第216話 決勝戦前夜
決勝戦の前夜、俺は一人で宿舎の一室にいた。今回は明日の試合のために、円形闘技場の隣にある宿舎に泊まることにしたのだ。
そして、先ほどちょうど最後のミーティングを終えたところだった。
決勝戦は間違いなく死闘になる。2ラウンドで試合が決着すればいいが、それも希望的観測に過ぎない。むしろ、1ラウンド落としても平静を保つように二人には伝えてある。
また、この攻城戦というルールの性質上、先に1ラウンドを取った方が有利になる。こちらが先に取れば、残り1ラウンド取れば優勝できるという心理状態になれる上に、相手は後がないということで焦ってしまう。
今までの試合を見ても、先に1ラウンドを取った方が勝率は高い。
魔術師の実力とは、精神という観点も重要な要素になる。その点においては、俺たちのチームは大丈夫だと思っている。俺は少々のことでは動じない自負があるし、アメリアとアリアーヌにもしっかりとこのことは伝えてある。
あとは、しっかりと睡眠を取って明日の試合に備えるだけだ。
現在の時刻は二十一時を回ったところ。まだ寝るには早いが、そろそろ準備をしようと思っていると、コンコンコンと丁寧にノックが三回ほど室内に響いた。
「はい。どちら様でしょうか」
俺は椅子から立ち上がると、ドアへと歩みを進める。そして、ゆっくりとドアを開けると、そこにいたのはアリアーヌだった。
「あ……その、お邪魔でしたでしょうか?」
「何か用事か? 明日の試合のことか?」
「えっと。その……そのこともありますけど……」
要領を得ない。
彼女はいつもハキハキとしているのだが、今は顔を桜色に染めて、忙しなく髪を触っている。
どうやら風呂上がりのようで、髪はわずかに湿っていた。
おそらく、頬がわずかに赤いのはそのせいだろう。
「とりあえず、入るか?」
「あ、ありがとうございます。失礼しますわ」
おずおずとした様子で、彼女は室内に入ってくる。ここは宿舎の一室ということで、十分にもてなすことはできない。
しかし、ちょうど俺は寝る前にホットミルクでも飲もうと思っていたので、それをアリアーヌに渡す。
「ホットミルクだ」
「いいんですの? これはレイが飲むはずでは……」
「構わない。すぐにもう一つ作る」
そして俺は、自分の分のホットミルクも準備をして、椅子に座る。
アリアーヌと机を挟んで向かい合うように座ると、さっそく用件を伺うのだった。
「それで、何かあったのか? もしかして、体調が悪い、または魔術領域に問題が?」
「い、いえっ! 体は大丈夫ですわっ! それに魔術領域も正常ですわっ!」
「それは良かった。では、他に何か?」
そう尋ねると、彼女は少しだけ俯いてしまう。ここで焦って迫るような真似をしてはいけない。それは、なんとなくアリアーヌの雰囲気から察していた。
しばらく時間をおいて、アリアーヌはバッと顔を上げるとその口を開いた。
「試合が終わってしまったら……わたくしはきっと平静を保つことができないと思いますの。だから、先に言いに来たんですの」
「何をだ?」
「お礼、ですわ」
じっと上目使いで俺を見つめると、アリアーヌはその場で深く頭を下げた。
「──今まで、ありがとうございましたわっ!」
それは、今までになく感情のこもった言葉だった。なんと形容していいのかわからないが、俺はそんなアリアーヌの言葉に心を打たれる。
「どういたしまして、と言いたいところだが……そうだな。俺もアリアーヌには伝えておきたいことがある」
「な、なんですの……?」
ポカンとした表情を浮かべる。それは少し驚いているようで、その先の言葉を恐れているようなものでもあった。
俺はそして、自分の思っていることを吐露するのだった。
「こちらこそ、ここまでついてきてくれてありがとう」
「──そ、そんな! わたくしにそんなことを言ってもらう資格はありませんわっ! レイのおかげで、わたくしはここまでこれたのですからっ!」
それはきっと本心なのだろう。慌てて否定するが、アリアーヌの瞳はわずかに潤んでいた。感極まっているのか、いつもよりも声が大きい上に、声色も違う。
だからこそ俺は、さらに言葉を紡ぐ。
「少しだけ、俺の話をしよう。俺は今まで、人の心に触れることが怖かった」
「……」
打って変わって、アリアーヌは話を黙って真剣に聞いてくれる。
アメリアの時もそうだったが、こうして心から思っていることを打ち明けるのはまだ怖いという気持ちもある。しかし、ここまで一緒に戦ってきたアリアーヌには素直に言葉にすることができた。
