第6話 進むべき道
人は奴隷だった。
定められた役割を与えられた奴隷だった。
王である神々のために、人は生きる。食物を育てては神の下へと送り、鉱物や宝石、燃料等を採っては神の下へと送る。
神にとっては人は家畜だった。便利な家畜だった。人は生まれた瞬間にすべきことを定められ、定められたことをして、そして死ぬ。
定められた役割のままに、人は生かされる。それはある意味では楽園なのかもしれない。選択することを許さないこの世界は、選択したくない者にとっては楽園なのかもしれない。
歩く道がある。その道を歩けば少なくとも生きられる。友人も、恋人も、定められた範囲内であれば持つことができる。
それでもいい。それでいい。それがいい。
世界という広い箱庭の中で。作られた人生の中で。人々は歌う。喜びの歌を。人生を称える歌を。
悲しい歌を。
彼らはまだ知らない。まだ気づいていない。自分たちの命は、自分たちのものであるということを彼らはまだ理解できていない。
進め。
進め進め。
進め進め進め進め。
進め進め進め進め進め進め進め進め進め。
自らの足で、進め。
この広い広い世界で、その男はただ一人、進む。自らの足で進む。この行為に、意味などないとわかっていても、それでも彼は進む。
少年は見ていた。教会の外から見ていた。傍らに立つ小さな女の子が、それを見ているから、少年もまた、見ていた。
「おおおおりゃあああああ!」
雄叫びだった。叫び声だった。赤錆の鎧を身に纏ったアルクァードは叫びながら槍を振り下ろしていた。教会の中で、飛び掛かってくる天使たちに向かって。
その一撃で、三人の天使の胴がまとめて分断された。飛び散る天使の血は赤い。人と何の違いもない。漂う鉄のような匂いすら、人のそれを何も変わらない。
真っ赤な血を浴びて、不敵に笑うアルクァードの姿をみて、村の少年リオンは何故か、スッとした気分になった。
天使は神の使い。天使は偉い存在。天使は絶対的な存在。
それを人が軽々と殺している。
何故か、胸のすく思いがした。それが何故かは、少年はまだ理解できない。
「駄目だ近づくな! 法術だ!」
慌てふためき、指示を飛ばすその震えた声。仲間が目の前で殺されて、恐怖と怒りに染まったその声。どこが神々しいものか。人と何ら変わらない。
天使たちは教会の天井付近を円を描くように舞い。手に持っていた槍の先をアルクの方へと向けた。槍の先に光が集まる。
「放て!」
号令。天使の一人が叫んだその声に合わせて、天使たちの槍から光が放たれた。白い光。空気を切り裂く甲高い音を放って、それは真っ直ぐにアルクへ向かって進む。
上から、四方八方から、光の線はアルクを貫かんと伸びる。
法術。それは神のみが使える奇跡。何もないところに火を発生させたり、物を凍らしたり、身体を治癒したりと、誰しもがあり得ないと言うことを実現させる術。
その光の線は、熱線。触れれば焼け、触れれば溶け、触れれば死ぬ。
軽々と人を死に至らしめる光。当たれば死。
だが
「しゃらくせぇ!」
その光は、アルクの槍の一閃の前に消える。絶対的な、人を殺す攻撃が、人の手によって消される。
絶句する天使たち。腰から火砲を取り出すアルク。
火砲を左手で持ち、上へ。天使たちの内、先ほど法術を使えと叫んだ天使へと銃口を向けて、照準が合うや否や迷わず絞られる引き金。
響く爆発音。爆ぜる天使の頭。飛び散る血と脳漿。
頭を失った天使が空中でぐらりと揺れて、堕ちる。天使たちはそれを眼で追う。無意志に。
大きな音がした。何か巨大なものを地面に叩き付けたような、そんな音だった。
天使たちはその音に反応して、ゆっくり堕ちる仲間の死体から眼を離して地面を見た。そこには、槍を地面に突き刺しそれを軸にして、大きく飛翔する男がいた。
飛翔する。即ち、高いところまで跳ぶ。
何のために?
