明からの使者
―――――――――1594年10月30日 漢城府 柳成龍―――――――――
「・・・はぁ」
深いため息とともに座る。なぜ俺が権力を握っているときにこのようなことばかり起きるのだ。いや、始まりは俺が権力を完全に握るためにやったことなのだが。
「人生とはままならぬものであるな、舜臣」
そう言いながら手で座るよう舜臣に促す。舜臣は軽く一礼して座る。
「そのようなことは自分の屋敷以外では言わない方がいいですな。他の者が聞いたら何を言っているんだと思われますぞ」
「言いたい奴には言わせておけばよい。それよりも今日来た明からの使者の話だ」
以前から明に日ノ本との和平の仲介を頼んでいた。しかし今日来た使者の話では仲介こそするが、条件は日ノ本が出したものを飲めということであった。自由な交易・済州島の割譲・賠償金。どれも陛下には受け入れられないものであろうな。
「明がまさか日ノ本の条件を丸々認めるとは。よほど銭を払っていたのでしょうな」
「それもあるだろうが、自由な交易は必ず認めるよう念押ししていたところを見るとそれが目的なのではないだろうか。交易で我らを儲けさせて、その銭をせしめるという。せめてどれか一つだけであれば飲めたんだけどな。3つともとなるとな」
「それに加えて女真族が厄介なことをしてくれています。面倒なことで」
「そうなんだよな。まさか元均が女真族に負けるとは思わなかったわ」
政治的に無能と言ってもいい元均だが、軍事的にも無能とは思っておらんかったのだがな。
「あれが負けたせいで北部の税収も減ってしまうだろう。ただでさえ厳しい財政に余計な負担ができてしまったわ」
「どうしますか。とりあえず元均は左遷しますか」
「その場合お前も左遷せざるをえなくなるけどな」
「おやおや、それは困りましたな」
元均は大きな敗北をしてしまったが、舜臣も負け続けているといえば負け続けている。いちおう他の者の時に比べれば被害は減っているとはいえ、それでも倭寇の被害は出続けている。それは反舜臣派、反東人派にとって攻撃しやすいところだろう。最近は東人の中にも俺が権力を握り続けることに不満を持つ者が出てきているようだ。これが平時であれば適当な役職を与えてやることができるのだが、今は非常時だ。
「とりあえず明に条件を飲めと言われた以上、陛下も無理に戦を続けようとはなされまい。何とか陛下を説得さえすればこの戦は終わりだな」
「左様ですな。あとは権力を奪われないようにするだけ、ってところですかな」
「ふん、そんなことなどたわいのないことだ」
これまでの戦で手柄をあげたのは、水軍を率いた舜臣ぐらいのものだろう。もし陸に上がられていたらほかの勢力に手柄をあげられて厄介なことになっていただろう。
「とりあえず和平が纏まるまで決定的な負けはするなよ。それだけでもしてくれれば、これからの出世も約束しよう」
「それはまたやる気が出て参りますな。しかし交渉は早めにお願いしますぞ。どうやら日ノ本が本格的な攻勢に出るようです」
「攻勢?どこから上陸するとみているんだ。釜山か」
「いえ、上陸と言っても朝鮮本土ではございません。済州島です」
「済州島だと」
まさか日ノ本は和平をあきらめて自力で利益をえようとしているのか。だとすれば交渉は厄介なことになるだろう。明からの仲介があっただけマシというものだろうか。
「最近、済州島に倭寇以外の日ノ本の船が見当たるようになりました。それも攻めるわけでもなく、ただただ情報を集めているような感じです。可能性でいえば和平後の統治のための準備という可能性もあるにはありますが・・・」
「攻める準備と考えるのが妥当だろうな。我が国とは大違いだ」
「蛮族と一緒というのも不快な話ですが」
「まったくだな」
たとえそれが悪手であると分かっていたとしても蛮族とは一緒でありたいとは思えんな。しかし慎重なことだ。
「しかし増援は期待できないと思うぞ。陛下にとって一番頭の中にあるのは海の向こうの蛮族より陸続きの蛮族だ。兵は北に集められるとみていいだろう。それが陛下の意志であればな」
厄介な、何とも厄介なことだ。まさしく時期が悪かったな。権力を握る時期も、戦を始める時期も。
「ま、兵の方はできる限りの事はしよう。だからお前もできる限りのことはしてくれ」
「かしこまりました」




