アンボイナ事件前夜
――1623年2月10日 オランダ商館 ヤン・ピーテルスゾーン・クーン――
「失礼します」
「おぉ、よく来た。ヤン」
戸がたたかれて入ってきた人を見て思わず立ち上がった。懐かしい顔だ。
「ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン、ただいま戻りました」
「よく戻ってきてくれた。オランダ東インド会社総督として歓迎する。まあ、座れ。すぐに酒を持ってこさせよう」
「はい。では失礼します」
そういって進めた椅子に座る。
「おい、だれか。ワインを持ってこい」
「はっ」
外から返事がしたのを確認して俺もヤンの正面に座る。すぐに使用人がワインを持ってきた。
「とりあえず乾杯」
「乾杯」
「久しぶりだな。最後にあったのは俺が総督になった時だから・・・4年ぶりか」
「そうなりますね。着任祝いの使者の通訳としてきたときになりますから」
「その時に祖国に戻りたいといわれた時は驚いたものだ。お前のうわさは聞いていたからな」
「祖国を裏切って蛮族に仕えてた狂人とかですか」
「まあ、似たようなものだ」
祖国にとって今一番大事なのはイスパニアとの戦争だ。極東の島国などに興味を持つ人間は少なくなかった。だがヤンのおかげで日本で作られてた武器を少なからず輸入でき、その武器でこの辺りを植民地にできた。
「いま本国のほうに戻れるよう手配している。数か月もすれば戻れるだろう。それまではここでゆっくりしていくといい」
「ありがとうございます。しかしこの島は来るたびに発展していますね。これも総督のお力かですな」
「イングランドがいなければ完璧なのだろうがな。後日本人も。ここでは日本人とイングランドが近いせいでなかなか排除できないのだよ」
あれさえなければとっととこの島からイングランドを追い出すことができただろうに。
「しかし日本でもそこそこの生活はできていたのだろう。どうして今になって」
「もう70近くですからな。そろそろ祖国に戻りたいと思って。幕府も年寄りはそろそろいらないようでしたし。それになにより価値観というのはやはり人種が違うと合いませんな」
「ほう。そういうものなのか」
25年以上を日本で生きたというのに価値観が合わないとは。
「例えばどういうものだ」
「ワインですかね。私はワインは神の恵みであり、古典的な製法を守るべきだといったのですが、そんなものは知らん、うまいものができればいいのだと。ほかにも宗教に対する考え方もです。ようやく日本でもクリスマスが広まってきたのですが」
「それ自体はいいことではないか」
「その数日後の一年の最後の日には除夜の鐘とかいう仏教のイベントで行われる鐘の音を聞きながら、神道の神である歳神を迎える儀式である歳籠りをするのです。意味が分かりません」
「神に感謝をする日の数日後には悪魔の行事を同時に行うなど、考えられんな」
「それに他国の文化は積極的に受け入れるくせに、他国の人間の受け入れには消極的で排他的であるとすらいえます。祖国のために仕えてはいましたが、あれに仕える必要がないのならばそうしたかった」
そう言いながらワインを一気に飲み干す。よほど合わなかったのだろうな。
「ここでも日本人は増えてきた。なんといったかな、あの傭兵の」
「九十九ですな」
「そうそう。九十九は金さえ払えば蛮族だろうがイングランドだろうが傭兵を出す。ここに来るときも見なかったか」
「ええ、ここではイングランドに雇われた傭兵が多いようですな」
「あれのせいでオランダがここを独占するには至っていない。あれさえいなければ」
「そういえば日本人が衛兵に城壁の構造や兵の数を聞いていましたな」
「なに?それはいつだ」
「ついさっきですよ」
その言葉に少し考え込む。これを利用すればここから日本人とイングランド人を追い出すことができるのではないか。
「総督?」
「その日本人はイングランドにやとわれた傭兵か」
「おそらくそうでしょう」
酒のおかげか、少し頭が早く動く気がする。
「その日本人、捕らえるか」
「えっ」
「そしてイングランドがここの占領を計画していると自白させる。日本人傭兵もそれに加担しているとも。そしてこれを口実にイングランド人どもを捕らえ、殺す」
「イングランドと戦争になりませんか」
「あいつらにそんな度胸があるとは思えんわ。それにイングランドはインドに力を入れようとしているという話もある」
「日本との戦争は?」
「あの蛮族どもに何ができる。海南諸島とかいう島の反乱もようやく最近鎮圧できた程度の戦力なのだろう?」
この島を占領できればオランダはより発展できるし、イングランドの邪魔もできる。これほどうまい考えはないのではないか。
「すぐに行動に移そう。ヤン、お前も手伝え」
「はい」




