第265話 レイとの日々
あれからリディアたちは王国へと戻ることになった。レイの面倒は主にリディアが見ることになり、それはには他の隊員も付き合うことになった。
ちょうど現在は、紛争も少しだけ収まってきたということもあって休暇が与えられることになった。
今まではずっと紛争地帯に赴いての実戦が多かったのだが、ちょうどいい機会ということでレイとの生活を本格的に始めることにした。
しかしそれは、あくまで表向きの理由。
彼の背景には何かがあるに違いない。それもあって軍の上層部はレイを監視下に置くためにも、特殊選抜部隊で面倒を見ることを許可したのだ。
そのような打算的な理由もあるが、純粋にリディアたちは彼を歓迎していた。
「レイ。これからよろしくな」
「……」
新しい家。
軍から用意された寮ではなく、新しく家を借りることにしたリディア。しかしそこには彼女とレイだけが住んでいるわけではない。すぐ隣の部屋には、キャロルとアビーもいる。
彼女たちもレイが気にかかるということで、すぐ隣に部屋を借りたのだ。中でもキャロルは分かるのだが、アビーがそうするとは意外だとリディアは思っていた。
「……うん」
現在はリディアとレイの二人きり。しかしリディアは子育てなどしたことがないし、レイに至ってはそれなりに自我はある。
そのような特殊な状況でどのようにすべきなのか。
リディアはあれから、子育てや教育に関しての書籍を読み込んだり、姉の話を聞いていた。リディアの姉にもまた近い歳の子どもがいた。
彼女に取っては姪に当たる存在で、名前はステラという。そんな姉の話を聞いてみるが、やはり色々と勝手が違うとリディアは思った。
そこで彼女が選択したのは──。
「そうだな。まずは体を動かす事だなっ!!」
そう結論付けた。
体を動かすことは彼女が何よりも好きなことではあるが、気分を上げるためにはもってこいだろう。そう思って、リディアはレイの手を引いて外へと出ていく。
「レイ。外に行こう」
「……うん」
相変わらず「……うん」としか返事をしないレイではあるが、彼女の前ではかなり話すようになってきた。それは互いに惹かれ合っているのか、それとも別の要因があるのか。
ともかく、リディアはこの子どもは自分が導くべきだという使命感に駆られていた。それは本能的なものなのか、それとも義務感なのか、彼女には分かっていない。
しかし唯一わかるのは、レイをこのままにしていいはずがない……ということだった。
「それにしても、暑いな」
「……」
手を引いて歩いていく。二人が目指しているのは、西の森だった。そこはリディアがよく遊び場にしていた場所であり、色々な思い出がある。また魔物も少ないということでその場所を選んだのだ。
もっともリディアならばカフカの森だろうがドグマの森だろうが大丈夫なのだが、流石にレイの安全を考慮してそこを選択した。
森の中に入ると、木漏れ日が二人を照らしつける。真夏ということもあって、汗ばむが森の中はそれなりに涼しい。
「よし、レイ。キャッチボールをするぞ」
「……?」
きょとんと首を傾げる。その様子からするにキャッチボールが何か理解していない様子だった。
リディアは背負っていたバックパックから二人分のグローブとボールを取り出す。片方は大人用でそれなり使い込んであるのが分かる。脂を塗り込んで、しっかりと型がついている。
それは彼女専用のグローブだ。その一方で子ども用の方は新しいものだったが、リディアが手入れをしてそれなりに使えるようになっていた。
型もしっかりとではないが、ついている。
「キャッチボールは、相手にボールを投げて受け取る。それで今度は逆に受け取った奴が投げる。簡単だろ?」
「……うん」
コクリと頷く。
レイはその手に小さなグローブをはめて、ジッとそれを見つめる。不思議そうな顔をしていたが以前よりも気力に満ちているような雰囲気だった。
