第二章 置き去り
12人の勇者と3人の英雄の旅は1年にも及んだそうです。
しかしそれは決して平坦な道程ではありませんでした。
* * *
「走れッ!」
その呼び声を合図に森を駆け抜ける。
誰もが、他者に構うような隙などない。
背後から追ってくるのは3人の魔族と無数の狼達だ。
だが、どう考えても、その狼たちは普通のものではなかった。
斧使いオーグは苛立ちながら、獣の背に乗ってかける女、獣使いのミアンナに向かって怒鳴りつける。
「おい、この獣女! お前、あの獣共なんとか出来ねえのかよ!!」
「無理よ、あれは、ただの狼じゃない。あの悪魔達と契約している精獣だものっ」
「くそ、役にたたねえな!」
そういって吐き出す声に、それを隣で疾走しながら聞いていたアヴィーナは苛立ちながら返す。
「いい加減にして! ミアンナに当たるなんてみっともないわよ!」
「うるせえ!」
何故こんなことになったのかと言えば、運が悪かった、としか言えないだろう。
そもそも普通に考えたら彼らとて魔王を倒すためにこうして派遣されてきた、選ばれしものなのだ。準備が整っている状態ならばたかが狼や3人の魔族相手にこうも追い込まれたりはしなかっただろう。そう、就寝時に襲われたのでなければ……。
かといってそれを卑怯と返される筋合いはないと襲っている魔族達からすれば思うだろう。何故なら彼らからすれば、自分たちの土地に侵入してきたのは勇者一行のほうなのだ。侵入者を排除して何が悪いと、彼らならば高らかに叫ぶだろう。なにしろここは……既に魔族達の住まう魔界の森の中なのだから。
そうして、からがらに逃げ延びながら、いつも通りリーダーシップを発揮して、カズは落ち着けと叫んだ。
「こんな時に争っている場合か! フォーメーションCだ、いいか、こういう時こそ事前の策通りに進めるんだ!」
双剣使いの青年はそういいながら振り向き様に追いついた狼を一匹切り捨てた。
次いで、獣の背に身を預けた女性は、どこか厳かな声音でそれを告げる。
「お願い、わたくしに力を貸して……!」
次の瞬間大量の鳥がどこからか現れ、そして……魔族や狼達の視界を覆っていく。
「くっ!?」
その襲撃に魔族達の動きが怯む。
その隙を逃がすはずもなく、二重に重なり合うような幼い子供達の呪文が森に響いた。
「“草木よ。蔓を延ばし我に敵するもののその足を戒めたまえ。『ファラーナ』”」
「“獣を抱く雷よ。その腕に我に仇為すものを閉じ込め、その抱擁を与えよ。『ライラック』”」
その2つの呪文を合図に、10以上いた狼によく似た精獣たちは四肢を蔓に戒められ、或いは雷で身を焼かれて動きを止めた。更に朗々とした低い男の呪文が続く。
「“闇の乙女よ、我らの姿を隠し、我らを守護せしませ。さらばこの身この魔力は汝に捧げる贄と成す。彼らは盲目、彼らは迷い人。闇に繋がる目ならばその目に光り無し。『エルゥルミナ』『アルシェルテ』”」
そして男が放った詠唱の終わりと共に、空気が変わった。
……通常、精霊というものは、霊感という生まれ持った資質がなければその目には映らないものだといわれている。それは多次元からの降臨の一種故にであり、魔法を使うというのは精霊との契約を示している。そして『視えぬ』ものと契約出来るはずがない。彼らを降臨したくば、精霊と触れ合い声をきけるものでなくてはならないのだ。それこそが魔法使いの資質である。
魔法使いは精霊に霊力を差しだし、霊力を貰う代わりに精霊は魔法という名の奇跡を起こす。
魔法の呪文とは、その精霊と契約した時に定めた人間界へのゲートを開くための、声紋認証式暗証番号のようなものだ。最後に、自分が契約しており必要とする系統の精霊の名を告げることで、こちらにその存在を引き寄せ存在を固定させ、魔法の行使を行うのだという。
そして、魔法の強さとは、精霊を呼ぶ時に代償として払った霊力の大きさや、その属性に対する相性の良さ、それと、どれだけしっかりと呼び出し、この地に彼らという存在を固定化出来るのかどうかという力量によって決まるものなのだという。
そして原則として、魔族は数種類の系統魔法を使えるかわりに精霊の使役する一統魔法に比べれば、その1つ1つの属性に対する魔法力は精霊より弱い傾向にあった。……まあ、それも一部の例外を除いての話だが。
それを差して精霊達は『あいつらは混血だからよ』と魔族について蔑むように口にするらしいが、どういう意味なのか、その意味と精霊と悪魔の間の確執を人間の身で知るものはいまだ存在しない。
ただ、魔族と精霊がそういう力関係である故に、才能有る魔法使いが使役精霊にフルパワーで霊力を供給することさえ出来れば、精霊を通じて放つ人間の魔法が、魔族の操る魔法を打ち負かすことも可能だった。
(……ってことは、あたしも兄様に少しは聞いたけど……!)
