第277話 訓練開始
早朝の四時。
訓練校の人間の全員ではなく、その中でも選りすぐりのメンバーだけが今回のエインズワース式ブートキャンプに参加することになった。といっても、彼らはまだその名称を知らない。
知っているのは、史上最年少で七大魔術師に至った天才──リディア=エインズワース自らが教官として訓練をするということだけ。
彼らは思った。
自分たちは選ばれた存在であり、栄光の道を進んでいくのだと。だからこそ、こうした英才教育を受けることができるのだと……そう思い込んでいた。
緊張感が漂う中、演習場に整列しているメンバーたち。その数は二十人。たった二十人が今回のエインズワース式ブートキャンプに抜擢された。
筋骨隆々な男だけではなく、全員がそれなりの体躯を有している。数は少ないが女性もおり、彼女たちもまたかなりの筋肉を有している。今回の件でリディアが選んだのは過酷な訓練にも耐えることができそうな人間だった。
エインズワース式ブートキャンプの実態を知らない彼、彼女らはその先に地獄が待っていることを……まだ知らない。
「……来た」
「あれが……」
「あぁ。史上最年少で七大魔術師にたどり着いた、天才だ……」
尊敬の眼差しでリディアの姿を見つめる。
その艶やかな麗しい金色の髪を揺らしながら、彼女はその前に姿を現したのだが……。
「子ども?」
「え?」
「大尉の子どもなのか?」
「いやそんなはずは……」
ざわめきがまるで水面の波紋のように広がっていく。
彼らが言及しているのは、レイのことだった。彼は特注の小さな訓練着──キャロルが作ったもの──を着用してキリッとした表情をしている。
「まず先に、一つ言っておこう」
凛とした声が通る。
リディアのその声を聞いて、全員がしんと静まる。
「私のまぁ……親戚のような子どもだ。彼も今回の訓練に参加する。よろしくな」
あの子どもが今回の訓練に参加する……?
全員が思う。それは聞き間違いでは無いだろうか、と。しかし彼は真顔で丁寧に一礼をすると、列の一番後ろに何食わぬ顔で待機する。
その様子を見て怪訝な表情を浮かべるものが多いが、あまりのことに混乱してしまい言及する者は一人もいなかった。
「では諸君。私自らが、この二ヶ月という短い期間になるが訓練をみることになった。よろしく頼む。それと、返事はレンジャーだ。いいな?」
『レンジャー!!』
野太い声が響き渡る。それを聞いて、リディアはニヤッと笑いを浮かべる。
「さて訓練の概要だ。今回の訓練の名称は、私が立案したこともありエインズワース式ブートキャンプという。新兵訓練のために考案したものだが、まずは試してみようと思ってな。諸君等はその実験台になる。ま、ある程度の覚悟をしておいてくれ」
ゴクリと喉を鳴らす。
エインズワース式ブートキャンプ。
その名称を聞いて思うのはやはり、自分たちは選ばれた存在であるということだ。それをこなすことができれば、スペシャルな存在になることができる。
きっと自分のキャリアは輝かしいものになると思い、ある程度の覚悟という言葉の意味を彼らは理解していなかった。
そしてついに──地獄が幕を開けることになった。
「どうした、どうしたああああああッ!! お前たちはそんなものかぁあああああああああああああああッ!!」
リディアの怒号が響き渡る。ついに始まったエインズワース式ブートキャンプ。それは今までの訓練校のメニューとは一線を画すものだった。
まず課された内容はこの一ヶ月は魔術の使用は禁止。それは内部コードを含めてだ。その言葉を聞いて、彼らには動揺が広がる。
従来の訓練では内部コードを使用してより高度なトレーニングをしていたというのに、それをするなと言われたのだ。動揺するのも無理はないだろう。
そして、リディアはストップウォッチを取り出すと彼らにこう告げた。
「いいか。全力でこのトラックを三十秒でいい、本気で走れ。その後は十五秒だけ歩いていい。そして再び三十秒の全力疾走だ。これをワンセットと考えて、まずは十セット行う。理解したな?」
『レンジャー!』
聞いたことのない訓練内容だった。もっぱら体力トレーニングに関しては長距離走がメインだったからだ。それに、途中で休憩が挟まるなどこれはもしや楽なのでは……?
