幕間 エンプレス・オクトーヴァーでの朝
帝国歴3140年5月6日 午前7時
イーディア帝国軍駐屯地 機体格納庫
第一皇女専用機<エンプレス・オクトーヴァー> 機内
時間は少し遡り、今朝。レシーナ・イーディアが目覚めた頃。
ネーポル・ガレリアでの立て籠もり事件から救出された彼女は、数十分間の聴取の後、姉オクタヴィアとその護衛達の判断で、駐屯地の片隅で羽を休めている皇族専用機で夜を明かした。
主人の名<エンプレス・オクトーヴァー>を冠したこの輸送機は、武人でもあるオクタヴィアの要望により、有事には野営指揮所兼宿舎として活用できる設計がなされており、内部には簡易ながら寝床と、使用できるのは着陸中に限定されるものの湯が張れるバスルームが備えられている。
そこで約5時間程の、ほとんど仮眠同然の休息を取ったレシーナは、オクタヴィアが彼女を強引に寝かせた簡易ベッドから起き上がると、外からポンプ車で給水されたシャワーと姉の趣味である薔薇の浮かぶ湯船により、身体に残る疲れを抜きとった。
そして、用意されていた着替、こちらも姉が本国から持ってきたであろう自分の普段着であるドレスに袖を通し、指揮所スペースへと移った。
「……やぁ、レシーナ。昨日の疲れ、少しは癒せたか?」
と、コーヒーを片手に声をかけてくる本来の主人は、目の下に薄いクマが浮かんでいる。どうやら彼女の方は徹夜したらしい。
レシーナは恐縮し、自らが潜ったハッチを閉めてから、姿勢を正して頭を下げる。
「お姉様、客の分際で寝所を横取りしてしまい、申し訳ありません……」
「良いんだよ。どのみち私は自分の仕事で寝る暇が無かったからな……ムグッ!ふぅ……レアーレ、もう一杯。砂糖たっぷりで頼む」
「殿下、それで最後の約束だったでしょう。帰国の途で仮眠を取るためにも、もうおかわりは無しです」
と、レシーナの分のコーヒーとサンドイッチを用意して機内へ乗り込んできたのは、近衛騎士のレアーレ・ボスコ。彼女の服装も、昨晩から変わっていない。
「私を誰だと思っている?5年前の東方戦役では、豆の匂いだけで48時間不眠の指揮をしてみせたのだぞ!」
「殿下、御言葉が意味不明に成ってますよ。……私が代わりに姫様へ説明しましょうか?コックピットで20分の仮眠を戴きましたから」
「いや、これは私からレシーナに直接伝えるのが筋だ。……レシーナ、座ってくれ」
「は、はいっ」
一瞬で常在戦場の将へと切り替えたオクタヴィアの言葉に、レアーレは何かを察知し、緊張した面持ちで向かいに腰を下ろす。
すると意外にも、最初に姉から紡がれたのは謝罪の言葉だった。
「すまなかった、レシーナ。記憶喪失の事を誤魔化したのは、私の失策だった。初めから隠さずに向き合って居れば、お前を危険な目に合わせずに済んだのに……」
レアーレから今回のヴェスヴィオス密訪の次第を聴いたらしい。武人の佇まいのまま、真っ直ぐに頭を下げたオクタヴィアをレシーナは慌てて止めようとする。
「い、いいえっ、お姉様!私こそ此度の出奔、如何なる罰も受ける所存です!お姉様が謝ることなど……」
「いや、コレは全て私の責任だ。帝都から出なければ、二度とお前に苦難が降りかかることはないと、慢心していた。……奸臣の存在を、憂慮すべきであったのに」
「『二度と』?……いえ、それよりも奸臣とは?」
ふと姉の言い方に引っかかるレシーナだったが、より優先すべき事柄について訊ねた。
オクタヴィアは一度レアーレへ目配せし、近衛が機外へ見張り番に出るのを待ってから、口を開く。
「昨夜のテロ事件、お前の存在を『カナリア』共に漏らした奴がいる。レアーレが囚われている最中、そのやり取りを聴いた」
「私のことを、テロリストに?……まさかっ!」
それができる人物が限られることに、レシーナはすぐに気づいた。
