第167話 にゃんにゃんにゃん
日曜日の早朝。
俺はいつも通りに目を覚ます。
「……」
エヴィはまだ寝ているようで、大きな寝息を立てている。彼を起こさないように、そっとベッドから降りるといつもと同じように、朝のルーティーンを行う。
そうして時刻が七時になった頃。
今日は一人で街に出かける予定だ。というのも、これからの訓練に際して必要なものを揃えておこうと思っているからだ。
そして、俺は颯爽と寮を後にするのだった。
「もう、冬も近いな……」
周囲を見て、そう呟く。
アーノルド魔術学院から中央区へと通じる坂を下っている際に、両側に植えられている木々が視界に入る。
葉はかなり散ってきており、木々は完全に痩せ細って見える。
それに地面に落ちている落ち葉の数を見れば、それは明白。
いよいよ本格的に、冬が近づいてくる。
それと同時に、大規模魔術戦も迫っている。
現在は身体強化週間ということで、アメリアとアリアーヌを徹底的に鍛え抜いている。
魔術剣士競技大会とは異なり、ルールは拠点占有と攻城戦。それに連戦することもあるだろう。
そのことを踏まえれば、必要以上に体力をつけておくのは悪くないと考えている。
これは極東戦役での経験なのだが、どれだけ卓越した魔術の技量があったとしても、身体が付いてこなければ話にならない。
師匠にも始めは徹底して、基本的な身体能力をあげることを命じられた。
そうしてそれを、今はあの二人に教えているということだ。アメリアは相変わらず、逃亡を謀ろうとするがアリアーヌの説得もあり、二人で頑張っている。
そんな様子を微笑ましく思いながらも、俺は教官として厳しく接し続けている。
「……? あれは?」
純白の髪色した人が、前を歩いている。
間違いなくアルビノだろう。魔術師の世界でも珍しいその存在は、特にこの街中では目立つ。
一瞬、マリアだろうかと思ったが……マリアにしては髪が長い。それに身長も彼女よりも高い。
きっと別人だろう。そう思って歩みを進めると、その女性がくるりと振り返る。
「あぁ。やっぱり、その足音は君だよね。おはよう。レイ=ホワイト」
「えっと……その、もしかして?」
「そっか……そういえば、この姿を見せるのは初めてだったね」
淡々と無表情で彼女は話を続ける。
そう。目の前にいたのは、リーゼロッテ=エーデン。【虚構の魔術師】である。
だが以前は、腰まであるロングストレートの髪に、黒いコートとロングブーツを履いていた。
しかし、今はどうだ。
薄いピンクのブラウスに、真っ青なフレアスカート。靴は茶色いローファーで、手首にはブレスレットをつけている。
間違いなく、流行りに合わせているおしゃれな女性にしか見えない。
髪型も肩先まである、少し長めの内巻きのボブスタイル。
「えっと……エーデンさん」
「リーゼで構わないよ。君と私の仲じゃないか」
「では、リーゼさん」
「なんだい?」
「……その。とてもよくお似合いです」
「ふふっ。ありがとう」
その笑みは、あの時……病院で見たときと同じものだった。
無表情で、無感情。
まるで精巧な人形のような存在。それが魔術師の間で評されている、【虚構の魔術師】だ。
だが今のリーゼさんは、完全に街娘のようにしか見えない。
そして俺たちは、並んで歩みを進める。
「実はキャロル先輩に切ってもらったんだ」
「……なるほど。キャロルは上手いですからね。俺も軍人の時はお世話になっていました」
「それにこの服は、リディア先輩にもらったものでね」
「え……師匠がものをくれたのですか?」
「そうだね」
「珍しいですね……」
基本的に師匠は、人にものを与えない。
他人に厳しい上に、自分にも厳しい。極東戦役で見てきた師匠は、苛烈という言葉を具現化したような人だった。
それが、こうも変わるのか……と驚嘆を覚えずにはいられない。
「私もそうだし、リディア先輩も、そして君もそうだろう?」
「何の話ですか?」
少しだけ感情のこもった声で、リーゼさんは言葉を紡ぐ。
「人は、変わらずにはいられないものだよ」