と思うのはリディアの思惑の一つ。
すでに彼女は自分の体験に加えて、レイにも課しているのだが……この高強度インターバルトレーニングというものはかなりキツい。
彼女は長年考えていた。より効率的にトレーニングをするためには、どうすればいいのか。
そこでたどり着いたのがこれだった。この高強度インターバルトレーニングを組み込んだものこそが、エインズワース式ブートキャンプ。
まずは一ヶ月で徹底して身体強化を図る。その後は魔術強化を同様の手法で行っていく。すでに軍の上層部にもデータとして提出しており、効果があると認められている。
これはいわば、汎用性があるのかという実験でもあったのだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……おえっ……死ぬ……」
「やばい……まじでつらい……」
「私、もうダメかも……」
わずかな休憩時間。そこで歩いて体力の回復を図っているが、全員がその辛さを実感しているところだった。その表情はすでに完全に死んでいる者もいた。
「よーし。次行くぞーっ! 手を抜いたら罰としてさらに追加していくからなー! ぶっ倒れてもいいから、本気でやれよーっ!!」
その声を聞いて、彼らは知った。
あぁ……自分たちがやってきたのは地獄なのだと。
そんな中たった一人の少年は悠然と歩みを進めていた。呼吸は乱しているようだが、それほど辛そうには見えない。大人たちに混ざっているにもかかわらず、その風格。まるでこれがいつものトレーニングと言わんばかりの表情だ。
それに加えて特筆すべきは、彼が毎回先頭を走っているのだ。大人としても子どもに負けるわけいにはいかない、という心理でも働いているのかレイの存在はいい具合に刺激になっていた。
「よーし。よし。全員無事に終わったな。では水分補給をしろ。十分後に次のトレーニングに移行するからな」
リディアの目の前にはまるで死体の山が広がっているようだった。全員が激しく呼吸を乱して、その場に伏せっている。
だというのに次のトレーニングがある? その事実から逃げ出したい者はほとんど全員と言ってもいいだろう。
リディアといえばカルテをボードに挟んで全員のタイムなどのデータを取っていた。彼女は理論的に考える人間であり、まずは何よりもデータを重視する。今回のこれも、同様にタイムを取って全員の体力をデータとして保存するつもりだ。
そして彼女の隣にはレイがその小さな足で近寄ってくる。
「レイ。お前はまだやれるな」
「は。もちろんです」
「じゃあ、こいつらが休んでいる間にもう数セット行くか」
「了解いたしました」
目の前でありえない光景が広がっている。大の大人が根をあげているというのに、小さな子どもはさらにトレーニングを続けているのだ。
「はぁ……はぁ……おい、あの子どもはなんなんだ?」
「知らないわよ……はぁ……はぁ……本当に大尉の子どもなんじゃないの?」
「はぁ……はぁ……だよなぁ、でもそう考えるには若すぎるし……」
「それにしても……はぁ……はぁ、まだできるとか化物すぎるだろう」
どうしてこんなにも彼らが疲れているのか。それはやはり、常日頃から魔術に頼り切って訓練をしているから。素の身体能力が低下しているわけではないが、伸び代はまだまだ残っているのだ。
その一方でレイはリディアの教育を三年前から受けている。すぐに魔術の訓練に移行せずに、徹底してその肉体を鍛えられた。その教育もあって、彼の身体能力はすでに軍人でさえも凌駕するものになっていた。
といってもそれはレイの規格外の才能あってこそではあるが。
「よし。レイ、そこまでいい」
「は。了解いたしました」
そうして、レイは軽く汗を拭いながら呼吸を整える。
「さて。次のトレーニングに移行しよう。同じようにインターバルトレーニングになる。心してかかれよ」
『……』
「返事はどうしたッ!!!」
『れ、レンジャー!!!」
まだ地獄は始まったばかりである──。




