第10話 審判
「おはようございます皆さん。昨夜の雨で少し気温が低くなっております。風邪に気をつけて、今日も一日元気に働きましょう」
声が聞こえる。
いつもの声が。神の声が。世界中に鳴り響く。
人々はその声を聞いて、今日がやってきたことを知り、動き出す。
朝を告げる神の声。人々はその声を聞いて、起き上がり、その声を聞いて、動き出し、その声を聞いて、朝を知り、その声を聞いて一日を生きる。
きっと、この世界にいる誰もがそれに疑問をもってはいない。
きっと、この世界にいる誰もがそれの意味を知らない。
その世界では、神が人の、朝起きて動き出すその時間を決めているのだ。
――もしも
――もしも生きていることが罪だとしたら
――もしもあの時の想いが罪だとしたら
――俺は
「起きろ!」
男の声。叩き付けられる水。
引き戻される意識。戻りたくない現実。
「神の声が聞こえないのか異端者め……」
苛立ちを隠さずに、白い鎧を着たテンプル騎士団の男が立っている。その眼下には鎖に繋がれた大柄の男。神に逆らう者アルクァード。
アルクの前髪を伝わって、水が石の床に落ちていく。ポタポタと音を立てる。
ゆっくりと瞼を開けるアルク。見下ろす男の顔を見て、口角をあげて嬉しそうに彼は笑った。
「よぉ、最高のベッドだったぜ。固くて冷たくてな。クソ喰らえ」
「ふざけるなよ貴様! 立て!」
テンプル騎士団の男はそこまで大柄な男ではない。男は力の限りアルクの鎖を引っ張ったが、アルクはピクリとも動かなかった。
必死に引っ張るテンプルの男。面倒くさそうにアルクは立ち上がった。
「うっ……でかい図体しやがって……今日は審問だ。中央より審問官様が来ておられる。感謝することだな」
「おい、俺の隣に繋がれてたやつ、どこいった?」
「貴様……あの男はもうすでに天に還った。審判が下ったのだ」
「ああ? たかが食い逃げでこの早さかよ」
「たかがだと? 神はおっしゃった。盗みは罪だと。ならば速やかな断罪を与えるが我らが使命」
「ちっそういう方針か糞共が……テンプルも堕ちたもんだ」
「何だと貴様」
「うるせぇよ早く連れていけ。今の糞共の顔を見させろ」
テンプルの男は、アルクの手に鉄の腕輪をかけた。その腕輪は鎖で繋がれ、その鎖はテンプルの男の腰に伸びている。
その代わりに、壁に繋がれた鎖は外され、歩く自由を得た。アルクは男に引かれて、牢屋から出る。
牢屋の外は変わらずの石造り。カビ臭い匂いと、下水の異臭。かすかに聞こえるうめき声は、どこの牢屋の住人か。
テンプルの男は乱暴に鎖を引っ張る。アルクはそれに逆らわず、歩き出した。
彼らが歩く通路は真っ直ぐにだった。そしてそこは薄暗かった。
声が聞こえる。遠くで。近くで。壁を伝って。
大きな声だった。それは叫び声だった。アルクは眉間に皺を寄せて、小さく溜息をついた。
「拷問か? 誰の趣味だ」
「黙れ。何だお前は、テンプルの何を知っているんだ」
「さぁな……」
アルクはテンプルの男に連れられて進む。薄暗い牢獄の中を進む。
赤い染み。吐しゃ物の跡。黒い染み。
叫び声、うめき声、泣き声。
足が無い男。腕が変な方向に曲がってる男。全裸の女。血まみれの女。
両手両足がなく、机に――
「ちっ……」
アルクは舌打ちをした。ここは、罪人の墓場。死の間際の人に与えられた最後の世界。
神は言った。人は平等だと。しかしながらこれはどうか。地位と名誉を与えられた者達が、それらを得ることができなかった者達を虐げ、弄ぶ。こんな世界で、一体だれが人が平等だと言い切れるのか。
上階に伸びる長い階段を、アルクは登る。血の臭いが、段々と離れていく。
人は罪を犯す。大なり小なり、生きていれば何かを犠牲にしなければならないし、口にするものは全て命だ。
だから、人は誰しもが裁かれる。生きているだけで裁かれる。
生きているだけで罪だとしたら。生きることが罪だとしたら。
果たして、生きる意味など、あるのだろうか。
階段を登って行く。牢獄より出た先は、審判の舞台。そこは、司教裁判所。人が神に、裁きを乞う場所。
アルクは見回した。中央には罪人が立つ台が、周囲にはその罪人が裁かれるのを見る傍聴席が、そして正面奥には審判を下す司祭たちが並んでいた。
周囲の席に座るのは全てテンプル騎士団関係者。白い装束に、テンプルの紋章。神父が、司祭が、修道女が、騎士が、様々な人々がそこに座っていた。
「罪人を連れてきました」
「ご苦労」
アルクを連れたテンプルの男は、その腰についていた鎖の端をそこにいた騎士に渡した。鎖を受け取った騎士は中央に歩き、中央の台に繋げた。
その男は、アルクに台に乗れと顎で指示した。アルクは面倒そうな顔をしながらもその指示に従った。
台に立つ。ただでさえ背の高いアルクが、更に大きくなった。
「ではこれより、罪人102番の裁判を始める。一同、起立を」
その一声に、一斉に皆立ち上がった。ガタガタと椅子の音が鳴り響いたが、それもすぐに止まった。
司祭たちの内、中央に座っていた者が両手を組み、神に対する祈りを捧げる。他の者たちも同じように、祈りを捧げる。
少しの後、司祭の一人がゆっくりと眼を開けて、そして言った。
「では、罪人102番。処罰を告げる」
「ちっ……質問も尋問も無しかよ……」
「天使を殺し、神の下僕を殺し、聖女を捕らえ、神に仇名す異端者よ。貴様が罰は死である。これより即、斬首を執行する。聖女ユーフォリアの前に、己が首を差し出すがいい」
「そうですかい。そりゃ光栄で」
鐘が鳴った。審判の時を告げる鐘が。もはや、裁判に意味などなかった。
――この世界に、生きる意味など、あるのだろうか。




