第7話 堕ちた理想郷
時間は残酷なものだ。
あれだけ苦しんだというのに、あれだけ忘れないと誓ったのに、日に日に、忘れていっている。
あの日の苦しみを、あの日の憎悪を、あの日の叫びを、あの日の喪失感を、自分は忘れていっている。
このまま忘却してしまえば、自分は救われるのだろうか。救われたいと思っているから、忘れていくのだろうか。
道があった。決められた道が。その道の上にいれば、自分は何不自由することなく生きていくことができた。
産まれた瞬間から、他人よりも幾ばくか幸福な人生を与えられていたんだ。きっと、そのまま生きていけばきっと、いや、間違いなく、他人が羨むような人生を送れただろう。
でも、その道を、自分は放棄した。そして得た。本当の幸福を。
暖かかった。ただひたすらに暖かかった。
夢を見た。過去の夢を見た。愛おしい日々の夢を見た。
丘の上に、大きな家があった。周囲の木を切って作った家。庭には、両翼を広げて眠る巨大な天馬がいる。
彼女はいつもそこにいた。家の玄関横に。木を切って作った椅子の上に。
羊の毛でできた真っ白なブランケットを膝の上に乗せて、彼女は優しく微笑み外を見ていた。銀髪が風に揺れて、太陽の光を受けて光り輝いている。
その姿に対して、綺麗だと何度思ったかわからない。綺麗だと何度言ったかわからない。
愛しさが胸にこみ上げる。熱いものが瞼の裏にこみ上げる。
「アルク」
声が聞こえた。最も愛おしい人の声が、自分を呼んでいる。
そして彼女はいつもこういう。
「許さないで」
もうどれだけの血を浴びたのか。もうどれだけの血を吸ったのか。
心が黒ずむ。血に慣れていく。
もうあの日には戻れない。
夢は終わった。目覚めれば、そこに待つのは救いのない現実。さぁ今日も行こう。あいつが残した槍を握って。
必ずこの槍をやつらの頭に叩き込む。
邪魔をするならば、誰であろうとも、殺してみせる。
――第一章 神殺しの槍
教会の床に布の袋が並んでいた。にじむ赤色は、血の色。
鼻をつく臭いは、死臭。袋の中身にあるものは、もう二度と動くことは無い。
「ああー……多いなぁ」
「黙って片付けろ。聖女様がもうすぐ来るんだぞ」
「わかってるって」
白い鎧を真っ赤に染めて、男たちは首のない死体を袋に詰めて教会の外へと運び出している。慣れた手つきで肩に担いで、モノとなったそれを大きな馬車に投げ込んで。
穴があった。教会の裏に穴があった。大量の人の頭がその中に投げ込まれていた。それの顔は、全てが同じ顔だった。
苦悶の表情。一つとして安らかな表情のモノは無い。
その顔を見て、死ねば救われると誰が言えるのだろうか。
「なぁ、天使様の身体って、死体袋にいれていいのか?」
「北で処理した奴が言うには、別にいいらしいぞ。運ぶ馬車さえ別にすればな」
「そっか。しかし、どうやったらこうなるんだろうなぁ……見ろよこれ。千切れ飛んでるぞ」
「馬鹿。誰が聞いてるか。神様が聞いたら裁かれるぞ」
「おっと……そうだな……」
彼らは、神の代行者たち。テンプル騎士団。十字の紋章を服に刻み、神のために働く騎士たち。
腰に剣と銃を。全ては主のために。
人は、管理されている。その数を、その生を、その死を。
多すぎれば間引かれる。少なすぎれば子を作らされる。それは何百年も行われてきた当たり前のこと。
そこは神が創りし理想郷。神が創りし世界。人に与えられた箱庭、その世界の名はルカディア。
そこには嘗て国があった。大きな国があった。王は戦神。王妃は創成神の娘。
そこには、神も人も、天使も亜人も、全てが同じ場所で同じ立場で生きていた。
種が違うだけで、何も変わることは無い。力の強い人もいれば、賢い人もいる。それらの肌の色が、血の色が、皮膚の形が、肉の形が、骨の形が、違うとしても、何の問題があるのか。
王は、その世界が素晴らしいものであると思っていたし、実際そうだった。少なからず小競り合いはあったがそれでも平和で楽しい世界だった。
笑顔があった。喜びがあった。幸せがあった。
だがある日、その国に一人の男が生まれた。男は、異端者だった。
人は他の種と比べて寿命が短い。その分、数が増えやすく、比較的知識も高く、理想を語ることもできるようになる。彼は言った。
自分たちが神になれば、この世界は自分たちの思うがままだ。王の暮らしを、してみたくないか?
