嫁
―――――――――1569年8月1日 久留米城 政千代――――――――――
「まあ、そのようなことがあったのですか」
そう言って妙が驚いたような表情をされる。しかし側室としてこちらに来た時と比べるとずいぶんと落ち着かれたようですね。こちらに来た時は元来の性格か主家である河野家と実家である来島村上家を潰さないためにも粗相の無いようにとかなり気を遣われたのか何かあったらすぐにおびえるような方でした。御屋形様の事もずいぶんと恐れていたようですね。こちらには頼れる親族もいないこともあり、こちらに来てからは体重もずいぶんと落ちて目に見えて体調が悪そうでした。父君を最近亡くしたこともあってこちらに来たのが上洛戦の直前になってしまったのも影響があるでしょうね。側室としてこちらに来たのに一緒に過ごす間もなく出陣されてしまった。普通ならば文句を言われてもおかしくはないでしょうに妙は自分のせいではないかと思われている。そんなわけがないのですがね。
「そうですよ。世間では何と言われているかは存じませんがたぶんどれも違うでしょうね。少し先を見るのがお上手な普通の殿方ですよ。あぁ、あと少し負けず嫌いですね」
「左様でしたか。なんだか世間で言われているような方ではないので驚きました」
「あまり表情が動かない御方ですからね。誤解されるようなこともあるでしょう。しかしどのように言われているのかは興味がありますね」
「俺もその話は聞いてみたいな」
「ま、御前様」
「お、御屋形様」
妙が驚いてすぐに下がって頭を下げる。
「構わん、楽にせよ。どうせここには誰も来ないからな」
「いえ、養父様と兄上より御屋形様に粗相の無いようにと言われておりますので」
「かたいな。河野家の者は俺を少し気を遣い過ぎているような気がしていたが気のせいではなかったか。まぁ、惟宗と三好という大大名に囲まれていたからな。神経質になるのも仕方ないか」
「御前様、そろそろ戦に出ると聞いていましたがよろしいのですか」
「なに、ここまで来れば俺がしなければならんことはそうない。そもそも俺が出陣するわけではないしな」
そうでしたね。三好攻めは貞康が総大将を、父上が副将を務めるのでした。
「しかしよろしかったのですか御前様。三好討伐は大樹の肝煎と聞いていましたが」
「よかろう。世の中には何事もうまくいくわけではないと知るべきだ。それより俺が世間でどう言われているかの方が気になるな」
「あ、いや。それは」
「なに、俺が聞きたいと言ったのだ。どんな内容でも実家の方に迷惑がかかることはない」
「そうですよ、妙。私も聞きたいですし話してみなさい」
「では、私が伊予にいた頃に聞いた話ですが。曰く戦に出れば必ず勝つ、曰く降伏を申し出た相手でも一族郎党根絶やしにする苛烈なお方、曰く新しいものに目がなく坊主や宣教師たちなど宗教に関するものにはあまり良い感情を持っていない、曰く将軍様であってもいうことを聞かせることはできないなど」
「ふむ、意外と合っているな」
「ま、御前様ったら。少なくても苛烈なのは違うでしょう」
「も、申し訳ございません」
あら、私の言葉で気分を害したと思ったのかしら?
「あなたが謝ることではないでしょ、妙」
「そうだな。少なくともいいことは聞けた。そうか、世間も大樹ですら俺を従えることができていないと見ているのか。これはいい」
「あら、嬉しそうですね」
「まあな。事実とは違う悪評が流れていると思っていたからな。本願寺か大樹あたりが変な噂を流しているのではと思っていたが意外だ」
あら?本願寺や大樹が変な噂を流す?どういうことかしら。
「それより御屋形様。今日はいかがされたのですか」
「そう言えばまだ御前様の要件を聞いていませんでしたね。戦の準備ではすることがないとはいえいつものお仕事があるでしょうに」
「おぉ、そうだった。小寺から送られてきた赤子のことを覚えているか」
「えぇ。確か播磨よりこちらで育てたいからと城下に屋敷を建ててそこに乳母とともに住んでいるとかいうあの」
「そうだ。名目上はそうなっているが実際のところは人質だな。播磨一円で三好に味方しようとしている国人がいると噂が流れてな。それと一向一揆が起こるという噂も。それで余計な疑いをかけられないようにと俺の元に送ってきた」
あら、そんな噂が流れていたのですか。やはりここに籠っていては噂というのが耳に入りませんね。
「だがそれは孝隆が強固に推し進めたことだ。初めは小寺の当主の嫡男が来るはずだったのだが家臣たちが反対してな。それで孝隆の息子が来ることになった。ま、経緯からいって孝隆は信用できても小寺は信用できんな」
「では裏切るのですか。三好と惟宗を比べて三好が優っていると」
「三好だけではないかもしれんぞ。別所や赤松・宇喜多に本願寺。それで小寺が裏切った時は殺したことにするつもりだから適当なところで匿っておいてほしい」
「いいですわよ。妙の屋敷を少し離れた場所に作ればそこで匿えるでしょう。まぁ、そうでなくても実家の伝手を使えば簡単です」
「御屋形様。まさか本願寺と敵対なさるおつもりですか」
妙が驚いたように声をあげます。しかし本願寺ですか。
「必要があればな。そして俺は必要だと思っている。惟宗の天下のためにもな」
「あら、九州の覇者の次は天下人ですか」
「そういえば昔そんなことも言ったな」
そう言って楽しそうに笑われる。あの時には惟宗が九州を統一するにはもう少し時間がかかると思っていたのですがね。今回も気が付いたら天下人になっているかもしれませんね。
「今回は大友ではなく大樹といったところですか。大変ですね」
「日ノ本一の大大名だからな。天下人の妻も大変だぞ」
「あら、楽しそうではありませんか。ねぇ、妙」
「あ、いや。そ、そうですね」




