難民集落にて
5月5日 午前10時
ネーポル市南東部 旧市街区 河川敷近く
レナと名乗る家出少女と出会って、しばらく後。彼女を目的地へ案内する前に、タキトは一旦、我が家のある河川敷へ戻ってきていた。リュックの中に詰め込んだ『材料』を家に置いていくためだった。
チラシの住所によれば、イベント会場は郊外の商業施設、『ネーポル・ガレリア』。タキトの身なりは、日頃から気をつけていて小奇麗だったが、さすがに資源ごみを背負って出入りするわけにはいかない。
「……ほら、あの橋の下。あそこが俺の、今の故郷だ」
土手の上に立ったタキトは、その後ろから登ってきたレナに、我が家のある辺りを指示した。
軽装ではあるものの、重い旅行鞄を抱えた少女は息を切らし、彼の横に並ぶ。
タキトは彼女に、自分が河川敷に住んでいる事を明かしていたが、それでも少女の態度は変わらなかった。むしろ、タキトのような人々の生活がどんなものか知りたいと、積極的について来たのである。
「はぁ、はぁ、……わぁ、すごい」
高さ2メートル、傾き50度の坂を上り切り、膝に両手をつくレナだったが、目の前に飛び込んできた光景に、すぐに疲れが吹き飛んだ。
そこにあったのは、一つの集落だった。
河川と堤防の間、高架下を含める約2haのエリアに、平屋の群が3つ。2本の通路を挟み、帝都の市場の如く整然と並び立っていた。
「自治権が認められた集落の一つでね。時々減ったり増えたりするけど、大体30人ぐらいが生活してる。皆、俺と同じヴェスヴィ人だ」
「思っていたよりも、ずっと綺麗。……あ、ごめんなさい」
驚きのあまり、つい口を滑らせてしまったレナだが、タキトはそれを笑って流す。
「皆、あの戦争で焼け出されはしたものの、働ける力は十分にあるからね。それに、あの辺はもともとキャンプ場があって、シャワーとかトイレ、炊事場なんかもまだ使えるんだ。だから、他所の難民よりは比較的いい暮らしができている」
川から水を引いて洗濯もできる、とタキトは着古されながらも臭いや汚れの無いジャケットを見せびらかした。
レナはその姿に、くすりと笑みを漏らし、2人は集落の方へと歩き出した。
だが、土手を降りて集落の端まで来ると、タキトはふと違和感を覚えて立ち止まる。
「どうかしたのですか?」
「やけに静かだ。……というか、皆はどこに行った?」
タキトの呟きに、レナはまっすぐ奥へと続く集落を眺める。
2人が並んでも裕に通れる幅がある道の両側には、廃材を組んだ簡素な小屋が等間隔に連なっており、その中にはちらほらと、商店のような場所も見られた。
だが、自家製と判る不揃いな野菜が並んだテントも、その斜向かいにある金物屋も、不用心にも商品を放ったまま、店主がどこかへ消えていた。
シンと静まり返った集落の様子に、タキトは背中に嫌な汗を感じ始める。
「(まさか、またあの連中か?)」
「……タキト?」
『ホームレス狩り』が来たのか、と警戒心を露わにしたタキトに、レナの表情も強ばる。
すると、彼らの向かって左側、木枠とトタン板でできた民家から、1人の老婆がのそっと顔を出した。
「おや、タキト。新入りさんを連れてきたのかい?それとも家出人を拾った?」
声を掛けられ、びくりと一歩下がるレナ。それとは対照的に、タキトは警戒を解いて老婆に尋ねる。
「ルネ婆さん!……このお嬢さんは家出人だけど、ここで寝泊まりするわけじゃないよ。ちょいと『ガレリア』に行く用事ができてね。荷物を置きに戻ってきたんだけど……なにかあったのかい?」
「ああ、さっきちょっとした騒ぎがあってね。大人は皆、あっちの橋桁の方へ集まってるよ。でも、あんた達はいかない方がいいねぇ」
物憂げな表情で語るルネ。タキトは、10年前から世話になっているこの老女の様子から、何があったのかを察した。
「誰か、亡くなったのか?」
