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論功行賞

―――――――――――1562年6月1日 久留米城――――――――――――

「失礼します」

そう言って千寿丸が大量の書類を持って入ってきた。後ろには島津又七郎、のちの島津家久が続いてきた。二人ともそろそろ元服の頃だったはずだな。

「御苦労、そこに置いておいてくれ」

「「はっ」」

「二人はそろそろ元服だったな」

「はい。某は15で又七郎殿は16ですのでいつ元服しても問題ないでしょう」

「そうか、二人は元服したらどのような仕事がしたい?」

俺が尋ねると二人は顔を見合わせて少し考え込んでいる。もしかしたら小姓の仕事が忙しくて考えたこともなかったかな。

「私は兄上たちを助けることができるような仕事をしたいです」

最初に答えたのは又七郎だった。

「兄上たちはそれぞれの家を守るので大変であまり連絡をとれていないようですのでその橋渡しになりたいと思っています」

そう言えば忠平が豊州家を、歳久が薩州家を継いでいたな。そのせいで史実よりは兄弟間の連絡がうまくいっていないのかもしれない。その間に立ちたいのか。

「そうか、そのためにもしっかり学ばねばな。学べば親や血筋も関係なく賢くなれる。知識こそが力と言っても過言ではない。生涯学び続ける姿勢を忘れるでないぞ。そして島津家を通して惟宗のために尽くしてくれ」

「はっ」

「千寿丸はどうだ」

「某は・・・鑑連殿のような戦に強い将になって数多くの戦場に出たいです」

舅殿のような将か。この歴史でも舅殿と千寿丸との交流はあるようだ。このまま成長すれば史実通りの名将に育ってくれるだろう。将来が楽しみな将の一人だな。

「そうか、戦に出て武功をたてたいか。そのためには常に家臣たちを大事にするのだぞ。舅殿も常に家臣たちには配慮している。それと焦らないことだ。焦っては敵の罠にかかり手柄を立てる前に死んでしまうぞ」

「はっ。精進いたします」

「うむ、二人とも期待している。下がってよいぞ。それから人払いを頼む」

「はっ」

二人が一礼して下がる。さて、書類もそろったことだし論功行賞だ。毎年のようにやっているが明らかに年々増えている。最初の頃は2・3日ぐらいで終わっていたのに今では倍以上の時間がかかる。


どれ、とりあえず一番目立つ手柄を立てたやつから決めていくか。今回の論功行賞は伊予攻めからの分だ。舅殿の分は対三好ということも考えてすぐに決めたがそれ以外は長宗我部の時と宇都宮の時ぐらいしか戦がなかったので後回しにしていた。小出しで恩賞を与えるより纏めての方が楽だし受け取る側もそっちの方がいいだろう。

まずは宇都宮攻めの時だな。宇都宮の当主である豊綱を討ち取ったのは吉弘鑑理だった。いまは宇都宮氏の居城だった大洲城の城代をしている。そのまま喜多郡で2万石を加増するか。いずれ家督を譲るときには千寿丸に喜多郡を任せて先祖伝来の地は嫡男の茂信、史実での鎮信に任せることになるだろう。それから成幸が伊予宇都宮氏の宇都宮乗綱を討ち取り白木城を落としてた。いまは肥前松浦郡で2万石だったな。肥後玉名郡で4万石にしよう。あと大きな手柄と言ったら家老の大野直之を討ち取った茂通だな。あいつはいままであまり功績を挙げていなかったが裏方としてよく働いてくれていた。少し多めに加増しておくか。糟屋郡で2万石の加増だ。


次は長宗我部攻めの時だな。元親の頸をとったのは犬童頼安だった。確か今は筑後山門郡で4000石を領していたはずだ。本当は1万石ぐらいは持っているはずだったけど領地より相良家の再興をと言っていたのであまり加増はしていなかった。もう10年以上になるし相良頼房、史実での義陽には惟宗を恨んでいるような様子はあまりないと頼安も頼氏も言っていた。再興させても問題ないだろう。球磨郡で1万石。球磨郡には調親がいたはずだから国替えしよう。因島攻めの時に指揮官の一人として活躍していたから三潴郡で5万石に国替えだ。元親の弟の親貞は康胤が討ち取った。康胤はたしか小城郡を任せていたはずだ。あそこは先祖伝来の地もあるからそう簡単に国替えというわけにはいかん。天下でも取ってもっといい土地に30万石ぐらいで国替えを命じれば文句はないだろうが今の土地の大きさでは難しいかな。仕方ないから飛び地になるけど大隅肝属郡で15000石の加増にしよう。あとは康範だな。土佐攻めでは土佐一条と長宗我部の水軍を壊滅させた。因島攻めでも陸にいた俺に代わって総大将として全体を指揮してきた。十分な手柄だろう。いままではあまり水軍を使うことがなかったから譜代の中では領地がもっとも少ない1万石だ。対馬に所領をと言った盛廉でも対馬の他に筑前志摩郡で5000石を持っている。そうだな、幡多郡で3万石の加増にしよう。あとは・・・大きな手柄はこれくらいだしあとは明日でいいか。

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