秋月氏
――――――――――――1553年3月1日 塚崎城――――――――――――
「御屋形様、お呼びと伺い参上いたしました」
そう言って成幸と智正が頭を下げる。
「うむ、よく来てくれたな。成幸・智正。今日は仕事を頼もうと思ってな。それより長崎はどうなっている」
答えたのは成幸の方だった。
「なかなか栄えているようです。特に南蛮船が来るようになってからは遠方からも商人が来るようになりました。さらに博多が我らの支配下にはいったことで博多との取引も増えました。これからますます発展していくことでしょう」
「そうか。これで門司と坊津を手に入れることができればより儲けることができるな。まぁそんなことをしたら大友・大内・島津という西国の名門が一斉に我らの敵になるがな」
「しかし御屋形様の目指す九州統一のためにはいずれ敵対するのでは?」
それもそうなんだけどな。
「どうせならば一斉にではなく段階的に敵対していきたいのだ。まずは大内、次は大友、最後は島津」
「大内が最初ですか」
あれ?意外かな。
「しかし先程上げた大名の中では大内が最も力を持っていますぞ。兵の数は30000以上を動員する大大名。対して大友は20000も動員できません。島津に至っては10000も動員できないでしょう。なのになぜ大内が最初なのでしょうか」
「大内には尼子という宿敵がいる。それに晴賢が実権を握っていることに不満を持っている者が多いだろう。そこをあの毛利が見逃すはずがない」
「毛利ですか」
智正が意外そうに首をかしげる。そうだろうな。今の毛利はせいぜい4000の兵しか動かせない国人衆の独りだ。正直そんな小さい国人で尼子大内に囲まれながらよく大きくなれたよな。
「そうだ。ま、いずれはっきりする。そろそろ仕事の話をするか」
「はっ」
「まずは成幸だが篠原城を改築してもらう。あの城は筑後統治の中心として使っていきたいと思っている。九州一の大きな城に作り替えてほしい」
「はっ。かしこまりました」
筑後・筑前を完全に惟宗のものにできたらあの城を居城にしようかな。あの城は筑後川と支流の宝満川の合流地点にも薩摩街道にも近い。交通の便は良かったはずだ。
「次は智正だが領内の民を使って豊後の様子を知らせてほしい」
「豊後の様子ですか?それは多聞衆の仕事では」
「そうなのだがその多聞衆の報告で義鎮がキリスト教にはまっていると話を聞いてな。信徒の事は同じ信徒からの知らせの方がより詳しく聞けると思ってな」
「かしこまりました」
さっさと寺社を破壊しないかな。そうすれば一気に大友を見限る家臣も増えるだろうな。
―――――――――1553年3月20日 大友館 臼杵鑑続―――――――――
「御屋形様、失礼いたします」
そう言って御屋形様の部屋に入る。部屋の中には既に鑑連殿と吉岡長増殿がいた。
「遅れてしまい申し訳ございませぬ」
「構わん。それより鑑連、報告をしてくれ」
「はっ、報告いたします。先頃、某の配下より筑前の方で不穏な動きがあるとの報告がありました」
「筑前ということは惟宗が何か動いたか」
「いえ、違いまする」
「そうか」
御屋形様は少し不満げに鼻を鳴らす。鑑連殿の娘が嫁に行っているというのになんと無神経な。一番の味方であるはずの傅役の親誠が裏切るわけよ。鑑連殿も少し顔をしかめられている。
「続けさせていただきます。筑前の不穏な動きの原因は秋月にございます。秋月は大友・大内が混乱している最中に嘉麻・穂波・夜須郡に勢力を伸ばしています。しかし惟宗の台頭、大友・大内の内乱の鎮圧により筑前内でこれ以上勢力を伸ばすことはできません。そのため次に目をつけたのは半独立状態にある豊前の他紋衆たちです。彼らは大友に属しているとはいえこちらに対してあまり好ましくない態度をとっています」
少し言葉を濁したがようは舐められているということだろう。やはり多少なりとも罰を与えるべきだっただろうか。
「その他紋衆たちを秋月が攻めると言いたいのか」
「はっ。そのような動きをしているのは事実です。秋月は惟宗という大大名がとなりにいます。惟宗に対抗するためにも弱いところから奪おうとするのは仕方がないかと」
「鑑連っ。大友が弱いというか!」
「少なくともそう思われているでしょうな。家督争いも惟宗の力でやっと勝つことができた、今代の大友屋形は大したことがないと」
「儂が勝ったのはデウスのおかげだ。断じて惟宗の力ではない」
御屋形様が鑑連殿に対して怒鳴るが当の鑑連殿は涼しげな顔をしている。
「御屋形様。御屋形様がどう思うかではなくほかの他紋衆がどう思うかが大事なのです」
そう言ったのは今まで黙っていた長増殿だった。
「たとえ南蛮の神の加護で勝てたとしても証明する手立てはございませぬ。そして人というものは都合のよいように物事を考えてしまうもの。御屋形様の事を侮るのは仕方がないことかと」
「ふん、報告を続けよ」
「はっ。秋月が豊前に兵を進めようとしているのにはほかにも理由があります。それは島津家の御家騒動も終結に向かっているからです。今まで反抗していた薩州の島津実休が病にかかりいつ倒れてもおかしくありませぬ。そして島津は惟宗とあまり仲は良くありませぬ。必然的に惟宗の目は南に向きます。その隙に豊前をと考えているかと」
島津か。あそこは領民が税が安い惟宗に逃げようとしてると聞いたことがある。それが仲の悪い理由だろうか。
「それでこれからどう動くべきと思う」
「秋月に豊前を攻めさせ他紋衆を数名潰してもらいましょう。その後大友が秋月を潰せば他紋衆衆も御屋形様の事を認めるはずです」




