熊次郎
――――――――――1546年3月1日 塚崎城 北原頼氏――――――――――
「お呼びでしょうか」
国康様に夜中に自室に来るよう命じられたがいったい何の用なのだろうか。
昨年は周りの予想に反して外に攻めることなく検地や湊の整備など内政に力を入れられていた。そして裏では少弐が暴発するようあらゆる手を使ったが少弐は動き出さなかった。国康様は早く戦をしたいが大義名分が見つからずいらだっておられるだろう。
「来たか。まずは肥前の国人たちと少弐・大友の様子を報告をしてくれ」
「はっ。少弐は際の騒動の失敗で冬尚の力が落ち頼周と資誠の力が強まっています。そのことをよく思わないものが多数いるようです。冬尚は自分の思うようにならないからか昼間から酒におぼれています」
「現状に不満を持つ者は誰を頼ろうとしている」
「神代勝利を頼ろうとするものが多いようです。ですが山内の中でも意見が纏まっていないようです」
「国人たちに調略をかけることはできるか」
「はっ」
おそらく半数近くはこちらにつくのではないだろうか。千葉と龍造寺も少弐が滅べばこちらに降るだろう。肥前統一まであと少しといったところか。
「千葉や龍造寺はどのような様子だ」
「千葉は彦法師の元服の際に国康様に烏帽子親をしていただくのはどうかという意見が出ています。龍造寺は家臣たちが家兼と胤栄とどちらに味方をするべきか迷っているようですが清房が胤栄に味方すると判明した時点で胤栄に味方するものが増えました」
「家兼はどうしている」
「鑑盛に援助をしてもらえるよう掛け合っているようですがあまりうまくいっていないようです。また最近は体の方にも不安が出てきたようです」
確かなことは言えないが家兼の寿命は持って半年だろう。その後はどのように動くか。おそらく円月坊、いや今は還俗して胤信だったか。胤信が継ぐことになるだろう。だが鑑盛がいつまで龍造寺一族を置いておくことができるか。
「大友はどうだ」
「近々、西園寺攻めを行うようです。ですが嫡男との仲が険悪になり三男の塩市丸を溺愛し始めました」
「義鎮はどうしている」
「昨年の肥前での仕置きにかなりの不満を持っているようです。また傅役の入田親誠とも不仲になってきたようです」
「廃嫡ということになりそうか」
「場合によってはあり得るかと」
だがそのようなことになれば義鎮も黙ってはいないだろう。場合によっては大友を二つにした争いが起きるかもしれん。
「ま、まだ塩市丸は幼い。まだ先の事だろうな。そのころには少弐をつぶし肥前を統一できているだろう。我らが介入することが出来るようになるな」
「そうしなければなりませぬな」
―――――――――1546年4月15日 塚崎城 熊次郎―――――――――
「敵志乱萃、不虞、坤下兌上之象、利其不自主而取之。これは兵法三十六計の一つ、声東撃西の本文で敵の士気が乱れ落ち、判断して行動できていないときは坤下兌上、すなわち澤地萃の象である。敵が統制を失ったのを利用して、勝利を収めよという意味です。澤地萃とは澤が地の上にあって決壊が近い様子の事です。この策は陽動作戦の一つで東で声を発してそちらに主力がいると見せかけ、実際は西で撃つという戦術です」
また爺が兵法の事を話しています。正直なところ兵法の話は嫌いです。母上が、僕が兄上のように乱暴になるのではないかと心配しているからです。なのに爺は武家のものが兵法を学ばないのはお家のためにならないと言って無理やりしているのです。
「国康様はこの策を用いて壱岐国随一の堅城、生池城を落とされました」
またこの話です。爺は事あるごとに兄上のことを褒めます。兄上とはあまり話すことはありません。戦に出ていない時に一緒にご飯を食べるぐらいです。周りから話を聞くと戦では負け無しで素晴らしい方だと言います。ですが私は兄上のことが少し怖いです。
「熊次郎様、聞いておられますか」
「えっ、はい」
「まったく、そのようなことでは国康様のような名将にはなれませんぞ」
「はい。分かりました」
「いいえ、分かっておりませぬ。惟宗は近年急激に大きくなりました。そのことをよく思っていない勢力もいましょう。つまり敵が次から次に現れるのです。それを防ぎ惟宗を守るためにも熊次郎様にはよき将になってもらわねばならないのです」
「惟宗を守る・・・」
僕の苗字は最近、宗から惟宗という苗字になりました。母上は良いことだと喜んでいました。朝臣というのはとても偉いそうです。
「入るぞ」
「これは国康様」
「兄上!」
珍しいです。この時間、兄上はいつも当主の仕事をしていると聞いたことがあります。
「熊次郎、勉強ははかどっているか」
「はい、今は兵法三十六計の話を聞いていたところです」
「そうか、しっかり盛長の話を聞いて勉学に励むのだぞ」
「はい」
「盛長も頼んだぞ」
「はっ」
兄上は一体何をしに来たのでしょう。様子を見に来ただけでしょうか?
「羨ましいな、学べる時に学べる。俺はすぐに当主になったから学ぶ時間がなかった」
兄上が少し寂しそうに呟きました。そう言えば母上が兄上とはあまり遊ばなかったと言っていました。当主というのはそんなに大変なのでしょう。
「兄上も一緒に勉強しませんか」
気がついたらそんなことを言っていました。兄上も爺も驚いた顔をしています。
「いいのか」
「はい、兄上と一緒に勉強したいです」
「そうか、では俺も参加するか」
兄上は嬉しそうにうなずかれました。先ほどまで怖いと思っていたのが不思議と消えていました。
「おぉ、そうだ。実はもう1人ともに勉強しようとしているものがあるのだった」
「それは誰ですか」
「最近我らの配下となった千葉氏の当主、彦法師だ」




