プリニアン邸にて
*****
帝国歴3140年5月6日 午前7時
ネーポル市内 プリニアン家別邸
ヴェスヴィオス自治領内でありながら、帝都シャーネポリスと見紛う清楚な帝国式建築の豪邸が並ぶ一等地、通称『ホーリー・ヒルズ』。
その一角に、プリニアン家の別邸がある。
半島の南端に位置する帝国の飛び地、プリニアン州を統治している彼らが、自治領の中枢であるネーポルへ参勤する際の逗留場所として用意された屋敷だ。
その中、パンとパスタ料理が湯気をたてる食堂のテーブルには今朝、主人であるガルス・<マグニァ>=プリニアンの他、オーラシア帰りの甥ガルス・<パルヴス>=プリニアン、そして2人と面識のある青年、エル・コラーノが揃っており、久しぶりに賑やかな食卓を……とまではいっていない様子だ。
「こうして3人で朝食ってのは、あ〜……10年ぶりくらいか?遠慮せずにどんどん食えよ、エル坊。特にパスタのソースは、昨日ガレリアで苦労して買った奴だ、ツナ・シュリンプのオーラシア風」
「よしなさい、カーク。マナー違反だぞ。……しかし、我が甥御の言う通り、久しぶりの席ではあるな。息災だったかね?」
上座に腰掛けた壮年の紳士は、優雅なしぐさで目玉焼きへナイフを入れながら、普段は誰も座らぬ、上座から見て左側一番前の席につく青年に声をかける。
「ええ、まぁ、ボチボチ。しかし、温かいあさめ……朝食は久しぶりです。ご馳走していただき、ありがとうございます。プリニアン閣下」
エルは緊張しているのか、ぎこちないしぐさでパンをちぎり、添えられたジャムをつけて口に運ぶ。
焼きたてで、ちぎるときはアッサリと、しかしパリパリと音が立つ。それでいて、中はじっくり発酵させてあり、ふわふわと空洞が多い。
普段口にする、安くて固い日持ちする乾パンとは大違いだ。
パスタも市販の乾燥ものではなく、厨房で一から打った生麺。そこに市販のソースというのはややミスマッチな気もするが、そこは饗す側の嗜好なので、口には出さない。
ゆっくりと味わうエルの姿を微笑ましく眺めながら、<マグニァ>=プリニアンは告げる。
「礼は要らないさ。この屋敷では、常に君の分も用意されているのだから」
「……、……」
ふとエルの手が止まるが、<マグニァ>=プリニアンはそれ以降は口を閉ざし、静かに舌鼓をうつのみで、エルもすぐにそれに従うことにした。
****
しばらくの後
食事が一段落し、コーヒーが振る舞われた頃、<マグニァ>=プリニアンがふと先程の続きを切り出した。
「例の件、まだ承諾してはくれないのかな?」
「……養子縁組でしたら、『辞退する』と以前よりお伝えしているはずですが?」
カップを置き、姿勢を正しながら、エルは応えた。
それに食い下がったのは、向かいに座る<パルヴス>だった。
「なぁ、そろそろ縦に首を振っても良いんじゃねぇか?何を遠慮することがある?」
「いつも言っていますが、分不相応すぎます。俺なんかが、帝国貴族の養子、それも後継者になるなんて……。本来なら、ここの席に着くのは御曹司のほうでしょう?」
上座から向かって左の一番目。そこは序列で言えば主人の次、すなわち次期当主となる者の席である。
しかし、現当主の唯一の親族である<パルヴス>は、即座に否定した。
「俺も毎度言ってるが、伯父貴から何かを相続する権利は、全部放棄する、って決めているんだ。俺は領地で<パルヴス>=プリニアンって呼ばれるより、情報部で<カエキリウス>を名乗る方が性に合ってるんだ。それに、お前だって貴族の血筋だろうが。ヘルク・ラーネウム卿」
「……その名前の人物は、もうこの世を去りました。10年前にね」
これまでの遠慮がちな態度から一変し、強く否定するように吐き捨てると、エルは席を立つ。
「一晩の宿泊と朝食、ありがとうございました。私用があるので、これで失礼します」
屋敷の主人に一礼し、エルは食堂を出ていこうとする。
その背中を、<パルヴス>は呼び止める。
「もうあれから10年だろう?ヘルクとして生き返っても、誰も詮索なんざしねぇよ!……それとも、お前が伯父貴と距離を取るのは、今回の密入国が理由か?」
<パルヴス>の言葉は、エルの歩みを止めた。
情報部員の屋敷とあって、使用人達は空気の変化を直ぐに察すると、自ら素早く席を外した。食堂には3人だけとなる。
「はて、なんのことです?」
「俺が昨日、単に顔見知りってだけでお前とお仲間2人を庇ったり、ウチに泊めた訳じゃねぇって事は、言わなくても分かってるだろ?」
韜晦をやめた<パルヴス>は、ナイフの先をエルの眉間に定める。
「……それは、昨夜のテロのことかね」
甥の真剣な様子に、<マグニァ>も帝国軍人としての顔になる。
それをちらりと確認した<パルヴス>は、伯父に説明するように、昨夜の出来事を語りだす。