自分があの場に居たことを知るのは、発見したレアーレと、彼女から報告を受け取った者、つまりオクタヴィアと、同行した近衛騎士、本国の皇室関係者に限られる。
自身も容疑者に含まれていると承知の上で、オクタヴィアは頷いた。
「レアーレはお前と共に居たから確実にシロ。私とレガーゼ、ユーリの三人は現場の指揮所に缶詰だったから、互いに無実を証明できる……まぁ、3人がグルだったと言われたら、反論が難しいが……」
「そんなっ、お姉様はそのような卑劣な手段は講じないと、私は承知しております!お姉様が私を害するなら、御自分でドーレブを駆って突撃してくるはずですもの……」
「あり、がとう……?」
何やら別件に関して偏見を持たれている気がしたオクタヴィアだったが、本筋から逸れるので無視することにした。
「とにかく。消去法で考えるなら、漏洩元は本国ということになる。……継承権争いなど、とっくに潰し終わったはずなんだがな……」
「お姉様……?」
「いや、何でもない。大事なのはお前の安全だ。帰国すれば、今度はもっと直接の手段にでてくるやもしれん。すまないが、しばらくはここネーポルに留まって欲しい」
最も信頼の置けるボスコ姉妹を護衛役に残し、表向きはヴェスヴィオス人との関係修復を図る親善特使に就く事になるという。
昨夜からのわずか数時間ながら、必要な手続きは既にオクタヴィアが終わらせていた。
「今の在ネーポル大使は、共和国の頃から総じて30年この地に根を下ろしてきた御仁だ。名はマークス・アグリッパ卿。父上の盟友であり、幼少の頃の私の恩師でもある。察しもよく、此度の件も委細を承知せぬままに、本国のワイン一本で手続きや根回しをしてくださった」
「そこまでして頂けるなんて……畏れ多いです」
身を隠すだけならば、もっと隠密かつ静かに動くことも、オクタヴィアならできたはず。
昔の恩師を使って『特使』などという大袈裟な地位を用意される意図を、レシーナは測りかねていた。
その答えを、オクタヴィアは姉としての慈愛の念とともに、レシーナに明かす。
「お前を特使に据えるのは、安全確保と、もう一つの理由からだ。……アグリッパ卿から託かった話だがな、特使としての初仕事は、ラーネウム絡みになりそうなんだ」
「っ!……今、なんと?」
「ラーネウム、と言った。それも、お前が出奔してまで知りたがっていた、10年前の。レガリアでの展示会、あれの主催者が、大使館に何やら陳情しているらしい」
ラーネウムの地は、現在は帝国の飛び地、プリニアン州となっており、来訪には出入国手続きが必要となる。
「特使となれば、今度は公務の一環として、記憶を取り戻す手がかりを探せる。……私なりの、謝罪の続きでもあるんだ」
ふと、オクタヴィアはソファにもたれかかり、天を仰いだ。
「10年前、私はラーネウムへの奇襲部隊に同行していた。彼の地で極秘に療養していたお前を迎えに行くために」
「私が、療養を……?」
「質の悪い肺の病でな。だが、当時のラーネウムに、ソレを癒せる医者が居たらしい。『毒葡萄酒事件』の少し後で、開戦が噂に聞こえてくる時期だった。それ故、オーラシア経由で極秘裏に渡り、療養していた、らしい。私も、詳しい情報はあえて知らぬままに居た。諜報防止のために……」
そして、噂が現実となり、『イ=ヴ戦争』が始まった。
戦場が北方とあり、南部のラーネウムはすぐには戦火に巻き込まれる事は無かったが、戦争の早期終結を考えた皇帝アレクサンドロスは、海から迂回して南からも侵攻すると決定。……その実、極秘療養中だったレシーナの救出が目的でもあったのやもしれぬが、裏付ける記録は存在しない。
「私はお前を送り届けたあと、オーラシアに留まっていてな。艦隊は、私の帰国のためとしてロメ半島を素通りし、私を拾ってから反転、ラーネウムを奇襲……というフリをするはずだった」
「だった?」
「父上曰く、ラーネウムの当時の領主は、我々と内通していたようだ。まぁ、そうでなければお前を匿うことなど出来なかったんだが……。だから艦隊も、奇襲とは名ばかりの無血上陸となる、はずだった」
