治天の君
――――――――1630年2月15日 六条三筋町 古川成久――――――――
えっと、この店のはずなんだが・・・いたいた。
「お隣失礼します」
そう言って相手の返事を待たずに隣に座る。そばをすすっていた相手は驚いたようにこちらを見る。
「貴様はたしか」
「新撰組京都五番隊組長、古川成久と申します。近衛信尋様でお間違いないですね」
しかし驚きたいのはこっちのほうだ。まさか摂関家の当主がこのようなところでそばをすすっているとは思わなかった。
「なぜここがわかった」
「ここは株式会社九十九傘下の蕎麦屋ですよ。あまり仲がよろしくないとはいえ、摂関家の御当主に何か粗相をしてはいけないと上から指示が出ているとか。近衛様ももう少しご自分の影響力をお考えになられたほうがよろしいかと」
情報収集をし始めてすぐにこの店は特定できた。この店は近衛様が贔屓にしている吉野太夫の店に近い。よく吉野太夫を訪れる前か後にこの蕎麦屋に立ち寄るらしい。
「所詮飾り物の当主よ。どこに行こうと誰も気にすることはない」
「そのようなことはございますまい。院ともよくお会いになっていると聞いています」
「それで、その院とよく会っている麿に何の用で」
「いろいろ伺いたいことがございまして。まずは院が幕府に要求してきた件ですが」
「ああ、あの領地をいくらかよこせとかいう厚かましい要求か」
やはり近衛様と院との間は外から見ているよりよくないのだな。
「どうせ断るのであろう。院もそのことはわかりきっていた」
「治天の君の判断次第と返事するようです。いまごろ洞院様が使者として向かわれています」
「なに?」
怪訝そうな顔でこちらを見る。
「つまり院が帝に頭を下げよと申すか」
「その発言、帝こそ治天の君と認めておられるのですな」
「それは幕府が・・・ああ、そう言うことか。つまり院の口から治天の君は帝であると言わせたいということか」
治天の君は実質的な権力を握られている帝ないし院のことを指す。つまり今はお互いが自らこそ治天の君なりと言い争っている状態らしい。そこで一条様は院政を否定するために治天の君は帝であると院に言わせたい。
「ずいぶんと雑な手を打ってくる。院をなめているとしか思えんの」
「と言いますと」
「麿でも気づけたことに院が気付かんとは思えん。おそらく要求を撤回するか、自らが治天の君なりと言って再度要求するかのどちらかであろう」
「前者であれば余計な出費が抑えられていい、後者であれば治天の君は帝であると言って断るのみ。失敗しても問題ないとお考えなのかと」
「となると他にも手を考えているのかな」
「さて、私は所詮武士ですので朝廷のことは何とも」
「では何のために今日はここに来たのだ」
「院の財源についてです」
院が譲位された際に仙洞御所と生活をするには足りるだけの銭は支払われた。しかし院政を行おうとするにはとても足りない額だ。それなのに朝廷を混乱させる程度には院政を行えている。局長は幕府が把握していない財源があるはずと考えている。そしてその調査を五番隊に命じられた。
「さての、麿はそのあたりのことは知らんの。麿はせいぜいたまの話し相手になるだけで院政に関してはあまり口出ししておらん。どうせ院の血を引いていることで朝廷では実務にかかわれていない。二条らも一条らも血を後ろ盾にして口出しされてはたまらんのだろう。院の血を引く麿が何か失敗したときの傷を心配してなどと言って実務から遠ざける。おかげで和歌と吉野太夫に時間をさけるからいいのだがの」
「しかし出入りしている人物などはある程度御存じなのではないですか?どこかの大名の家臣とか、有力商人だとか、坊主や神父だとか」
「さあの。そういう銭に関することは院の目が届く場所ではしておらんだろう」
「いかがでしょう。そういったことを探っていただけませぬか」
「なぜ麿が一条に協力せねばならん。面倒でおじゃる」
あほらしいといわんばかりの評定をして残ったそばを一気にすする。
「では麿はいくぞ。吉野太夫に会いに行かねばならん」
「その吉野太夫ですが、灰屋某が身請けをするという話が出ているようです」
近衛様は立ち上がろうとしたが、俺の言葉に動きを止める。
「馬鹿な。吉野は麿とともに」
「その場しのぎの方便と言ったところでしょう。近衛様は上客であらせられますゆえ」
近衛様は奥方とうまくいっていないらしい。院の血を引いているとはいえ、養子でありながら吉野太夫に貢いでいるのも、きっかけは奥方が青侍と密通していることへの当てつけのようなものだろう。
「しかしさすがに身請けできるだけの銭は摂関家と言えども容易には用意できますまい」
「それは灰屋も同じだったはず」
「それがどうも最近羽振りがいいようで。この調子で身請けもしてしまうのではないかともっぱらの噂です」
「ただの噂だ。下らぬ」
「では身請けされるのを黙ってみていますか」
「・・・何が言いたい」
「身請けのために必要な資金は我々が持ちます。その代わりこちらに情報提供をお願いしたい。具体的には銭関係のことを」
「身請けの銭だけではのお。院は恐れ多いことだが麿の兄。身内を裏切るというのは」
「院の財源になっているものですが、六方がかかわっている可能性があります」
「なっ、馬鹿な」
あり得ないと何度も首を振る。
「確証はありません。しかしこれが事実であれば院だけでなく朝廷や帝の権威にかかわる問題です。どうかご協力を」
「・・・わかった。協力しよう」




