、レイ……どうか、どうか分かってくれ……」
懇願する。
頭をずるずると下げて、レイの体に触れる。
リディアは自分の力は国防に絶対的に必要だと自覚している。おそらくは単独の魔術師としての戦力ならばすでにアーノルド王国内でも屈指。相手にもよるが、その力は一度で千人以上の敵を相手にできると評価されている。
だからこそ、彼女は自分の手を血で汚すことに躊躇いなどなかった。その流れ出る血の果てには、国の平和があるのだから。しかしそれは、自分で覚悟して選んだことだった。
レイに限っていえば、まるでそれしか選択肢がないような環境。
リディアとしてもそろそろ学院に入れて普通の学生として生活を送るべきだと思っていたのだ。学費はもちろん自分で出すし、正式に後見人になろうと……。
そう考えていた矢先に、この仕打ちだ。リディアが怒り狂うのも、無理はなかった。
「……師匠。あなたの教えは自分の中に生きています。その中でもある言葉がずっと頭に焼きついて離れません」
「……」
じっとレイを見つめる。
一方のレイはリディアと視線を合わせると話を続けた。
「──結局人間は、自分で決めたことにしか従えないと」
「それは……」
その言葉はリディアが送ったものだった。誰かに何を言われようとも、何を矯正されても、最終的には自分の心に従うしかないのだと。
「自分の能力の異常さはすでに自覚しています。だからこそ、自分は恩返しがしたい。この部隊は家族のような……いえ、自分は家族だと思っています。その家族によって構成されているものが国というのならば、自分は国のために戦えます。もう、師匠の辛い姿を見るだけはできません」
「レイ……お前は──」
そんなことを考えていたのか、そう思う。ずっと子どものままだと思っていた。
歳の割には聡明で魔術師としての実力は折り紙付き。それでも、子どもだと……そう思っていたというのに、今のレイの覚悟は子どものそれではない。
理解する。
それはきっと自分の傲慢でしかないのだと。レイがそのような環境にあったとしても、最終的に選択したのはレイなのだ。勝手に騒ぎ立てているだけと、分かってしまった。
そしてリディアは、そっと頬に触れる。
「レイ。いいんだな?」
「はい。すでに覚悟はできております」
彼女は翻るとヘンリックに告げる。
「中佐。取り乱してしまい、申し訳ありませんでした。謝罪いたします」
「いや、いいんだ。私も心苦しいことに変わりはない」
「ただ──」
告げる。彼女は絶対の覚悟を心に灯して、その言葉を表に出した。
「レイの作戦参加は受諾します。きっとかなりの戦力になるでしょう。しかし、レイに過度な負担を強いることは許容できません。その場合は私が代わりに任務を果たします」
「いいだろう」
「ありがとうございます」
一礼をする。
リディアはレイと向き合う。すでに身長も伸びてきており、それほど下を見なくてもよくなっていた。改めてリディアはレイの成長を実感する。
「レイ。改めて私のもとで鍛錬に励めるか?」
「もちろんです。師匠」
「いいだろう。ここから先は本気で指導する。私のすべてをお前に教えよう」
「はい。よろしくお願いいたします」
こうしてついにレイは特殊選抜部隊の所属となる。それと同時に、世界は大きく動き始めるのだった。
運命の歯車は少しずつ加速していく──。