その男は、その男の行動は、今の世界を創り出すに至る。人の反逆は、失敗したのだ。
その男が何をしたかったのか、それはもう誰にもわからない。彼の行動は、人という種を他の種族から隔離させ、そして、人を家畜に変えた。
咎人。全ての人は咎人。その短い一生などでは罪は償えない。神が創りし理想郷を壊そうとした愚かな咎人。
人は生かされる。神の慈悲によって生かされる。神は笑う。愚かな人々を笑う。
正しいのは、我々だと、叫びながら神は人を笑う。
咎人は泣く。罪人は慟哭する。人は叫ぶ。そして数千年経った今。一人の男が動き出す。
ここは理想郷。嘗ての理想郷。理想郷だった世界ルカディア。
罰は受けた。十分に、十二分に。数千年だ。一人の人の罰としては、長すぎるのではないか。もう十分なのではないか。
さぁ、反撃の時は来た。武器を持とう。心を燃やそう。人は、そろそろ自分のために生きていい。
――森の中で、一人の男が眼を覚ました。
「うっ……」
強い日差しだった。木漏れ日の光が彼の眼を直接照らしていた。
瞼を貫くその光は、彼を覚醒させた。傍らには巨大な槍。木に背を預けたまま、アルクァードはゆっくりと身体を伸ばし首を鳴らした。
バキバキと、身体の節々が鳴っている。アルクの全身は青い血で染まっていた。
彼の背後に転がる大量のオークの死体。その数100体分以上。
「昼か……流石に疲れて……うん?」
彼は自分の腕に何かが乗っているのに気付いた。横に投げ出していた左腕。その上に、それなりの重量がのしかかっていた。
首を左に向ける。そこには――――
「ああ?」
女性がいた。深い青色の長髪を彼の腕に押しつけて、彼女は眠っていた。
煌びやかなドレス。最上のティアラ。腕には金の腕輪が嵌められている。
「いつの間にだ……少しびびったぜ」
アルクは左腕を揺らた。彼女の身体が小刻みに縦に揺れる。豊満な胸部が揺れる。頭が揺れる。
そして、彼女はゆっくりと瞼を開けた。
「あれ私寝て……おはようアルク」
「おはようじゃねぇよ。立てユーフォリア」
「……重かった?」
「全然。いいから立て」
「うん……ふぁぁー……」
長い足を出して、彼女は立ち上がった。寝起きだからか、眼に光が無かった。
アルクの目の前を、土で汚れたスカートが左右に揺れる。はたけば落ちそうだったから、アルクはそのスカートを左手で軽く叩いた。
土は落ちたが、代わりにアルクの手についていた血がついた。
「あ、わりぃ」
「あ、いいよ別に。あとで法術で綺麗にしとくから」
「そうか、さすが聖処女様。大したもんだ」
立ち上がるアルク。褒められて少しうれしそうな顔を見せる彼女。
人でありながら神にのみ許された法術を使える彼女は聖女。聖女ユーフォリア。死した人々のために祈りを捧げる者。
「アルク怪我してる? 治そうか?」
「ああ? あー……じゃあ頼む。あばらが痛くてな」
「うん。どっち?」
「どっちも」
「ボロボロだね」
「いつものことだ」
ユーフォリアは手を翳した。その手は、光り輝いていた。
撫でるような手つきで、彼女はその手をアルクの胴体に近づける。光が強まる。
「ふぅー……なぁユーフォリア。お前が来たってことは、今回の間引き、終わったのか?」
「……うん」
「そうか。今回も、殺せなかったか」
一瞬、悲しそうな顔を見せたユーフォリア。その顔を、アルクは見なかった。
アルクは空を見上げた。今回も、いや今まで全て、無駄骨。望みの首は、未だ会えず――
「あ、あれ? 誰かいるぞ」
木の陰から、小さな顔が二つ現れた。少年と少女。リオンとミラ。両手に薬草を沢山持って、二人はアルクの下へとやってきた。
