月山富田城
――――――――1562年7月10日 月山富田城 尼子義久――――――――
俺が評定の間に入ると皆が一斉に頭を下げる。顔は見えないがおそらく俺のことを馬鹿だと思っている者もいるだろうな。なぜあのような和睦を結んだのかと。
「皆、面をあげよ」
「「「はっ」」」
さっさと上座に座り促すと一斉に顔を上げる。
「皆、話は聞いていると思うが毛利が吉田郡山城を出陣したと鉢屋衆から知らせがあった。その数は3万を超えるようだ。石見路を経由して出雲に攻め入ってくるだろう」
そこで一度言葉を区切って周りを見渡す。皆、厳しい顔をしている。つい半年前に和睦を結んだばかりなのにもう和睦を破った毛利に向けたものなのか、石見を捨ててまで和睦を結ぼうとした俺に向けたものなのか。おそらくどちらもだろうな。だが俺は間違っていない。あの和睦はあの時では最善だったはずだ。あそこまで毛利の爺が強欲だとは思わなかっただけだ。悪いのは俺ではなく毛利の強欲さのせいだ。
「さて、俺としては先代の時のように尼子十旗と尼子十砦を中心に籠城策を取ろうと思うのだが皆はどう思う」
「某は御屋形様の策に賛成いたします」
初めに声をあげたのは亀井秀綱か。あれは筆頭家老だから最初に意見を述べるものとしては妥当だろうな。
「我ら尼子が動員できる兵の数は約15000ほど。数でいえばとてもではありませんが尼子の方が不利です。ですが以前大内が攻めてきたときは45000ほどの兵に囲まれてもこの城は落ちませんでした。それより少ない毛利に攻められても十分勝てるかと。御屋形様が言われた通り尼子十旗と尼子十砦を使って敵に損害を与えつつ後退していけばこの城に近づくころにはそれなりの損害になっておりましょう」
「ふむ、そうか。他のものはどうだ。他の意見があるものはおらんか」
「私はこの城で待ち受けるのは反対です」
次は立原久綱か。俺の近習筆頭としてよく働いているがそのせいで一部の重臣たちに疎まれているらしい。なかなか優秀な将だからほかの家臣たちとうまくやってほしいのだがな。
「この城とて難攻不落という訳ではありません。ただここで待ち構えるというのは危険かと」
「何を言うか!この城は大内45000が攻め入った時も耐えた難攻不落の城だぞ」
「そうじゃ。先程の言葉を撤回せよ」
何人かの重臣が撤回するよう迫るが久綱は涼しい顔をしている。
「この城が難攻不落の城であるというのであれば先々代の経久様はこの城を手に入れられたのですかな。この世に難攻不落の城など存在しません」
確かに祖父はこの城を一度追われたが鉢屋衆とともにこの城を取り戻したと聞いたことがある。
「ここは白鹿城にて毛利を待ち構えるべきです。毛利が日本海から兵糧を運び込むのを防ぐにはあの城を落とそうとするはず。そこで毛利を待ち受け叩くべきかと」
確かに兵糧がなければどんな名城でもたちまち落城してしまうな。
「確か白鹿城は松田親子がいたな」
「御屋形様、まさか白鹿城で戦うおつもりではございませぬよな」
驚いたように秀綱がこちらを見る。
「某は白鹿城に籠るなど反対ですぞ。白鹿城よりこの月山富田城に籠った方が安全です」
「分かっている。白鹿城には援軍を送るが俺はこの城から動くつもりはない」
「しかし援軍を送ればこの城に籠城する兵の数も減ります。それこそこの城が落ちる可能性を上げるだけです」
「その分毛利の兵を減らせばよかろう」
「毛利の兵を減らすとは」
「惟宗を動かす。いま惟宗は毛利と和睦を結んでいるが因島攻めなどがあって仲は最悪と言っていいだろう。だが尼子との仲は良好だ。うまく交渉すれば毛利との和睦を破って我らに味方するはずだ」
惟宗は毛利より多くの兵を動かすことができる。おそらく毛利が最も恐れていることは惟宗が和睦を破棄して毛利領に攻め入ることだろう。それを避けるために因島攻めの時には毛利の援軍が参加することがなかった。だが惟宗としてはあそこで毛利が和睦を破棄して援軍を送ることを期待していたはずだ。いま惟宗が領地を拡大しようとするならば三好か毛利を攻めるしかない。六角を下して畿内では敵なしの三好を攻めるより毛利を攻める方を選ぼうとするはずだ。惟宗にとっても十分利がある。
「秀綱、使者として惟宗に向かってほしい。尼子十旗と尼子十砦を使って毛利と引き付けている間に長門・周防に攻め入ってほしい、援軍を出してもらえれば長門・周防・安芸・石見の領有を認めると。万が一それでも援軍を出すことができないというようであればそれらを制圧する際は尼子も援軍を出すと伝えよ。いまは惟宗に援軍を出させる方が大事だ。必ずや説得せよ」
「はっ」
「白鹿城への援軍の準備は倫久と牛尾久清が行え。毛利が攻めてくる様子になったらすぐに援軍を送れるようにしておけ」
「はっ」
「残りのものはこの城での籠城の準備をせよ」
「「「ははっ」」」