「よし。ちょっと離れるぞ」
リディアはレイから距離を取ると、ボールを持っている手を掲げる。
「よーし! 投げるぞー!」
いつもは全力で豪速球を放るリディアだが、今回は軽くレイに向かってボールを投げた。そして彼は難なくそれをキャッチすると、すぐにポイッとボールを投げ返した。
「……レイ。キャッチボールしたことあるのか?」
「……」
顔を横に振る。レイはスポーツの類の経験は一切ない。だというのに今の一連の動作はかなりスムーズだった。それは彼の年齢を考慮しなくても、あまりにも綺麗な動作だった。
特にボールを投げるフォームにその球威。
軽く投げているようだが、レイは球はそれなりの球速が出ていた。
「よし! もうちょっと強く投げてこい!」
レイにボールを返すと、彼はそれをキャッチする。そしてリディアの言葉通り、強くボールを投げてみることにする。
経験はない。しかし彼の本能は学習しつつあった。それはリディアの完成された投球フォームを一度見ただけで、学習した内容だ。
そしてレイは左脚を高く上げると、右腕を思い切り振り抜いた。
次の瞬間にはバンッ! と音を立てて彼女のグローブにはレイの球が収まっていた。
「……まじか?」
グローブをじっと見つめて、その後にレイを見つめる。
彼はただいつものように無表情でその場に立ち尽くしていた。その様子からするに自分が何をしたのか、全く理解していないようだった。
「いや……今のは百キロ超えていたような……?」
そう。レイの投げたボール完全に百キロを超えていたのだ。この年の子どもが投げるような球ではない。間違いなくそれは異常である。しかし、ある懸念が頭の中に過ぎる。
──もしかして、魔術による身体強化を無意識にしているのか?
と、ある仮説が脳内に浮かぶ。そう考えなければ、今の投球はあり得ない。元々魔術に対する適性はあるだろうと思っていた。
もちろん、その才覚がこのキャッチボールで分かるとは、夢にも思っていなかったのだが。
「よし。レイ、今度は私がちょっと速い球を投げる。取れるか?」
「……うん」
コクリと頷く。そして、リディアは少しだけ球を速くして投げてみた。レイはそれを難なくキャッチ。それから幾度となく繰り返し、気がつけばほぼ本気でリディアはレイに球を投げ込んでいた。
「うおりゃあああああああああああっ!!」
その雄叫びが森に響いた瞬間、バンッ!! という音がレイのグローブから聞こえてくる。今の球速は百四十キロを超えていた。身体強化なしでリディアにできる最高の球速。
それをレイはまるで当たり前かのようにキャッチした。そしてポイッとリディアに返球をするともう一度グローブを構える。
その表情は無表情ではあるのだが、どこか楽しそうなものだった。
「はははっ! よし、次は変化球をいくぞっ!」
「……うん」
その後。二人は日が暮れるまでキャッチボールをするのだった。いや、途中からそれは間違いなくリディアのピッチングになっていたのだが。
「ふぅ……いい汗かいたなぁ」
「……」
持ってきていた水筒の水をゴクゴクの飲むリディアだが、一方のレイはただじっと彼女のことを見つめていた。
「レイ。お前も飲むか?」
「……うん」
そしてリディアが飲みかけの水を渡すと、レイも少しだけそれを飲んだ。そんな様子を見て微かに彼女は笑みを浮かべた。
「レイ。今日は楽しかったか?」
「……」
その場にしゃがみ込んでレイと視線を合わせる。そしてレイは少しだけ頷く。
「そうか。それはよかった」
頭を撫でる。依然としてその表情に大きな変化はないのだが、レイは前よりはしっかりと反応してきている。
その事実が何よりもリディアは嬉しかった。彼女もレイと出会う前とは違って、少しずつ変わりつつあった。
「帰るか、レイ」
「……うん」
ギュッとその小さな手をリディアは握る。
そして二人は黄昏時の淡い光に照らされながら、帰路へと着くのだった──。




