仁祖反正
―――――――――1621年5月30日 漢城府 李爾瞻――――――――――
「金から書状が来た」
陛下のお言葉に軽くざわめきが起きる。いよいよ来るべきものが来たといったところか。
「以前から金が我が朝鮮に攻め入ろうとしているという知らせは明から受けていた。遼陽を攻め落とされた明としては矛先が変わるのはありがたかろう」
そう言って陛下は苦笑される。陛下はあまり明のことを信用しておられないのだろう。そうでなければ明とも金とも距離をとる政策をされるはずがない。
「だが朝鮮にとっては国家存亡の危機だ。皆の考えを聞きたい」
正確に言えば皆の考えを聞きたいのではなく、皆に考えを聞かせたいが正解だな。すでに我が国の方針は決まっている。後はここにいる馬鹿どもに聞かせるだけだ。
「その前に爾瞻」
「はっ」
「金の要求と現状を説明せよ」
「かしこまりました。金の要求は金を兄、朝鮮を弟とする兄弟国としての盟約を結ぶこと、朝鮮は明の年号を今後使わないこと、金と朝鮮は互いの領土を侵害しないこと、金と朝鮮との交易を無制限で行うことの四つです」
「何と傲慢な要求でしょうか」
「李貴、まだ話の途中だ。発言はそのあとにせよ」
「金はこの要求を伝えると同時に戦の準備を始めています。数はおよそ3万。また未確認ですが日本も金と連絡を取っているとの情報があります」
「蛮族同士が手を結んだか」
李貴がまた何か言ったが、今度は無視した。こんな馬鹿に時間をとられるわけにはいかない。
「明は先の戦、皇帝の相次ぐ死もあって援軍を期待するのは無理があるでしょう。つまり朝鮮単独で金と戦をすることになります」
「説明ご苦労。さて、皆の意見を聞きたい。だれか考えがある者はいるか」
「蛮族と手を結ぶなど言語道断。すぐに戦の準備をするべきと心得ます」
真っ先に発言をしたのは李适だった。
「これまで朝鮮は明を兄とし、繁栄を築いてきました。明が強い時代は平和でした。しかしそれを破壊しようとしているのは金を自称する蛮族どもにほかなりません。兄の敵は弟の敵。むしろこちらから仕掛けてやればいいのです」
「その通り、蛮族に屈するなどありえません」
次は崔鳴吉か。文官のくせに戦のことなどわかるのか。
「明には日本が攻めてきたときに救ってもらった恩があります。それに報いるのが人の道というものでしょう。自ら蛮族と同じ過ちを犯す必要はありません」
「恩か」
「左様にございます」
「お前はずいぶんと優しいのだな。あのような和睦の仲介が恩だと」
陛下が明に不信感を持つようになったきっかけをわざわざ持ち出すとはよほどの馬鹿だな。
「爾瞻はどう思う」
「はっ、私は金の要求を受け入れるべきと考えます。先ほど恩を返すとありましたが、あのようなのは恩などとは言うべきではありません。自らの都合のいいときに口だけ出すなど。それと明が強いときは平和だったとありましたな。今の明は弱くなっています。金が出てきたから平和でなくなったのではなく、明の力が弱まったせいで平和ではなくなり金が台頭したのです」
「何を」
「爾瞻の言うとおりだな」
「陛下!我々は反対です。このような奸臣の戯言など」
「黙れ。爾瞻の意見を用いるかどうかは余が決める。貴様ごときに口出しされるいわれはないわ」
そういうとにらみつけるように陛下は皆を見る。
「不満があるのであれば出ていけ。馬鹿に割く時間が惜しい」
そういうと西人に属する者たちがちらほら出て行った。李适・李貴・崔鳴吉。これで完全に西人の影響力を排除できる。
「では金の要求を呑むということでよいな」
そういって陛下が皆を見渡す。誰も反対をすることはない。
「では爾瞻、交渉はお前に任せる」
「はっ」
そういって陛下が立ち上がる。さて、これからが本番だ。しっかり交渉をまとめねばな。
「ん?騒がしいな」
立ち去ろうとした陛下がふと足を止めて扉のほうを見る。それと同時に兵士たちがいきなり入ってきた。兵士たちはすぐに残った者たちを囲うように動いた。
「何事だ。貴様ら、余の前で何をしている」
「政を正しているのですよ」
「なに?」
声がしたほうを一斉に振り返る。そこには李适・李貴・崔鳴吉ら先ほどこの部屋から出て行った西人どもと、それを従えるように先頭に立つ綾陽君がいた。
「中立ですらあり得ないのに、金に降るですと。それも一度の戦もせずに。そのような決断をする王にこの国を任せることはできません」
「謀反か」
「反正ですよ、叔父上。すでに漢城府は私の家臣たちが制圧しました。助けが来るとは思わないでください」
あの馬鹿どもにそんなことができるとは思えない。城内に手引きした者がいるな。
「ちっ。これからどうするつもりだ」
「あなたを殺すべきという声がありますが、さすがに元国王が殺されるのは権威の失墜にもつながりますので、仁穆大妃の前で自らの罪を読み上げていただきます。そのうえで江華島に追放とします」
手引きをしたのは仁穆大妃か。あの人なら陛下に恨みを持っていて当たり前か。
「もちろん、叔父上とともにこの国を誤った道に導いていたここにいる家臣どもは処刑しますが」
「誰がそんなことを聞いた。これからこの国をどうするのかと聞いたのだ」
「決まっているではないですか、戦ですよ」
綾陽君が嫌な笑みを浮かべる。
「この国が蛮族に負けるなどありえません。北の女真族、南の日本。彼らにはこれまでの報いを受けさせねば」
「やはりお前は馬鹿だったな。臨海君のほうがまだましだったわ」
「左様で。お前たち、捕らえろ」