無表情のミラ。リオンはユーフォリアを見上げて、何とも言えない顔を見せる。
「あの、アルクさん、薬草、持ってきたんですけど……あの、ど……どちら様……?」
「ああ? 聖女様だよ。見たことねぇのか?」
「え? あ……ああああ!?」
気づいたのだろうか。リオンは一瞬固まった後に、大声で叫んだ。
声が森に響き渡る。聖女。この世界にいる人々にとっては、神に等しい存在である。崇め奉る存在である。雲の上の存在である。
言葉にならない言葉を発して、リオンは膝をついて頭を下げた。その姿を、少女ミラは無表情で見下ろしていた。
「し、失礼をしました! ミラちゃん駄目だよ頭下げなきゃ!」
「え……」
「いいよ頭下げなくて。めんどくせぇガキだな。立てほら」
アルクは面倒そうにリオンの足を軽く蹴った。軽く小突かれて、リオンはゆっくりと立ち上がる。
不自然なほどにユーフォリアから視線を外すリオン。13の少年が、その姿を直視してはいけないと思っている。この世界の歪さの片鱗がそこにあった。
苦笑しながら、ユーフォリアはアルクに尋ねた。
「アルクの子供?」
「何でどいつもこいつもそうなるんだ。まだ俺25だぞ。ガキにしてはでかすぎるだろうが。幼馴染だろ歳覚えてろよユーフォリア」
「あれそうだっけ? ふふふ」
虫が鳴いている。木が揺れている。
背後に転がるオークの死体を除けば、そこはなんとも穏やかな空間で。まるで時間が止まったかのようで。
ユーフォリアの輝く手がゆっくりとアルクから離れた。
腰を捻り、腕を伸ばし、アルクはあばら骨の痛みが消えたことを確認する。
「ユーフォリア。神が来るような予定はもうねぇのか? 降臨祭も生誕祭も、間引きも、外ればっかだ」
「うん。最近ね、神様たち本当に降りてこないの。アルカディナ様が来るまでは多かったのに、テンプルの方にも来るっていう連絡ないみたいだし」
「そうか……」
「もしかしたら、もうこの地区には来ないのかも。間引きの数も小さくなってきたし」
「王国の方にいった方がいいのか?」
「かもしれない。でもあっちは私、管轄じゃないから情報が薄い。アルク一人じゃ、たどり着けないかも。騎士団長も引退したし」
「くそ……あのじじい残っとけよな……いつになったらあいつらに……くそ……」
「アルク……」
木が揺れる。歯を食いしばるアルク。その顔を、悲しそうに見るユーフォリア。
二人の間に流れる空気は、他のどこよりも深く、濃い。二人はどんな関係なんだろうかと、少女ミラは思った。
「……ユーフォリア、もういい、戻れ。テンプルに見つかると面倒だ。あとでまた会いに行く」
「……うん」
「ああ、あと、頼みがあるんだが、実はこの二人のガキ共」
アルクは何かを言おうとして、固まった。眼を見開いて、ユーフォリアの背後を見る。
暖かい木漏れ日に、温かい人の声。だから、気が抜けたのだろうか、だから、気を抜いたのだろうか。
女が立っていた。白い鎧を着た女だった。白い服に十字の紋章。そして赤い剣の鞘。
それは――
「アルク?」
アルクはすさまじい速さで手を伸ばした。その手は、ユーフォリアの肩を掴み、彼女を反転させる。
「な、何」
そして、アルクは声が出ないように、腕でユーフォリアを抑え込んだ。
「あぐっ」
腰から抜くは火砲。巨大なそれの銃口を、ユーフォリアの頭に押し付けてアルクは見る。目の前にいる、白い鎧を着た女を見る。
女は驚き、慌て、剣を抜いた。そして叫んだ。
「聖女様を離せ異端者! 皆! 聖女様こちらにおられましたよ! みんなぁ!」
テンプル騎士団聖女騎士。赤鞘の女騎士が、彼らの前に立ちふさがった。




