第159話 にゃんにゃん
木漏れ日が差す日中。
王国の西区にある森の中、一人の女性が歩みを進める。
現在は秋も深まってきており、落ち葉が大量に地面に落ちている。
といっても、まだ完全には落ちきってはいないが、それでも木々は痩せ細っているように見える。
クシャ、とその落ち葉を踏みしめながら彼女は迷いなく足を動かす。
栗色の茶色い髪に、シンプルにブラウスとロングスカートでまとめている彼女はとても清楚に見える。その艶やかな髪は、後ろで一つにまとめられており、爽やかな印象だ。
「さて、ここかな」
辿り着いたのは、豪華な洋館。
彼女はドアを三回ほどノックする。
すると、中から出てきたのはカーラだった。
「はい。どちら様でしょうか」
毅然とした態度でカーラは応じる。決して敵視しているわけではないが、初対面の人間ということである程度は警戒しているのだ。
「リーゼロッテが来たと、リディア先輩に伝えてもらえれば」
「……かしこまりました」
そう。
この場にやってきていた女性は、リーゼロッテ=エーデン。
現七大魔術師の一人であり、二つ名は【虚構の魔術師】。
そんな彼女がどうして、リディアのもとにやって来たのか。
それはとある理由からだった。
元々リーゼロッテは他者との関わり合いを持たない。十年前にエヴァンと別れてからは、ずっと他者に成り変わっていたからだ。
だが、エヴァンを自らの手で殺し、レイと出会うことで彼女の心境には変化が生じていた。本当の姿で、人と話してみたいと。
そのような背景から、リーゼロッテは遥々この場所にやって来たのだ。
「主人から確認が取れました。どうぞ、お入りください」
「失礼します」
そう言って入ると同時に、その容姿は純白の長髪、真っ赤な双眸、いつもの漆黒のロングコートに、ロングブーツの装いに変化する。
今まで容姿を変えていたのは、街中では何かと目立つからだ。
だがその頭には、奇妙なものが載っていた。
「こんにちは。リディア先輩。この前ぶりですね」
「それは……なんだ?」
「ネコミミ、というものらしいです。世間で流行っているとのことなので、購入してみました。にゃんにゃん。可愛いですか?」
ネコミミをつけたまま、手を丸めて猫の手のポーズを決める。それにわざわざ「にゃんにゃん」と言葉にする姿を見て……リディアは額に手を当てる。
無表情。声にも感情はこもっていない。
どうやら、こいつは勘違いをしている、とリディアは内心で思う。
「……無表情な上に、無感情でやられても、反応に困るだけだ。お前にはまだ早い」
「そうですか」
スッとネコミミを取り外すと、それをコートの内側にしまう。
彼女としては全く気にしていないようだった。
「……リーゼ。こうしてまともに話すのは、数年ぶりだな」
「はい。この前は、他にも人がいましたからね」
「まぁかけろ」
「失礼します」
リディアは決して歓迎していないわけではなかった。
二人は机を挟んで向かい合う。それとほぼ同時に、カーラが紅茶を運んでくる。
「紅茶になります」
「ありがとうございます」
ニコリと微笑むリーゼロッテは、すぐに紅茶に口をつけた。
「美味しいですね」
「恐縮です」
そしてカーラは、リディアの後ろで控える。
リーゼロッテは席を外してほしい、とは言わなかった。それは別に、カーラに話を聞かれても問題ない……と判断したからだ。
「で、何のようだ?」
「先輩のもとに遊びに来ては行けませんか?」
「今までお前は、私の元に遊びに来たことがあったのか?」
「いえ。ありません」
真顔で告げるリーゼロッテだが、そんな様子をリディアは訝しげに見つめる。
「ならば、用事があって来たと考えるべきだろう」
「はは。それもそうですね、先輩」
「……」
やれやれ、と言わんばかりにリディアは首を振る。
元々二人が出会ったのは、軍の中が初めてだ。年齢は、一つだけ離れている。
リディアが二十九歳。リーゼロッテが二十八歳。
互いに飛び級をして、アーノルド魔術学院に入っているが、実際の学年は三年ほど離れている。
リディア、アビー、キャロルの三人は早期に飛び級を選択した。
一方のリーゼロッテはギリギリまで飛び級を選択しなかった。最後は両親の説得、それに学院の教師の説得によって、仕方がなく飛び級で入学した……というのが彼女の場合である。
そして、唯一被っている一年間の間でリーゼロッテはリディアたちとは関わりを持たなかった。当時は、それほど人に興味がなかった上に、リディアたちも四年生ということで学院にはあまり来ていなかったからだ。
