皇女は密かに、初恋を探す
帝国歴3140年5月4日
イーディア帝国 首都シャーネポリス
皇居パルディオナ城 第二皇女の居室
「うぅ、絶対無理だって、絶対バレるってぇ。皇女様、お恨み申し上げますぅ」
ここは惑星の1/3を支配する帝国の中心シャーネポリスのさらに中心、皇帝とその一族が住まうパルディオナ城内の一室。
第二皇女レシーナのシンボルカラーである、白と黄色を基調とした、彼女の寝室である。
だが今、部屋の主の姿はどこにもない。代わりに、第二皇女の専属侍従、レフ・ドードが、主人から口止め料として渡されたペンダントを握りしめ、部屋の隅で震えながら、恨み節を呟いている。
普段の執事服ではなく、その大柄な身体にはどう見ても不釣り合いなドレスを着ているレフが見つめるのは、中央に赤いルビーがはめ込まれ、周りに虹色7色の宝石をちりばめた高価な品。だが帝国で有数の煌びやかさも、庭仕事で豆だらけな彼の手の上では、道端のガラス玉のようにくすんで見える。
それは彼も承知しており、ペンダントをさらに数秒睨んだ後、そうっと、本来あるべき場所であるベッド脇の宝石箱へと仕舞った。
その時、
ドンドンドンドン! ドンドンドンドン!
部屋で唯一の扉が、乱暴に何度も叩かれる。
『レシーナ、レシーナは居るか!?とうにレッスンの時間は過ぎているぞ!レシーナ!』
「ひっ、オクタヴィア様!」
声に怒りと焦りを含み、今にもド扉を破りそうな勢いの来訪者に、レフはとっさの判断で、皇女のベッドの中に潜り込んでしまう。
その直後、さらに何人かが戸口に駆け寄る音がする。
そして、何か問答をするような間をおいて、かちゃり、と(レフの予想に反して)普通の手順でもって錠が開けられる。
入ってきたのは3人。1人は赤い軍服のような礼装を身に着けた、翠の眼と赤い髪をもつ麗人。その背後に控えるのは、片方は濃い茶髪、もう片方は淡い金髪の、顔が瓜二つな女騎士たち。
帝国第一皇女、オクタヴィア・イーディアと、その護衛だった。
「レシーナ!……いないのか?」
「殿下、あちらを……」
駆けつけて来た為か、それとも探し人への憤懣からか、肩で息をする麗人に、茶髪の騎士が、掛け布団が人型に膨らんだベッドを指し示した。
「ん?……レシーナ!どうした!?具合でも悪いのか?」
入室前とは打って変わって、優しげな声で心配してくる麗人に対して、レフはむしろ死神の気配を感じていた。
「……」
「おい、レシーナ。本当に体調が悪いのか!?」
とうとうベッドの傍までやってきた3人の気配に、レフは限界を迎える。
「イイエ、オネェ様。大丈夫デス」
なぜそんな事をしたのか、レフは主人の声を真似ようと、甲高い声で返してしまう。
(ゾクッ)
あまりの気色悪さに、3人は警戒心よりも先に、怖気を覚えた。
「……」
「……」
「「………、………」」
それから数秒、重苦しい空気が室内を支配した。が、それはオクタヴィアの中で膨らむ怒りに反比例して薄まっていく。
「そうかぁ、大丈夫かぁ。なら、とっとと出てこい!レフ・トード!」
額に青筋を浮かべた第一皇女は、そこへさらに凄んだ笑みを付け加えると、腰に差した儀礼用のサーベルを、わざと音を立てながら抜き放つ。
シリィィィン
「うぅ……うわぁぁん、ごめんなさいごめんなさい、ごべんなざ~い!」
その音にレフはこらえきれず、布団を跳ね上げて転げ落ちるように床へ降りると、皇女一行へ向かってひれ伏す。
身構えていた3人は、その見慣れた光景にそろって深々とため息を漏らし、オクタヴィアはサーベルを仕舞う。
「はぁ……それで?まもなく公務を担う歳だというのに、未だお忍び癖が抜けない我が妹は、今日はいったいどこへ出かけたのだ?」
どうせいつもの城下町散策だろう、と高を括った第一皇女一行は、身代わりにされたレフに同情しつつ、レシーナの行き先を各々頭に思い浮かべていた。
今頃は行きつけの菓子屋か、はたまた孤児院の庭か。
ところが、根が真面目な為に毎度災難な目にあう、哀れな少年侍従から告げられたのは、彼女たちが予想だにしなかった場所だった。
「……――――、です」
「は?……もう一度、言ってくれないか?」
冷や汗を浮かべながら、オクタヴィアは再度確認する。
「はいぃ!レシーナ皇女様はお独りで、『ヴェスヴィオス自治州』へ向かわれました!!」
******
『ヴェスヴィオス自治州。
東大陸の南端から西に広がる大海洋へと突き出た、ロメ半島全域に及ぶ地域。
かつては少数民族ヴェスヴィ人が納める共和国であり、北端で国境を接するイーディア帝国とは、同規模の他の国々と同じく、実質的な朝貢を行うという関係にあった。
しかし、帝国歴3130年。一杯の葡萄酒によってそれは崩れ、共和国は地図から国名を消される事となる。
それは、在ヴェスヴィオス帝国領事館での、立食パーティでの事。