けれど、これは規格外過ぎってもんでしょうが、と思いながらアヴィーナは思わず内心で毒づいた。
この菖蒲色の髪をした少女に魔法の才能はない。それは間違いないはずだ。なにせ、幽霊の類なんて生まれてこの方1度も見たことがないのだ。彼女に霊感は無く、故に精霊を視る力もない。
……その筈だったのだが。
彼女は今、生まれて初めて精霊という存在をその目に映していた。
トルネスの詠唱と同時に、銀髪に褐色の肌、青い瞳に黒い装束を纏った美しい女の精霊達が2人、アヴィーナにも目に映る姿で現れたからだ。
彼女達は、追っ手である魔族2人と精獣達を暗闇の結界に捕らえ、閉じ込めた。クスクスと笑う人外の美貌は、あり得ないほどに妖艶で、酷く幻想的な光景でさえあった。
とはいえ、今トルネスが放った魔法は呪文から推測するに、どう考えても攻撃魔法の類ではなく、足止めと相手の視力を奪う類の魔法だ。視界を奪われ動きは鈍るだろうが、それで奴らが大人しくなってくれるとも思えない。今だ問題は解決したわけじゃないのだ。
それに真っ先に気付き我に返り声を放ったのは、一行のリーダーを自負する双剣使いのカズだった。
「よし、今だっ」
その言葉を合図とするかのように、小柄で寡黙な短槍使いの少年バードが己の愛槍を投擲する。それは見事な曲線を描いて、魔族の1人……翠の翼の生えた奴の腹部を貫いた。次いで、矢がトドメを差すように今し方バードの槍を其の身に受け墜落を始めた魔族の頭蓋と胸を射貫く。
それらの矢を放ったのはアヴィーナの兄、アークだ。彼はいつの間にか木の上に身を預けており、そこから120メートル先の敵を狙い撃ちし、弓を射掛けたらしい。
今だ視力は回復していないはずだが、隣を飛んでいた相手の末路に気付いたのだろう。次の瞬間激昂し、足止めの魔法を破りながら、女魔族が紫色の長い髪を振り乱しながら叫んだ。
「おのれ、よくも人間め! 私の可愛い臣下をッ」
怒りで我を忘れたかのように、女魔族は雄叫びを上げながら突き進む。どうやら氷使いであったらしく、子供の体躯ほどの大きさの氷を勢いよく解き放つ。それをいつの間に呪文を唱えていたのか、トルネスの放った火の魔法が相殺し、無に返した。
自分の魔法がかき消され、怯む魔族の足下をボウガンの矢が襲う。しかし、音だけで何が自分に迫っているのか悟った女は、自分の身体を慌てて引き、左後ろに迂回するように攻撃への回避行動へと移っていた。けれど、それがその女魔族の最期だった。
「は、後ろがお留守だってんだよ」
木々の間から助走をつけて飛び出し、一足間に袈裟懸けで背後から魔族を切り捨てたリーヴは、不機嫌そうにそんな言葉を零した。
「終わったか?」
「いや、もう1人がいない」
そして気配を殺し、今まで地面の下に潜んでいた先に死んだ女魔族の部下だった少年魔族は、弱そうで無防備な姿を晒す菖蒲色の少女を手に掛けようと、上記の会話の次の瞬間土の中から飛び出でた。
この爪が、主の仇たる人間の少女の命を奪う。
それはこの魔族にとっては確信に近い未来でさえあった。
だが、しかし……。
「はい、残念!」
「ぎっ!?」
「オイラのトラップ賞でしたー!」
いつの間にしかけていたのか、縄使いの少年が用意した罠にひっかかり、土の中から飛び出したと同時に魔族は木の上高くへとその身体を釣り上げられた。そんな風に縄で縛られ、ガクンと足を釣り上げられた小柄な悪魔の子を前に、悪戯げにチェリックはそんなことを笑って述べた。