それを聞いて、やはり彼女には敵わないな……と思った。師匠や他の大人たちは、俺に色々と教えてくれた。そして、リーゼさんにも学ぶものがとても多い。
「そう、ですね。人は良くも悪くも、変化していくものですね」
「あぁ。私の変化も、きっと必然だったのさ。停滞している時間は長かったけどね」
「なるほど」
「それで、これはどうだい?」
「え……っと」
話をしている途中、急に立ち止まると……どこからともなく取り出した、ネコミミを頭に装着する。
確かあれは……以前に、キャロルが街で流行っているからといって俺に無理やりつけようとしてきたもので──もちろん、返り討ちにしたが──記憶にしっかりと残っている。
それを今どうして、このタイミングでつけるのか俺には全く理解できなかった。
「にゃんにゃんにゃん」
瞬間。衝撃が走る。
手を丸めて、猫の手のようにしてポーズを決める姿を見て……俺は思った。
これは、メイド喫茶でのあの伝家の宝刀に通ずるものがあると。
「どうだい?」
「リーゼさん」
「……可愛かった、かな?」
「もう少し、手の角度を変えましょう」
アドバイスをする。俺の中にある、プロであり、スペシャリストである血が騒ぎ始めてしまった。
「まずは、右手の位置はもう少し高く……」
「こう?」
「グッド。そして、左手の位置は対角線上に……そう、そこです」
「おぉ! 」
「そして、右足を軽くあげてください」
「こうかな?」
「エクセレント。その形を忘れないでください」
その場でパチパチと拍手を送る。
今のリーゼさんは間違いなく、魅力的な猫そのものだった。
街ゆく人たちも、そんな彼女の姿に見惚れているようだ。
「レイ=ホワイト。君はどうやら、そっちの才能があるようだね。勉強になったよ」
スッと猫耳を外すと、彼女は軽く頭を下げる。
「いえ。自分は当然のことをしたまでです」
「リディア先輩に見せた時は、まだ早いと言われたけど……これなら、しっかりと披露できそうだね」
「間違いありません。今度一緒に、師匠の元に行きましょう」
「ふふっ。それもそうだね」
口元に手を持っていき、微笑を浮かべる。
何だかリーゼさんとはとても話が合う気がした。あの病院で出会った時よりも、親しみやすいというべきか。
そして俺は、元々彼女にはあるお願いがあった。
今日、出会うことができたのは偶然だが、ここはそれに感謝して頼み事をしたいと思っている。
「リーゼさん。お時間あるのでしたら、少しいいですか?」
「構わないよ」
「では、あちらの店に」
二人で入るのは、早朝から開店しているカフェだった。
モーニングセットを注文すると早速、話題を切り出す。
「単刀直入にいいます。アメリアのことを、指導してはもらえないでしょうか」
「アメリア=ローズか。なるほど。因果律蝶々だね」
「はい」
今までは俺が適宜指導はしていたが、やはり限界がある。俺は因果に干渉することのできる固有魔術は有していない。
そのため、指導になると基本的な魔術の話をすることしかできない。
身体強化週間が終了すれば、本格的な魔術の訓練に入る。そこで、少しだけでもリーゼさんに頼めないかと思っている。
「……確かに、因果に干渉する固有魔術は強力過ぎる。実は、会長にも一度見てやってほしいと頼まれているんだ」
「でしたら?」
「引き受けてもいい。けど、一つ条件がある」
「何でしょうか?」
人差し指をピッと立てると、このように条件を提示してきた。
「また私と一緒に、こうして同じ時間を過ごしてほしい。君といると、何か掴めそうな気がするんだ」
「そんなことでしたら、お安い御用です」
「ふふっ。君の周りは、本当に面白いからね」
「気がついていたんですか?」
「当たり前だろう。伊達に、七大魔術師じゃないさ」
と、その場から立ち上げるとカフェの一角に歩みを進める。
「やぁ。少女たち。大人の密会を覗くなんて、いい趣味をしているね」
話しかけるのは、三人の人間。
アメリア、アリアーヌ、レベッカ先輩。
その三人が俺たちをつけているのは、初めからわかっていたのだ。
あの人もそこでそれを追求するとは、人が悪い。
そんなことを思いながら、その三人とも合流するのだった。