「……実際は?」
オクタヴィアの言葉は、計画が失敗したと物語っていた。
「私も、詳しくは解らなかった。ただ、洋上からお前の療養先、領主の館が全焼するのが見えて、予定を無視して上陸部隊が出撃し、お前は気を失った状態で救出された。以前見せてくれた、館の絵と本の切れ端を握って……。そして、艦隊旗艦の医務室で目覚めたお前は、療養中の記憶を失っていた。病がほぼ癒えていたのが、私にとって唯一の救いだった」
これが、私の知る全てだ、とオクタヴィアは悲しげな笑みを浮かべながら語り終えた。
「……その、領主の、方は?」
「カーク・ラーネウム卿は、館で焼死していたそうだ、使用人や関係者共々な。だから、お前が彼の地で如何に過ごし、誰と友好を紡いだのか、『H.R.』の人物が誰なのか、全く解らない。だが、今度は見つかるかもしれないな。……レシーナ、お前は、どうしたい?」
しばしの間、沈黙が続く。
しかし……
「……お姉様、それは、今更な話ですよ。今、私がここにいる、これが答えです」
そう、彼女にとって全ての始まりは、自身の『記憶』、ソレを取り戻す旅だった。
暗殺という身の危険を実感しながらも、かえってこの旅の一助になったのだと、レシーナは捉えていた。
「真に皇族としての責務に就くための、ケジメ、というものでございます。たとえ何があろうとも、ソレを呑み下さねば、私は、帝国の担い手には成れません」
力強く言い切ったレシーナ。その姿に、オクタヴィアは父である現皇帝アレクサンドロスの面影を感じた。
*****
一時間後
自治州〜帝国本土の上空
エンプレス・オクトーヴァー 機内
レシーナはボスコ姉妹を伴って、ネーポル市街地へと向かった。特使としてこの地に残るにあたり、身の回りの世話をしてくれる侍従の候補、タキト・ウースへ会うために。
どこから嗅ぎつけたのか、小プリニアン卿が候補として彼を挙げ、なおかつ自身も立候補してきたのだ。
彼の叔父である大プリニアン卿が、旧ラーネウム地域、現在のプリニアン州統治者である事と、ガレリアでの人質救出の功を鑑みて即決された。
そしてオクタヴィアは、近衛騎士のテレンス・ユーリスを伴に、本国への帰途についた。
遠ざかるネーポルの街を窓から見下ろすオクタヴィアに、テレンスは尋ねる。
「本当に、よろしかったのですか?……その、記憶探しを許されて……」
「お前の心配も解る。楽しい記憶であったなら、喪失などしない。だが、レシーナ自身がソレに向き合うと決めたのだ。蚊帳の外であった私に、止める権利などそもそもなかったのだ。……加えて、今あそこには、奴が居る」
オクタヴィアは、昨夜の事件資料から抜き取っておいた写真を、懐から抜き出す。
屋上で『金色のカナリア』リーダー、モーマイ・ムッチを狙撃した直後を捉えたその写真には、日焼け肌の青年が一人、撮影者へ安全の確認を知らせる姿が写っていた。
「エル・コラーノ、お前も覚えがあるだろう?」
「……5年前の東方戦役で、殿下に無礼を働いた小僧ですな。確か、反転攻勢のタイミングについて口を挟んできた……まだ生きていたとは」
「あれから、本物の戦争というものを、少しは学んだらしい。どうしてネーポルに居るかは知らぬが、レシーナがラーネウムに関わるとなれば、奴も必ず同行する」
「……それは、どのような理由で?」
主君の推測に半信半疑な様子で、テレンスは問いかける。
だが、オクタヴィアは意味深な笑みを浮かべ、ただ一言だけを返す。
「『ドェン、チェリアーゼタ、ノ、エクセーリ』、悪いがこの先は、皇族すらも迂闊に触れぬ禁忌の領域だ」
「……は?」
困惑するテレンスを他所に、オクタヴィアは既に見えなくなった街へと、最後に目を向ける。
「(私が戻ってくるまで、レシーナを頼むぞ。ヘルク・ラーネウム)」




