土佐制圧
―――――――――――1561年7月30日 久留米城―――――――――――
「失礼いたします」
手紙を持ってきた千寿丸がそう言って部屋を下がる。今回もかなりの量の手紙だな。パッと見た感じで山科言継殿・舅殿・康胤・康正・兵法衆からの手紙が見える。あとは六角と畠山からの手紙だな。史実通り今月の13日に畠山が挙兵して一昨日には六角が将軍地蔵山城に布陣した。おおかた土佐制圧を終えたから反三好の兵をあげるよう促す手紙だろう。
土佐攻めは土佐一条家・安芸氏の降伏と長宗我部氏の滅亡で決着がついた。土佐一条家は俺が指示したように寝返りを約束していた重臣たちが宗珊が俺に寝返っていると嘘を吹き込むと、兼定は約束の期限の前日に殺した。初めは信じようとしなかったようだがあまりに多くの家臣たちが寝返っているのではないかといったのでやむを得ず殺したらしい。だが俺に寝返っていなかった家臣たちは戦を続けたい兼定が和睦推進派筆頭の宗珊の事が邪魔になり殺したのではないかと思われ一気に兼定は信用を無くした。実際、俺が提案した和睦の条件はとても受け入れられないと言っていたらしい。それと一条本家が絡んできたことがどうも不満だったようだ。まぁ、内基は兼定より年下なのに位階は同じで今年中に権中納言につくと言われている。プライドの高い兼定にとってはとてもではないが許せないことだったのだろう。馬鹿だとしか思えないが。
宗珊を殺した後は兵を集めて俺に対抗しようとしたが信用を失った兼定に味方する者はほとんどおらず、兼定は城を捨てて長宗我部のもとに逃げ込んだ。長宗我部からしてみれば迷惑だっただろうな。多聞衆が流した噂のせいで長宗我部家中では土佐一条家に対してかなり不信感があった。どうやら兼定を殺してその頸を手柄に和睦をしようと主張したものがいたらしい。しかもそれを主張したのは元親の弟の吉良親貞だ。おそらく元親も似たようなことを考えていただろうが兼定の妹が安芸氏に嫁いでいるから殺すのは下策と判断したようだ。
兼定は長宗我部に丁重に迎え入れられたが休む間もなく惟宗の軍勢が長宗我部領に攻め入ったため安芸に出陣を促すべく安芸城に向かった。しかし国虎はすでに重臣たちに説得されて降伏することを決めていたためすぐに捕らえられて俺のもとに降伏の使者とともに送ってきた。前に言っていた条件は認めると言ってきたので甑島郡への国替えと国虎の隠居で受け入れることにした。それを見た長宗我部も降伏したいと言ってきたがもちろん認めず徹底的に攻めて元親ら長宗我部一族は岡豊城で討死か自害した。兼定は切腹させようと思ったが一条本家に止められたので出家させて土佐一条家の鎮守寺である石見寺に押し付けた。僧侶たちには監視を命じているし、多聞衆にも見張らせている。下手な真似は出来ないだろう。これでいちおう土佐攻めは終わりだ。三好領に接している安芸郡・香我美郡・長岡郡は舅殿に国替えを命じた。舅殿なら三好にも後れを取ることはないだろう。
さて、どの手紙から見るかな。とりあえず定期報告であろう康胤と康正の手紙は後からでいいかな。兵法衆も検地の報告だろう。まずは言継殿の手紙から見るか。
言継殿には土佐一条家の後継ぎを探してほしいと頼んでいる。誰かちょうどいい人は見つかったのかな。
・・・だめだったか。史実では内基の子供がいないときに天皇の子を養子にしていた。わざわざ天皇の子を養子にしないといけないほど一条の血を引いた者がいなかったからそうなったのだろうから期待していなかった。とはいえ一条本家との約束を守るためにはどうしたものか。やっぱり政千代のお腹の中にいる子が男の子であることを期待するしかないな。生まれたらすぐに内基の養子にしよう。俺の子供なら信用もあるだろう。万が一俺が戦に負けて惟宗が滅ぶようなことがあったとしても土佐一条家の当主になっていれば一条本家が庇ってくれるだろう。惟宗の血は引き継がれるはずだ。いや、男の子であれば大友家を再興させなければならないな。どうしたものか。
他には六角・畠山と三好との戦の様子が書かれていた。この頃に六角が将軍地蔵山城に陣を構えようとした頃だろう。多聞衆にも情報収集は命じているが情報は多い方がいい。これからも詳しい情報を送ってほしいと返事しておこう。
次は・・・面倒なものから片付けたいし六角からの手紙にするか。どうせ三好のことだろう。史実では畠山は久米田の戦いで三好実休を討ち取り、六角は三好を京から追い出すことには成功したがなぜか六角勢はそこで停滞してしまう。そのせいで三好に立て直す時間を与えてしまい、結局畠山は教興寺の戦いで河内の支配権を失い、六角は三好に降伏することになる。そんな戦には参加したくないんだけどな。ま、手紙を読んでからだ。
・・・やっぱり反三好の兵を挙げて阿波・讃岐に攻め入られるべし、三好領は切り取り次第勝手か。正直なところ三好領で欲しいと思うのは淡路と堺ぐらいだ。あとは本願寺やら国人一揆やら面倒ごとを抱えているところか三好の本拠地。そんな所を攻め取ったところであまり嬉しくはない。そんな余裕があるなら毛利を挑発して尼子と挟み撃ちにしている。よし、こんな手紙は来なかったことにしよう。あとでこの手紙を持って来た密使を殺しておくよう指示しなくては。
次は舅殿の手紙にしよう。これは舅殿と河野に命じていた領内の鉱山や特産品の調査の報告書のようだ。土佐では小さいのが一つ見たかっただけだが伊予では大きな銅山を見つけたらしい。おそらく別子鉱山だな。別子山辺りを徹底的に探せと対馬からの付き合いの山師達に密命を出しておいたから探し当てれたのだろう。たしかかなり大きな銅山だったはずだ。但し問題は別子銅山がある辺りは河野の領地だったはず。周辺の土地ごと取り上げたら不満が溜まるだろうな。鉱山だけ取り上げるか。この際領内の鉱山の採掘権は惟宗のみにしよう。流石にそれでは不満が溜まるだろうし見つけても見なかったふりをする輩が出てくるかもしれないから最初の3年は取り分を半々にしよう。よしこれで決まりだ。あとで評定衆と話し合って正式に分国法に加えよう。
おや?舅殿の手紙にもう一枚挟まっていたな。どうやら政千代のことみたいだ。歳を考えるとあと数年で子供を産むのはやめておいた方がいいだろうと書いてある。その辺りは考えていたことだがそれだけだろうか?いや、まだ続きがあるな。どれどれ・・・
“ついては側室をすぐにでも探された方がよろしいのではないでしょうか”