「ナイス、チェリック!」
そう声をかけて、グッジョブとばかりに同年の少年にアヴィーナが振り向くと、褐色肌の女剣士リジィは、今し方釣り上げられた魔族の少年の首をその剣で切り落とし、トドメをさしていたところだった。
そして、此処が戦場とも思えぬ呑気さではしゃぐ少年少女達を前に、こめかみに手をやり、苦み走った声をあげながらリジィはポツリと呟く。
「……お前達は危機感が足りん」
その次の瞬間、アヴィーナは構えた弓から、ヒュンと音を立てて矢を放ち言った。
「貴女もね」
「ふん、私とて気付いていたさ」
その視線の先には、魔道士三人の魔法攻撃から難を逃れていた狼型の精獣が、襲いかかろうとした姿勢のまま矢で脳天を貫かれ死んだ骸だけが草むらへと転がり、血のシミを作っていた。
「さて、みんな無事かい」
そういってカズはパンパンと手を叩いて集合を促した。
それに集まる一同。
それを前にゴホンと1つ咳払いをしてから、この真面目で苦労性な性分が顔に滲んでいる青年は言った。
「まあ……皆言わずともわかっているだろうが、このままここに留まるのは不味い。なにせ、いつ今葬った悪魔達の仲間が追っ手を差し伸べてくるのかわかったもんじゃないからね。だからすぐに僕として移動したいところなんだが、その前に人数確認だ。全員いるかい?」
その台詞を聞いて、漸くアヴィーナは1人、ここに欠けている人間がいることに気が付いた。
「ねえ? マリリンは?」
そう、この場には針医療師としてこの一行についていたはずの少女の姿だけがなかった。
その指摘に、ふむと、それがクセなんだろう、自分の顎を右手親指の腹で押さえるような仕草をしながら極冷静な声でカズは問う。
「マリリンが確か今回の寝ずの番だったね……彼女を最後に見たものは?」
その言葉に、マリリンがどうしていたのかの覚えがないからこそアヴィーナは居心地の悪さを感じる。
襲撃を感づいたと同時にこの逃走劇は始まったのだ。これが始まった時は夜明け前で暗かったこともあり、とてもじゃないが自分の事以外を気に掛ける暇などなかった。
アヴィーナがそんな回想に浸る中、「あ、あの……」とおずおずした声で、弱気な大男ベストがそろりと手をあげつつ言葉を紡ぐ。
「マリリンは……その……あの襲撃で…………」
その続きの言葉を悟り、カズはベストにその推測の答えを確認に出た。
「亡くなった……ということかい?」
「……う、うん…………遠く、て、オ、オラ守れながった……」
そういって、ベストはグシグシと涙を浮かべる。
マリリンが死んだ。そう言葉で告げられても、酷く実感がなく、どこか遠い。
……王都を発ったあの日から数えて今日で2週間と少し。長い付き合いでもなければ、それほど仲良くしていたわけではないため死んだと言われても、アヴィーナは何を思えばいいのかわからなかったが、(そしてそれはおそらく他の人間も同じだろう)それでも目の前でその最期の場面を見たというベストは違うのだろう。もしかすると、彼が涙もろいだけなのかもしれなかった。
しかし例え実感がなく親しくしていたわけではなかろうと、仲間が死んだことには変わりない。それに、複雑な気持ちになりながら、アヴィーナはそっと瞳を伏せた。