もちろん、天使たちに槍を届かせるために。
「うおおおおおおおおおお!」
叫び声と共に振り下ろされる槍。それは円を描いて、一気に6人の天使を両断した。
アルクは落ちていく。数人の天使の死体と共に。彼は、笑っていた。笑いながら、後方を見ていた。後方にいる天使を見ていた。
天使は、神の使い。天よりの使者。
神は人の前に滅多なことでは姿を現さない。神の言葉を人に伝えるのは、専ら天使の仕事。
即ち、天使の声こそが、神の声。
飛び掛かる天使。それを躱し、槍の柄を撃ち込むアルク。刃がついていない槍の柄とはいえ、彼の剛腕で振り下ろされればその威力は絶大。頭蓋骨を陥没させることなど容易い。
声が消えていく。その男の一振りで天使の声が消えていく。神の声が消えていく。
目の前に来た天使の頭に、いつの間にか左手に持っていた火砲を突きつけた。迷わず引き金を引くアルク。炸裂音と共に天使の頭が吹き飛ぶ。
その光景が、何とも非日常的過ぎて――
「はははは!」
振り下ろされる槍。振り上げられる槍。打ち込まれる弾丸。装填される弾丸。
死んでいく。
「ははははははは!」
次々と死んでいく。
「はははははははははっ!」
次々と殺されていく。
「あはははははははははは!」
笑いながら、次々と殺していく。
人々が抱いた感情は、絶望だった。教会にいる人たちは皆、絶望を感じていた。
天使は神の使い。
神は絶対。
人は神の下僕。
それは有史より決められたこと。しかしその男は、それに異を唱える。世界中でただ一人、神に挑む人間は、即ち天に唾吐く世界で唯一の人。
そんなことは許されない。
そんなことを許してはいけない。
神は絶対。神がいるから人がいる。人は神に逆らってはいけない。親に逆らう子がどうなるか、そんなことは誰でもわかること。
教会にいる人々は、その光景を見ていた人々は絶望した。涙を流す者もいた。その中で絶望していなかったのは、少女ミラと、少年リオンだけだった。
それは異形だった。あまりにも異形だった。全ての天使を斬り殺して、真っ赤な血を浴びて、武器を両手に笑うアルクは、あまりにも異形だった。
「くくく……ああ、天使じゃ相手にならねぇなぁもう……神よ。おお、神よ。役者不足すぎるぜ。そろそろ降りて来いよ。なぁ……そろそろ相手してくれてもいいだろうが。なぁ何で降りてこねぇんだぁ? まだ殺されたりないかぁ? ああ?」
血を浴び、真っ赤に染まったアルクは、ステンドグラスに書かれた神に対してそう言った。その声は、狂気に染まっていて。低く、深く、深淵に落ちるかのような声で。
「悪魔……悪魔め……!」
神父は彼に十字のシンボルを突き付ける。それは神のシンボル。不浄な悪魔を、払わんとする行為。
「罪を償え、罪を償え……神よ……神よ……!」
必死に祈りを捧げる神父。その祈りは、何のためにあるのか。誰を救うためにあるのか。
彼は知らない。知ることができない。信仰は、何のためにあるのかということに気づこうとしない。
だから救えない。
「君! なんてことするんだ君は!」
「……ああ?」
「天使様は我々の守護者! 今日は我らが罪人のためにわざわざ天界よりお越しくださったのだ! それを殺すとは! 馬鹿者め! 首を、首を差し出せ馬鹿者め!」
「お前、頭大丈夫か? お前らを殺しに来たんだぞ天使は」
「ああそうだ! 我々は罪人だからな! 皆の衆! 続きを! 断罪の続きを! さぁ早く! 首は私が落とそう!」
「ああん……!? お前本気かよ……!?」
