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渋江氏

―――――――――1538年8月31日 亀尾城―――――――――――

「お初にお目にかかります。渋江公親しぶえきみちかにございます」

「宗熊太郎だ。面をあげよ」

「はっ」

目の前の若い男が顔を上げる。確か年は24だったかな。

「それで話というのはなんだ」

「はっ、我が渋江の旧領である長島庄の回復を熊太郎様に願いに参りました」

うん、渋江ってどこの方?


公親を傷つけないようさりげなく渋江氏について聞いてみるとものすごい勢いで教えてくれた。

公親の話を纏めると渋江氏は藤原純友を討伐した橘朝臣好古の子孫らしいが、これは多分嘘だろう。その後鎌倉幕府創業の功臣となり伊予国宇和郡を安堵されたが、西園寺氏がこの地を強く望んだため幕府は止むを得ず宇和郡を取り上げ替地として杵島郡長島庄などが与えた。

南北朝時代では一貫して九州探題の味方となり九州での幕府方権力の確立に貢献したようだ。しかし、大内・大友の讒言により今川了俊が九州探題を解任され、新しく渋川氏が九州探題となると関係が悪化。応永11(1404)年居城・潮見城を攻められ降伏、渋江氏は一時没落するも応仁の乱の後勢力を立て直し公親の父・公勢の代では波多氏・杵島郡の後藤氏・多久氏・平井氏が人質を出して渋江氏に属し、後藤氏は渋江氏の長男を養子にして家督を継がせた。渋江氏の嫡男は公親となった。

大永7(1527)年3月父・公勢きみせと兄で次男の公政きみまさが毒殺された。父と兄と公親の3人で鞠遊びをして水を所望したところ公政に家督を継がせたいと考えていた公政の乳母が公親に毒が入った水を渡したが公勢と公政が先に飲んでしまい死亡。公親が13歳で家督を継ぐことになったが後藤氏の養子になった長男・純明に領地を奪われることになった。その後城を逃げた公親は母の実家である波多氏に身を寄せ今日に至る。


「しかし、旧領をと言われても間には波多がいるぞ。その方の母の実家を滅ぼさない限り兵を出すことはできんがそれでも良いのか」

「母は仕方ないと」

「そうか」

仕方ないというならば嫌そうな顔をするんじゃないよ。そんなだから兄に領地を奪われるんだ。仕方ないというならそこで割り切れ。

「壱岐での戦のことはどれほど波多城に伝えられているか分かるか」

「波多下野守興が討ち死したことまでは伝わっています。それ以降のことはおそらく伝わっていないかと」

思ったより伝わっていないな。これなら奇襲に近い形で攻撃できるかもしれない。

「旧領の回復の件、何卒お願い申し上げます」

公親が平伏して頼み込む。さて、どうするか。

「明日此処を出て唐津に上陸し、波多城・岸岳城を攻める予定だ。そこで功績があれば復帰に力を貸そう」

あくまでも功績があったらね。

「はっ、存分にお使いください」

と言って一礼し下がる。戦国武将も大変だな。自分より若い、いや幼い当主に頭を下げてでも生き延びないといけない。渋江氏のようなものはお家再興もしないといけないんだから大変だよ。

「皆を呼べ、軍議を行う」

使ってくれと言われたんだ。しっかり使わせてもらうよ。


―――――――――1538年9月2日 波多城 鶴田直――――――――――

「申し上げます、壱岐より使者が参りました」

「そうか、すぐに通せ」

「はっ」

城番が下がる。おそらく和睦の使者だろう、さすがにこの時期まで戦を続けることはどちらもできない。

「なあ、直。和睦を結ぶべきだと思うか」

新しく波多の当主となった盛様が訪ねてきた。まだ若いが愚かではない。これから先代のように波多をどんどん発展させてくれるだろう。しかしまだ経験が浅い。

「結ぶべきではないかと。結べば宗が壱岐の領有することを認めることにはなります。それよりは粘って大内様の援軍を待ち、壱岐を奪還するべきかと」

「確かに父の仇は討ちたい。しかしそれまで耐えることはできると思うか。それに助けられては大内に頭が上がらなくなる。自分で決めれることも減ってくるのではないか」

「それでも滅ぶよりは良いかと」

若、いや殿がため息をつく。気持ちはわからないでもない。先代が壱岐で討ち死したと聞いた時は皆混乱していた。波多には城と呼べるものは少ない。ここと岸岳城と高江城・鬼ヶ城ぐらいで主力は南西側にいる。海沿いは壱岐で敵を防ぎ、東側は山が多くかなり攻めにくい。そのため南西側の伊万里氏・相神松浦氏の備えとして主力を置いていたがそれがあだとなったか。

これから波多はどうなるのだろうか。新しく当主となった盛様はどうなさるのか。


――――――――――同日 柚谷康広――――――――――

「宗熊太郎が家臣柚谷康広にございます」

「波多壱岐守盛だ。父の仇が何の用だ」

「主命により和睦を結ぶべく参りました」

「和睦?戦を仕掛けてきたのはそちらであろう」

目の前の上座に座る若い男が声を荒げている。まだ若い、20にもなっていないだろう。ま、おれもそこまで経験を積んでいるわけではないな。それにしても何でこんなことに・・・

生池城を攻略するときだった。戦でけがをしたくなかった俺は熊太郎様に降伏を進めるよう提案した。どうせ通らないと思って自分が行くと言ったらあっさりと意見が通りあれよあれよという間に使者として生池城に行くことになった。それから皆に肝の座った奴と実際とはかけ離れた評価がついてきた。なんでこんなことになったんだ。

そして今回の件。表向きは和睦の使者だが実際は・・・。いや今はこのことは考えないでおこう。

「我らを信用できないと言われるのは仕方のないこと。そこで証として捕虜200名をお返しします」

「どうせ雑兵だけであろう」

「いえ、たしかに多くの将が死にましたが渋江公親殿などは生きて居られます」

「それはまことなのであろうな」

「はい」

俺の返事を聞いて波多盛が考え込んでいる。捕虜を受け入れるべきか、否か。熊太郎様は受け入れると読んでいたが果たしてどうなるか。

「わかった、公親殿より話が聞きたい。交渉は明日以降ということで今日のところは帰ってくれ」

「かしこまりました。和睦の条件は公親殿にお伝えしておきます。良い返事を期待しておりますぞ」

さて、俺の仕事は終わった。あとは盛長殿と頼氏殿にお任せしよう。

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