鎮守府大将軍と譲位
―――――――――1578年10月1日 近衛邸 一条内基―――――――――
「ほう、ついに鎮守府大将軍になるか」
「はい。貞康に鎮守府大将軍職をとのことです」
「鎮守府大将軍ということはいよいよ日ノ本の統一の算段が付いたということか。ようやく日ノ本に戦の無い世が訪れようとしておるか」
そういうと関白様が感慨深そうに頷かれる。ようやくだ。ようやく朝廷を苦しめてきた乱世が終わるのだ。これからどうなるか分からぬが少なくともこれまでの乱世の時よりはましであろう。特に一条家は内貞を養子にしている。前内府殿と直接親交がある関白様が隠居なされば摂関家の中で一条家が頭一つ抜けることになるだろう。楽しみではあるが不安なこともある。
「そういえば惟宗が北条征伐の勅と節刀を求めてきましたぞ。いかがしますか」
「勅と節刀でおじゃるか。北条を朝敵として討ち取りたいということであろうのぉ」
「おそらくは」
北条が朝敵になれば奥羽の諸大名も北条に味方することに二の足を踏むであろう。それに惟宗と敵対すれば朝敵として征伐されるという前例にもなる。
「前内府が望むのであればそうすればよかろう。天下人である惟宗に勅を与えれば朝廷の権威も増すであろうしの」
「しかし二条派を中心に惟宗の要求は不遜である、この要求をのめばこれからもっと朝廷の行動を幕府の意のままに操ろうとするだろう、と言って反対しています」
「ふん、いつも余計なことをしよって。朝廷が一つとなってこれからの世に対応していかねばならないという時になにを考えているのだ」
「いかがしますか。このまま朝廷の中で割れていては惟宗が不満に思って何をするか分かりませんぞ」
それこそ二条派の言う通り惟宗が朝廷の為すことにいちいち口出ししてくるようになる機会を作るようなもの。
「とりあえず二条派を黙らせねばならんの。昭実を内大臣に叙任しよう。あれは惟宗に近いものが朝廷に要職を占めていることに不満を持っていたの。それから鷹司家は二条に任せよう」
「よろしいのですか。それでは五摂家のうち三家が二条の流れの者になりますぞ」
「仕方あるまい。このまま二条派が反対し続けるよりはましじゃ。ただし九条には何もせん。今のまま右大臣でよかろう」
昭実の内大臣叙任と鷹司家の再興で二条派を黙らせるとともに九条には何も手当てをしないことで二条派の内部分裂を狙っておられるのか。しかし九条が右大臣のままであれば麿も左大臣のままであろうの。少し残念ではあるが関白様が辞任されれば次は麿じゃ。それまでの我慢よ。
「では貞康に正三位鎮守府大将軍と北条征伐の勅をということでよろしいですか」
「うむ、次の朝議で正式に決めよう。帝には麿から先にお伝えしておく。しかし鎮守府大将軍は前内府ではなく貞康なのか。前内府は昇叙か何か求めてこなかったのか」
「いえ、何も求めてきませんでした」
家督を継いで鎮守府大将軍になったとしても実権を握っているのは前内府だ。だから何らかの官位は求めてくると思っていたのだが。
「何も求めてこないものを相手にするのはちと面倒よの」
「左様ですな」
無欲というのはなかなか相手にしにくい。それも天下人だ。
「とりあえず昇叙は行わねば。何が悪手になるか分からぬがこちらが気を遣っているということは分かるはずじゃ」
「では正二位に」
「うむ。その件も含めて帝にご相談申し上げよう。それからの」
「それから?何かありましたか」
ここ最近は二条派以外で問題になるようなことはなかったと思うのだが。
「帝が譲位を申されていた」
「ま、まことですか」
「うむ、帝ももう60過ぎになられた。御身体も最近はあまり調子がよろしくないことがあるらしい。それでそろそろと」
譲位か。最後に行われたのは後花園天皇の時だったはず。100年以上ぶりか。
「しかし仙洞御所の造営や儀式の諸費用は今の朝廷にはとても無理な話だ。惟宗の力を借りねばならんだろう」
「左様ですな。そうなるとやはり二条派の反対は何としてでも黙らせねばなりませんな」
「そうよのぉ。惟宗が不満に思えば譲位がかなわなくなる。そのようなことは起きてはならない。必ず帝の御意思をかなえねばならないのだ」
「はい。そのためにも惟宗との関係はより強固にせねばなりませんな」
「そうじゃの。しかしそうなると正二位では少し足りないのではないかと不安になる。家督を譲ったとはいえ前内府は大きな影響力を持つ。あれの機嫌を損ねれば帝の譲位は実現しないだろう」
たしかにそうだな。家督を譲られた貞康でも前内府の意向には逆らえまい。やはり前内府としっかりつながっていなくては。
「そうなるとやはり官位ですな。右大臣や左大臣、関白あたりがよろしいと思いますが」
「それではのぉ。朝廷での秩序が乱れる。朝廷の秩序は我らの先祖が作られてきたもの。それを崩すのは」
「ではいかがしますか」
右大臣や左大臣、関白以外となると何があるだろうか。
「麿は太政大臣がよいと思うのだが。あれはいちおう太政官の長で帝の元服では加冠の役を務める。名誉を与えるという意味ではあれが相応しかろう」
「なるほど。それはよろしいかと。位階がまだ足りていませぬが北条征伐の功として昇叙すれば問題ないでしょう」
「そうじゃな。あとは細かいところを惟宗と交渉せねばならんが」
「それは某にお任せを」
公家の中では一条家が最も惟宗に近い。麿が交渉をするのが妥当であろう。
「うむ、では任せるぞ」
「はっ」