この河川敷には、老若男女さまざまな人間が生活しているが、タキトのように永住している若者は少ない。ほとんどの場合、懐具合がある程度マシになると、より安全な住処を求めて去っていく。
そして残るのは、他に行く当ても、出ていく力もない老人たち。キャンプ場跡の施設が使えるとはいえど、衛生面や冷暖房は十分でないこの河川敷で最期を迎えた者を、タキトは何人も知っていた。
「この集落の者じゃないけどね。まだ若い、あんた達とそう変わらない少年らしいよ。上流の方から流されて、ここの浅瀬に引っかかったみたいでね。今、男衆が警察を手伝って引き上げてるところさ」
「そうだったのですか」
レナは、老婆の示した方向へ向かって静かに祈る。
すると、2人が向いた通りの方から、1人の老人がこちらへ駆け寄ってきた。それが自分の宝飾の師匠だと、タキトはすぐに気づく。
「あっ、師匠!」
「おお、やはりタキトだったか。土手の上に立っておるのが見えたでな。して、そちらのお嬢さんは?」
ルネの言っていた、遺体の引き上げを手伝ったのだろう、膝から下と胸元を濡らした老人に、レナはぺこりと会釈する。
「レナと申します。先ほど、物騒な方々に絡まれたところを、タキトに助けていただいて……」
「おや、ずいぶんと育ちの良いお嬢さんじゃな。わしはリコラ、タキトの保護者じゃ」
「わざわざシャーネポリスから、1人で来たんだって。ちょっと訳ありでさ。これからガレリアに案内してくるから、俺の“荷物”を置きに戻ってきたんだけど……」
高架へ眼をやりながらのタキトの言葉に、続きを察したリコラは、白いひげを蓄えた顔を悲しげに傾ける。
「昨晩、河上の方で騒ぎがあったじゃろう」
「ああ、テロリストが郊外の軍事施設を襲ったって……まさか」
「警察いわく、服装から見てその一味で間違いないらしい。かわいそうにのう、まだお前さんとそう変わらぬ少年じゃった」
「テロ、ですか?帝都でも、時折耳にしておりましたが」
不穏な単語に、レナは胸元でぎゅっと両手を握りしめる。
「レナさん……?」
「タキト!」
少女の浮かべた憂い顔に、タキトは何かを訴えかけるが、リコラがソレを、静かだが強い語気で制する。
そしてそのまま、彼のリュックを取り上げると、代わりにポケットから使い古しの紙幣を数枚取り出し、タキトに渡す。
「そんなわけで、暫くは警察がうろつくことになる。嬢ちゃんが訳ありというなら、早めに立ち去った方が良い。これでバスが使えるじゃろう」
「師匠?」
受け取った紙幣はタキトの胸元に収まっているのと同じ、1ドラク。それが3枚。
「一番近いバス停からじゃと、1人70コドラク。残りは、好きに使ってもよい」
「……、……本当に良いのか?師匠」
この集落にとっては3ドラクは大金だ。毎日稼ぎが得られたとしても、それだけ貯まるには数か月かかる。
だがリコラは、そんな紙幣を手に困惑する弟子と、彼が連れてきた少女を見つめ、優しい声で言う。
「お前さんらは若い。年相応に遊んで来なさい。お嬢さん、このタキトは、口と目上への態度は悪いが、性根は優しい子です。どうか安心して、こき使ってください」
その顔は、子を思いやる父のそれだった。
*****
しばらく後
タキトの『素材』を引き取り、土手を上っていく2人を見送った後、皆が集まっている集落の反対側へと戻りながら、リコラは1人、顔を綻ばせながらつぶやいた。
「大きくなられましたな、レシーナ皇女様。じゃが、お転婆なのは相変わらずなご様子で」
その時、北の空から空気を切り裂くようなエンジン音が轟き、リコラはふとそちらへと首を持ち上げる。
一機の輸送機が、「し」の字を描くように低空を旋回し、北東へ向かって離れていくのが見えた。齢64ながら、まったく衰えを知らないリコラの目は、その機体に描かれた紋章をしっかりと捉える。
紅い下地に黒い狼と一振りの剣、イーディア帝国第一皇女の徽章だった。
「オクタヴィア様、か。願わくば、もう少しだけ、妹君に自由をお与えくださいませ。……あのお庭でのひと時のように」