毎月一度開かれる、政治的には何の意味もない、単なる地域住民との親睦会で、その日もいつもと変わらない、誰もがそう思っていた。
乾杯の音頭を取り杯を煽ったイーディア人領事が、喉を掻き毟りながら倒れるまでは……。
幸いなことに、出席者の中に医者が居た為、領事は一命をとりとめた。しかしこの一件をきっかけに、イーディア・ヴェスヴィオス間に、不穏な空気が漂い始める。
元々、当時のイーディア国内には選民思想があり、人種の違うヴェスヴィ人に対する偏見や差別が日頃から問題となっていた。それが騒動に拍車をかけていた。
そしてついに、イーディア側がヴェスヴィ人の青年を犯人として拘束したことで、共和国民の怒りが爆発。反帝国を訴えるデモやイーディア人を狙った暴動が多発した。
対して帝国側では、共和国内に住む邦人に対し帰国を命令。国境付近に軍を配置し、これを支援しつつも、直接的な示威行動は控えていた。
だが、この事にヴェスヴィオスの軍部が過剰に反応。当時の政府内閣の制止も聞かず、対抗して国境付近へ勝手に展開。『スパイがいる可能性がある』として、帝国人の出国を不当に監視するようになった。
そんな状態でトラブルが起こらないはずもなく、毒葡萄酒事件から一月後の3130年2月13日。
『ある帝国人一家が密出国し、ヴェスヴィオス軍が追跡の為に越境した』という情報がどこからか発信され、イーディア軍が『迎撃』。それが両軍による軍事衝突へと雪だるま式に発展。約8ヶ月に及ぶ、『イ=ヴ戦争』が勃発した。
同時に共和国内では、クーデターにより穏健派が一掃され、軍事政権が発足。ヴェスヴィ人の名誉回復をスローガンに、さらなる帝国への侵攻を始めた。
だが、所詮は半島の小国。大陸の8割を領土とする帝国とは、兵力の桁が3つ足りないとまでいわれていたほど。
帝国領土へ踏み込んだ部隊は、ことごとく返り討ちにされた上に、半島の西に広がる大海洋を迂回してきたイーディア軍が、共和国南端に上陸。
背後を奇襲され、挟撃される形になった共和国軍は、まともな迎撃作戦も展開できず、いたずらに将兵と逃げ遅れた一般市民を犠牲にし続けた末に、首都を含めた9割の地域を占領され、降伏した。
時に、3130年12月31日。国家としてのヴェスヴィオスは、1年の終わりと同時に消滅し、イーディア人が行政を『監督』する、自治州となった。
―帝国出版 中学生の社会 歴史 資料集(3130年改訂版)より』
ここまでは、誰もが知る常識の範囲内。
だがこの戦乱の折、帝国の第二皇女がヴェスヴィオス領内に滞在していたという事実は、まったく知られていない。
******
帝国歴3140年 5月5日 午前7時
ヴェスヴィオス自治州 ネーポル市南東部
新市街地 マルフィ駅
市の中心部を目指す会社員や学生でごった返しているマルフィ駅構内。通勤ラッシュの人混みが、次々に鉄の大蛇から吐き出されては、直ぐに別の集団が中へと詰め込まれてゆく。
その流れに飲まれそうになりながらも、懸命に人込みを逆行している者がいた。
背丈は低く華奢な体つきで、歳は10代後半ぐらい。旅行鞄を肩から下げ、男モノのシャツとズボンを身に着けているが、明らかにサイズが合っておらず、袖と裾をかなり捲っている。
姉や侍従の心労をよそに、城どころか帝都からも抜け出した第二皇女、レシーナ・イーディアである。
「うぅ……これが、『つうきんらっしゅ』。なんと過酷なのでしょう」
もはや城下町で公然の秘密となるほど『お忍び』を繰り返してきたレシーナだが、それはもっぱら昼下がり、それも静かな住宅街や町外れの教会での事。
だが今、彼女がいるのは、首都から遠く離れた属領の街の大動脈。それも最も活発に動いている時間帯。
『痛緊ラッシュ』と揶揄される市井の営みを初体験した彼女は、改札を出るだけで15分を要した。
しかし、自分一人だけで帝都の外へ抜け出し、高速鉄道や夜行列車を24時間もかけて乗り継ぐという、臣民ですら滅多に行わない旅路を経てここまで来たレシーナ。彼女の顔に疲労は見えれど、その眼では、いまだに力強い信念が燃えている。
「でも、もう少しで、『あのひと』の手掛かりが……ふぁいと、ですよ私!」
改札を出て、待合スペースのベンチに腰を下ろした皇女は、鞄の外ポケットから一枚の紙を取り出す。
何度も開いては畳みを繰り返した為か、碁盤目状の白い線が目立つチラシ。
『イ=ヴ戦争の闇 知られざるラーネウム義勇兵団の真実』
数枚の白黒写真が適度に散在し、その上から大げさな表題が印字された広告は、レフに頼んでこっそりインターネットからプリントアウトした物。
A4サイズの右下、今日を含めた2週間に及ぶ開催期間と、マルフィ駅を始点に描かれた略地図部分を表に、丁寧に折りたたんだレシーナは、バスで目的地に移動すべく、停留所を探しながら財布を取り出す。
彼女が、この旅で一番の難題にぶち当たるのは、この直後の事であった。




