和平
―――――――――1592年3月10日 漢城府 柳成龍――――――――――
「ええい、くそっ。元均め。どれだけの被害を出していると思っているのだ」
「まあまあ。落ち着いて。あれでも女真族相手にそれなりに手柄をあげた将軍様。そう簡単に罷免できるものじゃないでしょう」
俺の怒声に舜臣がなだめるように言う。やっぱり幼馴染の前だと少し口が緩んでしまうみたいだな。気を付けなければ。
「分かっている。しかしあいつのところが一番被害が大きいんだぞ」
「仕方ないです。対馬攻めの際に水軍の主力となったのは元均が率いる水軍。それが壊滅的な敗北を負ったせいでまだ回復できていないだけだと思って。ま、回復するだけの知性があるかは知りませんが」
舜臣は嘲るように言う。たしかに元均はよく言えば勇猛だが悪く言えば考えなしに突っ込んでいるだけだ。しかしこのままではせっかく西人から奪い返した政権の座が危うくなる。どうにかしてこの混乱を納めなければ。
「問題は和平をということができないことですね」
「そうだな。今回の戦には東人も賛成していた。そのせいで負けたままでは和平をというと一気に非難を浴びかねない。西人どもも政権を奪い返すために大声で非難してくるだろう。ふん、敵を侮り過ぎなのだ。せめてもう少し計画を練って攻めていれば」
少なくとも俺が計画の段階で口を挟めていたら、少なくとも最初の戦で水軍が壊滅するようなばかなことにはならなかっただろうに。西人が手柄を独占するためのせいでこんなことになるとはな。
「明は動かないので?」
「明は今回の件は朝鮮に非があると考えているらしい。どうやら明には日ノ本が先に手を打ったらしい。あそこは倭寇退治の功で交易を認められているからな」
「そういえば墓づくりに膨大な銭が必要だったそうですな。だとすると賄賂でも贈りましたか」
「たぶんな」
「だったらこちらも賄賂を贈りますか」
「残念だがそんな銭はない。だいたい銭ごときで動くような卑しい輩が信用できるか」
銭を扱うのは卑しい商人ぐらいだ。それを日ノ本では誰もが使うとか。これだから蛮族と言われるのだ。少しは朝鮮を見習うべきではないのだろうか。
「しかしその賄賂を受け取って行動する輩が一定数いるのは間違いないのでしょう。銭じゃなくても何か適当な品があれば」
「あっても送り込む手段がない。海は倭寇どもがうようよ、陸は女真族が奪うにきまっている」
「左様ですか」
女真族や日ノ本のような蛮族がはびこるから我が国のようなまっとうな国が損をするのだ。民も国内が不安みたいだから蛮族退治というわけにもいかない。
「とりあえずまともに動く水軍はお前に預ける。何とかしてこれ以上の被害を出さないようにしろ」
「それは・・・承った。何とかしましょう」
「頼むぞ。いまの地位もかなり強引に捻じ込んだんだ。手柄をあげないと元均あたりが騒ぎ出すぞ」
いまでも舜臣の地位に懐疑的な輩は多い。俺の幼馴染だから出世できているのだろうと邪推する者もいる。ま、半分はあっているが。
「はん、自分の事を棚に上げてですか。どの口が言えるのやら」
「あいつにも言い分があるんだろう。敵が上陸してこないのは自分たちが多大な犠牲を払って阻止しているからだとかな」
「その犠牲は自分じゃないですけどね」
まったくだ、どうせ犠牲を出すなら死んでくれればよかったのに。そうしたら適当に救国の英雄としてまつりあげて士気をあげることも可能だっただろう。無駄に生きよって。
「一度でいい。どんな小さな戦でもいいから一度勝ってくれ。そうすればあとは和平を捻じ込める」
「一度ですか。分かりました。一度ぐらいなら何とかなるでしょう。いや、何とかします」
頼もしいな。これまでかなりの援助をしてきたんだ。ここで返してもらわないと困るぞ。
「ところで日ノ本とはどのような形で和平を結ぶつもりで?」
「歳遣船の復活でいいんじゃないかと思っているが、日ノ本がそれで引き下がるかどうか。ここ数十年は歳遣船なしだったからな」
「商売のような卑しいことはよくわからないので何とも言えませんが。それで何とかなるのでしょうか」
「何とかするしかないだろう。まさか領地を割譲するわけにもいかんだろうし」
そのようなことになればまず俺の政治生命は終わったといっていいだろう。せっかく政権をとることができたというのにそれだけは嫌だ。その場合は戦を長引かせるしかないだろう。
「念には念を入れて上陸してきた際の備えをしておいたほうがいいな」
「そうですね」
あとで権慄を呼ぼう。それから元均にくぎを刺しておかないとな。これ以上無様な真似をすれば解任を検討せざるを得ないと。女真族との戦の手柄だけで生き残れると思うなよ。




