第121話 暗闇の中で
地下室にいる一人の男。それはモルスであり、彼は酒を喉に流し込んでいた。決して高い酒ではない。ただ彼は、アルコールを飲む時の特有の感覚が好きなだけ。
そして、僅かに灯る明かりの元で彼はノートを広げて情報を整理していた。
そんな時だった。扉が開くと、中に入って来たのは巨体の男。
パラが帰ってきたのである。少しだけ雨に濡れており、それを軽く払う。そしてテーブルに着くと、彼もまたグラスを持ってきてからテーブルにある酒を注ぐ。
ノートから視線を外すと、向き合って座っているパラの方に顔を向ける。
「どうでしたか?」
「俺はまだ信じられねぇな」
モルスが尋ねると、吐き捨てるようにパラは言った。
それと同時に、グラスを乱暴にドンッとテーブルに叩きつける。幸いなことに、力加減はしたのだろう。グラスにはヒビなどは入っていなかった。
「……情報は確かなものとは思いますが」
「別にお前のことを疑っているわけじゃあない。ただ俺には、普通のガキにしか見えなかった」
「そうですか」
モルスの情報。
それはレイ=ホワイトこそが【冰剣の魔術師】であると言うものだ。
かなり厳重な情報規制が敷かれていたが、それを何とか突破して手に入れた情報。使い捨てにした人間は、数知れず。だが彼はそのことに対して何も思うことはない。むしろ、自分のために使われてよかっただろう……程度にしか思っていない。
そしてその情報をパラに伝えると、彼は早速レイのことを探りに行ったのだ。
先ほどすれ違ったのは、偶然ではない。故意にレイのことをつけていたからこそ。その後も、後を追い続けて今こうして帰ってきたと言うのが現状だ。
「ただ」
「ただ?」
「あのガキが只者じゃねぇのは分かる」
「ほぅ……」
息を漏らすモルス。そしてパラは所感を述べる。
「俺は一見すれば、相手の技量は理解できる。漏れ出る第一質料の質で理解できるからな。だがあいつの底を見ることはできなかった。それに身のこなしと俺の視線に気が付く技量。何もねぇただのガキの可能性もある。ただ、その逆もあり得る。まだ確信はねぇが、あいつが冰剣の可能性はゼロじゃねぇ。そう思っている」
「なるほど。素晴らしい分析です。僕もあの少年のことは目撃していますが、確かに尋常ではない雰囲気を纏っていると思っていました」
「はっ。世界は広いよなぁ……あんなガキが【冰剣】かも知れないんだぜ?」
「そうですね。まだまだ、世界とは広い。そしてその真理にたどり着くこともできていない」
二人で語り合う。
百戦錬磨の二人がそう評価するのだ。
間違いなく、レイ=ホワイトが冰剣であると少なくともモルスは睨んでいる。そして彼はその戦力を決して過小評価しない。
なぜならば、冰剣とはそれほどの魔術師だからだ。
リディア=エインズワースは、優生機関の中でも最重要人物。彼女のために、上のポストはまだ空いているほどには、リディアは評価されている。
魔術師としての実戦能力に加えて、研究者としての実績も超一流。そんな彼女は表の世界でも有名であり、裏の世界でも有名だった。それこそ、誰もがそんなリディアを欲した。
だが彼女は一筋縄ではいかない性格。そもそも、優生機関の思想に染まるような人間ではなかったのだ。
そんな彼女が育てたと言う、当代の【冰剣の魔術師】。
噂はすでに全てかき集めた。
学院に潜入していた、ヘレナ=グレイディを完封し、さらには死神にも完勝している。おおよそ、学生とは思えない実績。しかしそれは、【冰剣の魔術師】ならば可能と思ってしまう。
それと同時に思う。彼は一般人だ。
だが本当に、一般人がそこまでの領域に辿り着けるのか。世界最高峰の才能があるのは、間違いない。疑いようがない。
だからこそモルスは考える。レイ=ホワイトは異質であると。
「レイ=ホワイト。最大の障害になるかも知れません」
「……灼熱や幻惑よりもか?」
「当代の冰剣はあまりにも異質すぎる」
「相手は俺がしてもいいか?」
「……いいのですか?」
「あぁ。元々お前は、あいつの相手をする予定だろ」