「さぁ皆! 悪魔の言葉には耳を貸してはいけない!」
天使の死体から、首を落とすための剣を取る神父。重く、歪なそれを、細い神父は両手で力の限り持ち上げる。罪人の首を断つために。
「さぁ! 次の咎人よ! 罪を告白し、命を天に還すのです!」
列の先頭にいた男は一瞬迷ったような顔を見せたが、直ぐに決意して、神父の前へと歩き出した。
途中すれ違ったアルクには眼もくれずに。男は神父の前に跪くと小さな声で罪を告白した。
「では首を神に……!」
彼らは知っている。人が神に見放されれば、生きていけないことを知っている。
彼らは弱いから、それに抗うことなどできない。足掻くことなどできない。
「ちっ……くだらねぇ……」
アルクは彼らに背を向けて教会の外へ向かって歩き出した。彼の後ろから、鈍い音が鳴り、そのすぐ後に声にならないうめき声が教会中に響き渡った。
神父の細腕で、人の首を一撃で落とすことなどできない。
「アルク……」
教会の入口で、ミラは小さな声でアルクを呼んだ。少しだけ、声を震わせながら。
「これ以上は知らねぇな。俺は馬鹿を助けるほど暇じゃねぇ。死にてぇやつは死ねばいいのさ。その方が幸せなんだったらそうすればいいさ。行くか」
「……うん」
どこからか現れる巨大な片翼の天馬。アルクはミラを持ち上げ、その上に乗せると、自分もそれに乗ろうと鐙に足をかけた。
「あの」
乗ろうとするアルクを止めたのは、一人の少年だった。振り返るアルク。少年は、震えながらもしっかりとアルクの眼を見る。
「何だ?」
「僕……薬草……薬草を、持ってるんですいっぱい」
「ああ? それで?」
「や、役に……立ちませんか、ね。その、傷、あるみたいだし。ひ、肘のところ」
「肘? ああ掠ったか。こんなもんほっとけば治る」
「あ、いやその……」
「んだよじれってぇな。言いたいことがあるなら……待て、おいガキ。名前は何て言うんだ?」
「え? リオン、ですけど」
「リオン、お前、生きたいか?」
「は、はい」
「なら……ほら、こっちこい」
「え? うわっ」
軽々と持ち上げられるリオン。そのまま一気に天馬の上に置かれた。
「振り下ろされるなよ。アガト、ガキどもしっかり守れよ」
「ゴオオオ」
背に仕舞っていた槍を取り出すアルク。その眼は、教会の傍の森へと向けられる。
「アルク?」
「ミラもしっかりアガトにしがみついておけ。わかったか?」
「うん……どうしたの?」
「おかわりだ。へへへ。そうだよなぁ。間引きだもんなぁ。護衛はいるよなぁ」
アルクはゆっくりと森へと向かって歩き出した。彼が森に一歩踏み入った瞬間に、それは姿を現した。
「うわっ……なんだあれ……!?」
思わずリオンが声をあげる。教会への列を作っていた人たちも眼を丸くさせる。
それは、人のような何かだった。豚と人、それが混じったような、巨大な、怪物だった。
「獣人じゃねぇな。なんだっけ……オルク、だっけ? オーク……あー何でもいいか。亜人は種類が多くてなぁ」
それは、大量にいた。森の中。どこに隠れていたのか、あるいは隠れていなかったのか。それは、十、あるいは百。それに迫る数。兎にも角にも、巨大な怪物はその森の中に大量にいた。
笑うアルク。
「おーおーこりゃ多いな。百人斬りとは何とも箔がつく。へへへ……さぁ、やろうか。神の下僕ども」
闇の中に一人、道なき道を選ぶ一人の男。アルクァード。
大槍を片手に、進むは彼の道。足を前に、身体を前に。
赤錆の騎士は、森の中へと駆けていった。