「イベントフロアで人質に紛れてた男女2人、メナン・ドロスとスタビア・アボンダンツァは、お前と同じオーラシア籍の『ギガントマキア社』所属の傭兵だ。そして3人とも、オーラシアから帝国への正式な入国記録が存在しない」
「……たった一晩で、調べあげたんですか?」
背を向けたまま、エルは訊ねた。
「まさか。いくらウチの情報部でも、そこまで早く動けねぇよ。俺がお前らに目をつけたのは、3日前。アイギア島の軍事物資集積基地の一件からだ」
アイギア島はネーポル湾から西へ2キロ沖合いにある小さな島で、ネーポルとオーラシアの交易の経由地として、3つの港町と帝国軍の中継基地がある。
「5月4日の未明、集積倉庫に侵入者があった。セキュリティ・システムがハッキングされた上、棟1つが荒らされた」
「3日前というと……『金色のカナリア』かね?奴らは立て続けに武力行動を起こしているが」
「いや伯父貴。確かに一昨日の駐屯地襲撃と、昨日のモール占拠は奴らだったが、これは違う。賊は何も盗らず、しかも死人が出ていない。そして侵入経路が、真夜中の空挺降下。『GM社』の、特にお前の所属するチームの十八番だよな?エル坊」
「……」
エルは沈黙し、その頬を、冷や汗が一滴流れる。
「だが、逃げるときは徒歩になる。それでアイギアからネーポルへ、船便で来たオーラシア人の記録を総ざらいしたら、他と違うインクで入国スタンプが押されたパスポートが6枚見つかった。惜しかったな、入管はテロ対策で、スタンプの朱肉を特注品に統一したばかりだったんだ」
「……そこまで掴んでいるなら、なんで捕まえないんですか?」
観念しながらも、直接認める言葉は紡がずに、エルは<パルヴス>に問う。
すると意外にも、優位な立場でいるはずの彼は、苦虫を噛んだ顔で伯父を見やった。
「伯父貴はここ最近、駐屯地での会合で缶詰だったろう?アイギア島の一件、どこかで聞いたか?」
「いや、お前からここで聞いたのが初めて……まさか、隠蔽かい?」
「っ!?」
提督の言葉に、エルは驚いて眼を見開く。
それを確認してから、<パルヴス>は語る。
「あぁ。実を言えば、パスポートの件は俺の独断だ。上層部からは、箝口令と捜査打ち切りを命令されている。それだけじゃない。駐屯地襲撃のほうも、報告書に改竄の形跡があった」
そして<パルヴス>は、懐から一枚の写真と小袋を取り出し、それを顔の横に掲げた。
写真には、川辺と思われる砂利の上に打ち上げられた、箱の残骸が写っており、透明の小袋には、その一部が入っている。
「駐屯地近くを流れるボルトール河の下流で、襲撃犯の遺体と一緒に見つかった。だが、写真とこれは、上層部じゃなく、ダストシュートへ送られていた」
<パルヴス>が指差したのは、半分に割れた蓋の、ちょうど割れ目の部分の装飾。
何かのシンボルの右半分のようで、三重の同心円の中に三角形と、大きく欠けた長髪の女性の施されている。
「同心円は三大神、三角は火山を表す。こいつは『落涙の女神・オーラシア』、オーラシア連合国のシンボルだ。アイギアでお前らが探してたのはこいつ、いやこいつの中身だな?だが仕入れた情報が古く、この箱はネーポル駐屯地へと持ち込まれた後だった。それを一日ずれて『金色のカナリア』が強奪したが、持ち出した少年兵ごと、ボルトールの橋で吹っ飛ばされた」
「……しかも、箱にまつわる情報だけが、帝国軍で一部だけに隠匿されている、と?その箱、正規のルートで流れてきた代物じゃないね」
<マグニァ>の顔が、次第に険しくなっていく。軍の中でも高位に位置する自分が知らされない情報とあって、そこに邪悪な気配を感じ取っていた。
ダン!
<パルヴス>が身を乗り出してエルに写真を突きつける。
「良いか、エル坊。俺たちの間柄だし、こっちがそっちから違法に物資を持ち込んだって負い目があるから、アイギアでの事や、ネーポルでの活動には目をつむってやる!だから一つだけ、こいつが『何』なのかを教えてくれ。この紋章、そしてオーラシア御用達の極秘部隊である『GM社』が動いてるってことは、連合国政府も絡んでるんだろ?しかも同じ物を、テロリストが狙った。いったい何なんだ?」
「……」
エルはようやく振り向くが、その目は暗い炎が宿っている。
そして、紡がれた言葉は、この場の三人だけで通じる暗号だった。
「『ドェン、チェリアーゼタ、ノ、エクセーリ』」
「っ、そこまでの代物かね」
「……マジで?」
「ですがご安心を。俺たちの任務は既に終了しています。明日にはこの街から退散しますので……では、ごきげんよう」
これまでのやり取りが無かったかのように、エルは素知らぬ顔を作り、屋敷を出ていった。
残されたプリニアン家の2人は、しばらく沈黙を続けた。が、それに耐えかねた<パルヴス>が、すっかり冷めたコーヒーを煽り、毒づいた。
「『ドェン、チェリアーゼタ、ノ、エクセーリ』。……クロニクル案件だと!?どこのバカだ、んな厄ネタ持ち込みやがったのは……」