「そうですね。助かります」
そっと触れる胸元。
その下に眠っているのは、傷跡。大きく縦に裂かれたであろうとそれは、普通の人間が見れば卒倒してしまうに違いない。
「十年。十年も経ちました」
「……」
独り言のように語るモルス。
そんな様子をパラはただ、黙って見守る。酒を飲みながら、その狂気に染まる表情を見つめる。
「もう少しで、僕は成し遂げることができます」
十年。
モルスの因縁は、十年前に始まった。
そしてそれは奇しくも、レベッカ=ブラッドリィを中心にして始まっている。
「レベッカ=ブラッドリィ。彼女の覚醒も、近い」
「そうなのか?」
「はい。すでに確認済みです」
「ま、俺はそっちはどうでもいいが。興味はあるな。確か名称は……」
「──アーカーシャ」
「そうだ。それだ」
モルスはその問いにノータイムで答えた。
「ブラッドリィ家だけが持つそれは、世界を変革するにふさわしいものです」
「それはそれで楽しみだな」
ニヤリと笑うパラ。
彼もまた滾っていた。今回の仕事の依頼は正直言って、割りに合うかどうか分からない。はっきり言えば、どれだけ金を積まれても見合うかどうか不明。
七大魔術師が三人も出て来るとは、流石のパラであっても躊躇してしまう。ではなぜ、彼がその仕事を受けたのか。
それは好奇心。
この世界は単調すぎる。彼はそう思っていた。協会所属である魔術師をやめ、裏の世界に身を落とした。始めは刺激的な日々だった。魔術で殺しを重ねる日々は、最高だった。
そして彼は、魔術師としての技量を高めていく。
殺すことを目的とした魔術は、まだ天井知らず。彼はただ、求めていた。この渇きをどうにかするために、この仕事を受けた。
その中でも、パラが求めているのはただ一人。
【冰剣の魔術師】
彼は、リディア=エインズワースと実は極東戦役で戦ったことがあった。その時はあえなく敗北。命を拾ったのは奇跡と言ってもいいだろう。
そして知った。七大魔術師とは、世界最高峰とは、この場所なのだと。焦がれ続けるその想い。パラもまた、モルスと同様に目的があったのだ。
「ははは……ヤベェ。手が震えてきやがった」
「武者震いですか?」
「わからねぇ……もしかしたら、あの時のことを思い出しているかもな」
「極東戦役ですか?」
「あぁ……あれはまじでヤベェ戦争だった。そしてその中で戦果を上げ続けていた、あの女は化け物だった」
「リディア=エンズワース。今は療養していると聞きますが」
「でもいいさ。俺が相対するのは、最強じゃなくちゃならねぇ……」
もう一度、震える手で酒を飲む。
モルスとパラ。
二人にはそれぞれの因縁があった。それは奇しくも、アーノルド魔術学院に集中していた。
迫る文化祭。
それはちょうどいいタイミングだった。レベッカ=ブラッドリィのことを知り、ブラッドリィ家の秘密を握ったモルス。そして過去の因縁を持つ、二人。
それはまるで誰かが意図的に用意したかのような舞台。
その幸運に、モルスは感謝していた。
自分は運がいい……と。そう思っていた。
十年前のあの日から、彼はずっと失意の底にいた。この魔術師の世界の最底辺、いやそれは闇とも形容すべきか。そこで彼はひたすらに足掻き続けて、やっとここまでたどり着いた。
もう少し。
もう少しだ。
後もう少しで、たどり着くことができる。
そしてあいつに復讐を果たすのだと。
モルスはそう誓ったのだから。
「……さぁ。行きましょうか」
迫る悪意。
蠢く意志。
アーノルド魔術学院での文化祭。それは大きな転機になる。
レイ=ホワイト。
レベッカ=ブラッドリィ。
マリア=ブラッドリィ。
そしてモルスにパラ。さらには、ブラッドリィ家。
舞台は完全に整った。お膳立ても全て終了している。
準備は万全だ。あらゆるケースを想定して、失敗がないように下見も重ねた。
そこに隙などありはしない。
モルスはこの計画の成功をすでに確信していた。だが驕ることはない。彼は謙虚さもまた、兼ね備えていたのだから。
こうして、運命の文化祭が幕を開ける。




