切支丹と南蛮貿易
―――――――――――1574年6月10日 大坂城――――――――――――
「御屋形様、またカブラル殿が来ておりますが」
俺が人払いをして今回の織田攻めの恩賞をどうするか考えていると小姓の熊千代が外から声をかけてきた。しかしまた来たのか。ここ最近宣教師の活動が活発だな。
「またか。今は忙しいと言っておけ」
「はっ」
たしか謙信と将棋を指したときから4日に一回は来ているよな。それに家臣たちにも以前より接触を図ろうとしている。もっとも、家臣としてはなにが俺の不興を買うかわからないからあまり相手にしていないらしいが。少なくとも宣教師たちが惟宗の中でキリシタン勢力を作ろうとしているに違いない。そんなに布教はうまくいっていないのかな。多聞衆に調べさせるか。それとその辺りのことは多聞衆より寺社奉行の盛円の方が詳しいだろう。あいつにも話しは聞いておこう。
「では失礼します」
「まて、ついでに盛円を呼んでくれ。最近のキリシタンについて知りたい」
「かしこまりました」
そう言って熊千代が下がる。さて、盛円が来る前に片付けないとな。
しかしなんでまた今更惟宗の中でキリシタン勢力を作ろうとしているんだ?確か布教を認めてからしばらくは惟宗家臣の中でキリシタンを増やそうとしていたがそれはうまくいかなかったはずだ。キリスト教に対してあまりよく思っていないものが多くいたり、大友という失敗例が近くにあったからな。それと俺がキリシタンにならなかったのもあるだろう。トーレスも諦めてご機嫌伺いに来ることはあってもキリスト教の話はあまりしなかった。それなのにカブラルがよく来る。なにかあったのだろう。本国からもっと信者を増やせとか言われたのかな?
「御屋形様、盛円です。およびと伺いましたが」
「来たか。入れ」
「はっ。失礼いたします」
そう言って盛円が入ってくる。最近なんだか盛廉に似てきたか?
「それでご用件は。キリシタンについてとのことでしたが」
「ここ最近、カブラルがよく来るのは知っているだろう。それと宣教師たちが以前より家臣たちに接触を図ろうとしている。布教はそれほど進んでいないのか」
「そうですな。少なくとも宣教師たちが焦るほどにはうまくいっていないようです」
「そうか。やはり南蛮の教えは受け入れがたいか」
「いえ、それもありますが銭の不足の方が深刻のようです」
「銭不足?宣教師たちは銭に困っているのか」
最後に宣教師にあったときは絹の服を着てたくさんの贈り物を持ってきていたはずだが。
「かなり深刻のようです。本来ならばイスパニアという国からの支援をえて、貧しい格好をして布教するはずが、イスパニアからの支援はなく大名や地位の高いものに会うために絹の服を着てたくさんの贈り物をしたりと銭が送られないのに多くかかりますので。南蛮との交易の間に立って銭を集めてはいるようですが・・・」
うまくいっていないようだな。この歴史の南蛮貿易は史実とはかなり違ったものになっているからな。史実でも南蛮貿易で資金を作っていた宣教師たちとしてはかなり厳しいことになっているだろう。それと信者が少ないことで寄進も史実より少ないだろうな。
この歴史での南蛮貿易は長崎が中心ではない。惟宗が明の倭寇退治に協力したことで17年前にイスパニアとともに広州での交易が認められた。今まで密貿易でしか明の品を手に入れることができなかったのが大手を振って買いに行けるんだ。航海技術を考えればかなり危険だろうに博多や坊津の商人たちが続々と広州へ船を進めた。史実の南蛮貿易はイスパニアがメキシコの銀で買った明の品を日本に流していただけだがこの歴史では日本の商人は明で生糸を輸入し石鹸や椎茸などを輸出している。利益としてはトントンか少し赤字ぐらいだが輸入した生糸を博多で絹織物にしてイスパニアに輸出している。全体で見れば大黒字だろう。イスパニアとしてみれば本来なら明から日本に品を動かすだけで100%以上の利益を得られるはずが明には高い絹織物や生糸を買わされ、日本からは絹織物のほかに生活品である石鹸を買っている。日本の商人は石鹸を疫病の予防になる奇跡の品と言って売っているため需要はかなりあるらしい。結果としてメキシコの銀が大量に明や日本に流れ込んできている。そしてその取引が行われているのは広州だ。史実では長崎の教会を倉庫代わりに利益を得ていた宣教師たちはこの歴史では出来なくなった。宣教師たちは資金繰りにかなり苦しんでいることだろう。
「道理で最近宣教師たちがよく来るようになったわけだな。おおかた俺や重臣をキリシタンにして寄進をさせるためだろう。皆にも注意しておくか」
「それがよろしいかと。信者の中に手の者を潜ませていますが最近、あまり見慣れないものが出入りするようになったとのことです。キリシタンにしては祈りが適当で寄進もそれほどしていないのに宣教師とともに別の部屋に行くことが常だとか。それと最近、宣教師たちが京の南蛮寺に集まって会議が行われたとか。もしかするとなにかしらの動きがあるやもしれません」
「まさか。キリシタンはそれほど広まっていない。なにもすることはできんだろう」
「いえ、油断はなりませぬ」
盛円が厳しい顔でこちらを見てくる。しかし史実のキリシタンならともかくこの歴史のキリシタンに何かできるかな?
「彼の物たちは教えこそ違えど性質は一向衆に通ずるものがあります。それにもし布教がうまくいかない理由が御屋形様にあると考えればなにをしでかすか分かりません」
「そうか。わかった、念のため多聞衆と伊賀衆に探らせておこう。お前もなにか分かればすぐに知らせよ」
「はっ」
本願寺の次はキリスト教か。面倒なことだな。しかし指導者に外国人がいるのは少し不安でもある。対応策を考えておいた方がいいだろう。せっかくそろそろ隠居なのにまだ忙しそうだな。