「学院に入ることで多くの友人と出会うことができた。その中で、人と心を通い合わせることの重要性を学んだ。俺は極東戦役で数々の功績を挙げ、今では七大魔術師が一人、【冰剣の魔術師】に至った。それは確かに、側から見れば偉大な功績なのかもしれない。しかし、まだ俺は人間として途上だった」
「レイが途上、ですの?」
「あぁ。俺はまだ十五歳。アリアーヌと同じだ。境遇は違えど、俺もずっと迷い続けていた。君と同じように」
「それは……」
そうだ。俺はずっと迷っていた。
だが、みんなと出会うことで変わることができた。
魔術剣士競技大会ではアメリアと、文化祭ではレベッカ先輩と、そしてこの大規模魔術戦ではアリアーヌと心を通い合わせることができたと思っている。
人は一人では生きていけない。
その事実を俺は学院に入ることで、改めて学ぶことができたのだ。
俺は確かに、何かを与えることができたのかもしれない。その一方で、俺はみんなにそれ以上の大切なものを与えてもらった気がする。
そんな思いを、アリアーヌに晒した。彼女には伝えておきたかった。
本当は、決勝戦の後に話そうと思っていたのだが、今でないといけない気がしたのだ。
「レイ……あなたは、そんなことを思っていたんですのね」
「あぁ。やはりこうして言葉にしないと、伝わらないからな」
アリアーヌの手にそっと触れる。
彼女の手は、とても温かい。この温もりこそが、人との関係だと俺は思っている。
「ありがとう。アリアーヌ。君のおかげで、俺はさらに成長できたと思っている。この大規模魔術戦に誘ってくれたのは、君だ。俺は元々、出る予定ではなかったからな。しかし、こうして決勝戦まで来て一緒に戦うことができて、本当に楽しかった。それに、同じ喜びを共有することができて嬉しかった。だから──」
少しだけ間を置くと、俺は自然に微笑みを浮かべた。
「──ありがとう、俺を誘ってくれて。アリアーヌと出会うことができて、本当によかった」
すると感極まったのか、ツーっと一筋の涙が零れ落ちるが彼女はそれをすぐに拭った。
きっと、彼女が求める乙女はここでは泣かないのだろう。
いつも理想の自分を求め続け、それは言葉にしているのは知っていた。
彼女なりの、理想の乙女というものがきっとあるのだろう。
「わ、わたくしこそっ! レイと出会うことができて、とても幸せですわ。ありがとうございます。本当に、ありがとうですわっ!」
もう、涙は必要なかった。彼女もまた、ニコリと微笑む。その笑みは今までの中で見たことないほどに、とても魅力に溢れた笑顔だった。
血に染まり続け、奪うことしかできなかった俺がこうしてまた、誰かに何かを与えることができたのなら……きっと、これ以上の幸せはないのだろう──。
◇
扉を開け、アリアーヌは自室へと戻っていた。最後にこちらの方をチラッと向くと、軽く手を振ってから彼女はその先へとパタパタと走っていった。
俺はその姿を見えなくなるまで見続けていた。
「──アメリア。いるんだろう?」
と、声を上げると廊下の角の方から赤い髪が一房だけ出てくるのが見えた。
「……わかってたの?」
「あぁ。扉の前に誰かいる気配は、気がついていた」
「そっか。まぁ、でも……入れる雰囲気じゃなかったし。盗み聞きする気はなかったのよ?」
「もちろん分かっている」
そして、アメリアにも室内に入るかと伺ったが彼女は首を横に振った。
「私はいいわ。実は、アリアーヌの様子が変だから、追いかけに来ただけなの」
「そうだったのか」
「えぇ。でも、あの調子なら大丈夫そうね」
「あぁ」
「それにしても──」
アメリアはどこか虚空を見つめるようにして、凛とした声でその心情を語る。
「アリアーヌも、私と同じだったのね。ずっと思ってた。アリアーヌは私と違って、強い子だって。けどやっぱり、人は言葉にしないと分からないものね」
「あぁ。そのことを教えてくれたのは、アメリア。君だった」
「……懐かしいわね」
「そうだな。もう冬になった」
「私もね、アリアーヌと同じよ。レイと出会うことができて、幸せ。だから、この決勝戦は絶対に勝つわ。私も、あなたに多くのものを与えてもらったのだから」
強い意志が宿った言葉。それに、その双眸には絶対に勝つという意志も垣間見えた。
素直に変わったな、と思う。
魔術剣士競技大会では、その圧力に押し潰されそうになっていた彼女が、こうして決勝戦に立ち向かおうとしている。
その姿を見て、俺はやはり……嬉しいと感じる。
「絶対に勝とう」
「えぇ」
コツンと拳を合わせる。
そして俺たちは、そこで別れる。
去っていく彼女の姿をじっと見つめていたが、アメリアが振り返ることは、もうなかった。
その背中はいつも以上に、大きく見えた。
それぞれの想いを抱いて、俺たちは決勝戦へと臨むのだった。