そしてリディアたち三人が軍人となり、リーゼロッテが研究者となった時、初めて出会った。
当時から彼女は思っていたが、リーゼロッテはどこかおかしいと……そう感じていた。
基本的には無感情。だが、急に誰かに成り変わったような振る舞いを見せる。
それに、容姿も魔術で変えていることが多く、彼女の本質を掴むことはできなかった。
それが今こうして、本当の姿で来ているのだから多少なりとも驚いているのが実際のところだ。
「リーゼ。その姿でいてもいいのか?」
「はい。私も、心境の変化がありましたので」
「エヴァン=ベルンシュタインのことか?」
「……そう、ですね」
歯切れが悪い。
だが、すでに割り切っているリーゼロッテはそのまま話を続ける。
「今まで私は自分には何の感情もない、ただのサイコパスだと自覚していました。しかし、エヴァンが死んで思うのです。この胸に空いてしまった、穴は何だろう……と。もしかしたらこれが、寂しい……という感情なのかもしれません」
「そうかもしれないな」
「ははは。馬鹿ですよね。今さら、こんな感情に気がつくなんて。でも、やっぱり涙は出なかった。愛する人を自分で殺したというのに、涙は出ません。悲しみよりも、寂しいという気持ちの方が募るのです」
その表情は、リディアが初めて見るものだった。
掴みどころがなく、何を考えているかわからない。
虚構の魔術師と出会った者は皆が口を揃えてこのように言う。
──薄気味悪い、人形のようだと。
だが今の彼女は、人間らしく思える。リディアはそう感じていた。
「……お前も成長しているみたいだな」
「そうだといいですけどね」
「で、私にそれを話しに来たのか?」
「それもありますが、問題は彼のことです」
「彼?」
リディアは眉を顰める。
「レイ=ホワイト。大切に育てているようですね」
「……レイはやらんぞ」
「ははは! やっぱり先輩は面白いなぁ……」
レイの話になった途端、視線を鋭くした彼女を見て笑い声を上げるリーゼロッテ。
だが、それは本物の殺気。一般人だけでなく、きっと並の魔術師でさえも震え上がってしまうその殺気を、笑って受け流す。
「彼、出場するそうですね」
「大規模魔術戦の話か?」
「はい。私が気になるのは、彼を表舞台に出していいのか……ということです」
「……それは」
迷う。言葉を選ぶリディアはしばらく沈黙する。
だがレイが相談に来た時に、好きにしろと言ったリディアはすぐに言葉を続ける。
「レイはもう、自分で進むことができる」
「……」
「裁量に関しては、完全に任せている。助言は確かにする。だが、最後に決めるのはレイ自身だ」
「……羨ましいですね」
リーゼロッテは、ふっと顔を緩ませる。
「彼は愛されている。それも、先輩だけじゃない。数多くの人に。きっと、人を引き付ける何かがあるんでしょうね」
「……それは否定しないが」
「どうかしましたか?」
リディアの顔が若干歪む。それを見て、リーゼロッテはただ事ではないかもしれないと感じ取る。
「あいつの周り、女がちょっと多すぎやしないか?」
「……」
珍しく、いや人生で初めてリーゼロッテは呆けてしまう。まさかあの厳格なリディアからそんな話が出るとは、思ってもみなかったからだ。
「おい。何だその呆れたかのような顔は」
「いえ。親バカだな、と思っただけです」
「ほぉ……言うじゃないか」
ポキポキと手を鳴らすので、とりあえず彼女は否定しておいた。流石にある程度は空気というものは読むことができる。
「嘘ですよ。で、それが何か問題でも? 男性であろうと、女性であろうと、人に囲まれているのは良いことでは?」
「いや……しかし……」
「しかし?」
「レイのことを狙っている奴が、多いかもしれないんだっ!」
再び呆れた顔をするリーゼロッテだが、それに気がつかずにリディアは独り言のように話を進める。
「最近はレベッカ=ブラッドリィも怪しいと思っている」
「はぁ……」
「レイは確かに、私が育てただけあってかなり優秀だ」
「……そうですね」
「性格は少し真面目すぎるが、それを踏まえても素晴らしい男だ」
「……まぁ、はい」
「何だ? うちのレイに文句があるのか?」
「いえ。ご指摘の通りかと」
「何!? まさか、レイを狙っているのか!? 許さんぞ……」
内心で思う。
──めんどくさすぎる……と。
リディアがレイを弟子として愛しているのは知っている。しかし、まさかここまでとは予想もしていなかったので、流石に面食らってしまう。
「それでレイが……」
その後、数十分に亘ってレイの話を聞き続け、彼女はまた新しい感情を学ぶのだった。




