533回目の世界
珍しい事もあるものだ。レアルが困惑している。どうして〈魂〉があるのか、と言われても。何を今更言っている。貴様は初めから〈魂〉を持っていただろう。管理者に〈魂〉は無いはずだと言うが、それも今更だろう。我らは〈システム〉であり〈在り方〉によって存在している。急に騒ぎ出して狂ったのか。そうであるとしても、関係は無い。正常であろうとも奇行を繰り返している。狂ってしまえば、逆に正常になるかもしれない。
イニシエンだが、奴の〈従者〉は問題なく〈世界転生システム〉に組み込まれたようだ。しかし、我らのように効率的な運用は出来ていない。やはり、頭が足りていないのではないだろうか。導く存在としての役割を全う出来ているのか、心配になってしまう。
それとは逆に、メビウスは許す存在としての活動は、安定して行っているらしいが、何をしているのか理解は出来ない。そもそも、奴は基本的に表立って行動しない。いつかの世界のように、生きる道をひっそりと示すようだ。イニシエンの導く存在と何が違うのか、そう思う事もあるが、何か明確な違いがあるという。
我らは、自然を、環境を管理する。生かすための土台を作るのだ。そのうえで、レアルは、文明を、技術を促す。いわば、循環を造り出している。動かぬ水は腐っていくように、世界にも変化が必要らしい。この点では、安定と変化という対比が生じるのだろう。しかし、メビウスとイニシエンでは、役割が似ているように見える。
メビウスが言うには、許すというのは、心を守る事。我が環境を管理するように、奴は人の思想を管理する役割があると言っていた。しかし、それは精神の鎮静化を促すという。逆に、イニシエンは未来への活力を与える側であり、精神を動的にするという。かつての世界で、森の住民たちがやけに行動的であったのは、奴の仕業という事か。
もう一つ、メビウスの事だが。奴も〈従者〉を作っていたようだ。しかし、いつの間に作っていた。それも、どうやって作った。権限を核にするのは、共通ではあるが、生命力で肉体を構築しているにしても、肉体を与えたにしても、存在が薄すぎる。そのどちらもあり得ない。何故、その薄さで存在しているのか、一体何をすればそうなるのか。
想いは肉体をも凌駕すると、メビウスは言っていた。世界に認識されずとも、存在する事は可能なのだと。そんなことはあり得ない筈だ。我らでさえ、世界に認識されて存在している。〈魂〉も〈在り方〉も、それは世界に認識される為に必要な要素。奴の従者は存在は薄いが、間違いなく〈在り方〉によって存在している。このようなもの、詭弁でしかない。




