御館の乱2
――――――――1578年5月10日 小田原城 大舘晴光―――――――――
「ではこれより景虎を上杉家当主にすべく出陣して参りまする」
「うむ、期待しておる。必ずや上杉をこちらの味方に引き戻すのだ」
「はっ」
そう言って氏政殿が頭を下げる。このまま北条は武田のようにすりつぶされるのではと不安であった。しかしこの上杉の内乱を利用して反惟宗派の力が増せば奥羽の大名たちも皆大樹のもとに馳せ参じるだろう。
「それで上杉景虎には誰が味方になっておる」
「はっ。まずは我ら北条が2万。これが景虎派の中で最も大きい兵力です。それから上杉憲政殿。一門衆筆頭の古志長尾家当主長尾景信、景虎の傅役である山本寺定長、器量・骨幹、人に倍して無双の勇士と謳われる北条高広、惟宗に煮え汁を飲まされてきた蘆名氏盛。そのほかにも多くの上杉家臣が景虎に味方しています」
思ったより多い。たしか景勝は惟宗に従うと言った時に賛成したと聞いている。どうやら謙信が決めたこととはいえ惟宗に従うのに不満を持つものは少なくないようだな。それで北条の血が流れる景虎殿を担ぎ上げたか。
「頼もしいのぉ。しかしそれほどの上杉家臣が味方になるとは景勝とやらはそこまで人望がないか。惟宗もそのような輩に味方せざるを得ないのは可哀想なことよのぉ」
「景勝は上田長尾家の者です。そして上田長尾家は謙信に謀反を起こしたことがあるため信用がないのです。なのでそもそも上杉家の中でも味方が少ないのでしょう」
「ほほほっ。おのれの行いではないのに初めから信用がないとは哀れよの」
まったくだ。だがそれは我らにとって都合のいいことだ。このまま景虎派が景勝派を押し切れば上杉100万石がこちらの味方になる。そうなれば惟宗は戦力を分散せざるをえなくなるだろう。北陸に数万。上野に数万。そして東海道に数万。戦力を分散させることができればそれを各個撃破することもできよう。以下に惟宗の兵力が大きかろうといくつかに分ければ勝てない相手ではない。必ずや惟宗を倒して京に戻るのだ。
「ごほっ。ごほっ」
「いかがした。晴光」
「申し訳ございません。どうもこの頃調子が悪く」
「そうだったか。もう少しで京に戻れるのだ。それまで気張れよ」
「はっ」
このようなところで死ぬ訳にはいかんのだ。必ず京に戻るのだ。
「失礼いたします」
そう言って北条の小姓が入ってくる。
「いかがした」
「惟宗が伊豆に攻め入って参りました。その数は約4万です」
「なにっ」
4万だと。それが景勝の援軍ではなく伊豆に攻め入っただと。
「氏政、どうするつもりだ」
「仕方ありませんが景虎への援軍を惟宗との戦に回すしかないかと」
な、それでは上杉は景勝派のものになってしまうではないか。それでは京に戻るのが遅れてしまう。
「それでは上杉の内乱が終わってしまうではないか。北条の援軍を当てにして景虎についたものもいるかもしれんのだぞ」
目の前が暗くなってきた。あぁ、京が、京がまた遠のいてしまう。
「晴光、どうした。晴光」
あぁ、大樹。もうし、わけ
―――――――――1578年5月15日 御館 上杉景虎――――――――――
「憲政様、ご迷惑をおかけします」
「なに、構わんよ。これもこれまで世話になった礼と思ってくれればよい。何より上杉の名を残すためだ」
俺が憲政様に頭を下げる。ありがたいことだ。
「ありがとうございまする。あの世で義父殿も感謝していると思います」
「そうであってほしいのだがのぉ。しかし謙信も思い切ったことを考えたものだの」
「左様にございますな。某も初めて聞いた時は驚きました。義弟殿も驚いて声を出していました」
「はははっ。そうか、あの景勝がか。それはそれは。見てみたかったものじゃの」
そう言って憲政様がお笑いになる。確かにあれはおかしかったな。
「ま、景勝が驚くのも仕方あるまい。まさかわざと内乱を起こして上杉の存続を図ろうというのだからな」
「はい。義父殿は家臣たちがそう望んだこととはいえ、上杉が多くの領地を持っていることで惟宗に警戒されるのではないかと心配していました。そして自分が死んだ後に上杉が使い潰されるのではないかとも」
「うむ、それで初めは景虎と景勝の二人で上杉領を分け合うつもりであったな」
そうだ。越後の大半を義弟殿が、越中の上杉領と越後の残りは俺が治めようとしていた。しかし惟宗の内部を見ていてとても認められないと判断した。そして大領を許されたことで惟宗を侮るものがまた出てきてしまった。このままでは義父殿の死後、上杉家の中で北条に味方すべしという声が大きくなりかねない。そこで今回の騒動に至った。
「謙信の死後わざと御家騒動を起こして家中の反惟宗派の者を一掃する。そして内乱を起こしたことを理由にこちらから願い出て越中の上杉領を惟宗に引き渡す。謙信最後の策か。これはなかなか大変そうじゃの」
「いえ、我らはこのことを知らされていない者たちに違和感を持たれないようにうまく負けるだけです。その後始末をする義弟殿の方が大変でしょうな」
「はははっ。では我らはあの世で景勝の後始末を見ておくとするかの」
「左様ですな」
しっかり頼むぞ、義弟殿。そちらには義父殿の側近たちがついているのだ。失敗は許されないと思えよ。




