出航
あけましておめでとうございます。
―――――――――1597年9月30日 坊津 浅井井頼――――――――――
「いい景色ですね」
海に沈んでいく夕日を見ながら思わず感嘆の声が出た。これから海に沈む夕日をいくらでも見ることになるだろうが出航前のこの夕日に勝るものはそうないだろう。
「そうですね。このような形でなければこの景色を絵にかきたくなります。戻ってきたら書いてみようかな」
隣の長信殿も感動したように声を震わせている。もしかしたら感動しているのではなく明日には出航することに泣いているのかもしれない。
「その時は浅井からも援助させてください。石高は大したことないから援助も少ないものとなってしまうでしょうが」
「きっと戻ってきたら石高は倍増ですよ。楽しみですね。よっ、未来の奉行様」
「やめてください。そんな未来は訪れないよ。浅井の子ですから」
少しぐらいの加増は期待しているけど出世はできてせいぜい局長ぐらいだろう。
「惟宗は過去を問いませんよ。それにあなたの父君は惟宗に降伏し、先代様はそれを受け入れられました。その時点で決着がついたと考えられていると思いますが」
「それは先代様のことです。もう先代様はいません。これから御屋形様がどのような方を重用するかは明白でしょう」
「それが譜代か」
「当然です。彼らも己が利益を得るために先代様の天下取りに全力を尽くし、御屋形様の治世を支えている。これからの政は御屋形様と譜代たちによって動かされていき、外様たちは幕府によって監視を受ける。きっと何かしら言われて少しずつ減らされていくのでしょう。そして幕府に歯向かいうる勢力はいなくなる。先代様が望まれた強い幕府をそうやって叶えるのでしょう。きっとそうなりますよ。だから加増なんて、出世なんてありえません」
ってずいぶんと語ってしまったな。長信殿なんて唖然としたようにこちらを見ている。あれ、なんだかこちらを見ているのではなく、その後ろの方を見ているような。
「困った、困った。未来を担う若者がこのような弱音を吐くようではまだまだ隠居できんではないか」
「や、康正様」
私と長信殿は慌てて跪こうとするが、康正様に制される。
「やめてくれ。こんなにも美しい夕日の前で無粋だ。それに様もやめてくれ。儂と君たちは同じ幕府に仕える家臣ではないか。そこに優劣など存在しない」
「は、はい。しかし康正様はなぜここに」
たしか明日の出航で御屋形様の代理として訓示をされるために今日こちらに到着するとは聞いていたが。
「なに、暇つぶしだ。部屋にいると皆に気を遣わせてしまうからな」
それはそうだろう。親族衆が少ない惟宗において康正殿は一族の長老とも言っていい立場にある。いまでも首席補佐官として御屋形様を支えておられる。幕府内で御屋形様の次にえらいと言っても過言ではない方だ。それは皆、気を遣うだろう。それは私たちも同じなのだけれども。
「しかし美しいがやはり一番ではないな」
「康正殿は戦で様々な土地に行かれたと聞いています。その中にこれよりも美しい夕日が」
「小田原攻めの時だ。兄もいた、御屋形様もいた、倅もいた、皆がいた。あの時が人生最良の時だった。いまではすっかり年老いて何人もあっちに行ってしまった」
こういう時は何といえばいいのだろうか。
「いかんな、そんなことを言われても返事に困るだけだな」
「いえ、そのようなことは」
「あの時は死に物狂いで日ノ本の統一に向かって生きていた。儂だけではない。兄も、御屋形様も、皆も。そういった経験を共に過ごすとな、もう譜代とか外様とか関係なくなる。本当に信用できるかどうかがわかるからな。そう言った経験をしている御屋形様がさっきお前が言ったようなことをすると思うか」
「しかし御屋形様はそうでしょうが、若様はそう言った経験をされていません」
「そうだな。たぶん外様は信用できないと思われるかもしれない。でもな、祖父と父が残した方向性をそう簡単に変えられると思うか。おそらくお前が言ったようなことになるのはもっとゆっくりだ。その頃には皆譜代よ」
皆譜代か。それはいったい何十年後だろうか。2・3回代替わりしただけでは無理だろうな。
「それにな、惟宗は親族衆も少ないが譜代も少ないのだ。なにせ始まりは対馬一国の小大名だったからな。だから外様という理由で排除していては政が成り立たんわ」
そうか。先程からそのような話をしているのは私に安心して出航してほしいからか。お優しいかただ。しかし、
「申し訳ございませんが私にはそうなるとは思えません」
「そうか、残念だ」
奉行所で仕事をしていた時の不信感の籠った目線が無くなるとは思えない。あれがなくなるなら父はもっと出世していたはずだ。
「ま、お主はまだ若い。それにこれから文字通り命がけの旅に出るのだ。その中で考えが変わることもあろう。戻ってきたら話を聞かせてくれ」
「はい。その時は異国の土産を持参して」
「楽しみにしておるぞ」