そんな妹を気遣うように、アークはポンポンと優しく彼女の肩を叩く。そんな兄の心遣いがなによりもアヴィーナにはありがたかった。
「しかし、まいったね……。こんなに早く治癒師を無くすなんて……。まあ、そんなことを言っててもしょうがない……進むか」
そういってカズはこの話を纏めた。
「なあ、おい。マリリンのねえちゃんの死体弔わねえのかよ?」
そこで口出しをしたのは、未だ弱冠13歳のメリックだった。
その最期を見ていないという意味では彼もまたアヴィーナ達と同じではあるが、弔わないということはここに死体を野ざらしにしていくということくらい子供でも考えたらわかる理屈なのだ。やがてその死体は獣に喰われ土に還ることだろう。それが自然の理だ。
今しがた自分達が殺したこの精獣たちや魔族達のように、ここに放っておけばやがて彼女の死体も同じ末路にいきつく。仮にも仲間であった人物の死体をそんな目にあわせるのは不憫だ。子供らしくメリックはそのような類のことを思ったようであるらしい。
死体を弔って上げたいと、そんな優しいとも青臭いともいえるメリックの意見を前に、しかし、瑠璃髪を1つに束ねた青年剣士リーヴは、いつも通りの皮肉った口調で辛辣に次のようなことを言ってのけた。
「はん、お前さんはおめでたいな。がきんちょ。弔う? どうやってだ? あの女の死体はこの森の向こうにあんのに?」
そういってグイと、親指でリーヴは自分達が今まで逃げてきた方向を指し示す。
「危険を冒して来た道戻って、それでわざわざ死んだ女1人弔おうとかよ、それって意味あんのか?」
「なっ、なんてこというんだよ! 短い付き合いでもマリリンは仲間だったんだぞ!」
そんな風に言い返してくるソバカスが目立つ幼い少年を前に、はぁとこれ見よがしなため息を落とし、それから瑠璃髪の青年は酷く苛立った口調で己の主張を口にした。
「あのな、忘れてんじゃねえの? 俺達は魔王を退治することだけが唯一の存在意義たる自殺者集団だ。なにせ……魔王殺しなんて達成したことあるやつなんて誰もいないからな。これを引き受けた時から、死なんて最初っから覚悟しているのが当然な事柄で。だってのに実際に1人死んだからって一々弔おうって? 馬鹿じゃねえのか」
そして蔑むように唇を歪ませて、男は口元だけで笑みながら言う。
「明日の我が身だ、あの女の死は教訓にしかならんだろうよ。俺達がやるべきことはあの女を弔うことじゃねえ。カズの言う通り少しでも早く移動してかけられるだろう追っ手を撒いて突き進むことだ。追っ手をかけられてからじゃ遅いんだ。その辺、ちったぁ理解してから吐けよガキ」
その冷酷ともとれる言い口を前に、自分に言われたわけではなくとも、アヴィーナの中に怒りがこみ上げる。
「ちょっと、あんた」
しかし、何かを言いかけた妹の言葉を遮るように、すっとアークの手が少女の口元を覆う。何故兄が自分を止めるのかアヴィーナにはわからなかった。
「一体テメエが憐憫してんのは誰に対してだ?」
そういって瑠璃髪紫眼の男はメリックを一瞥し、後はもう興味を無くしたように背を向けた。
* * *
強力な悪魔や使い魔たちを前に、しかしリヴァルやアヴェリーネ達3英雄と12人の勇者達が怯むことはありませんでした。彼らは、次々に襲いかかる魔王からの追っ手を撃退し、旅を続けました。
* * *
「よし、今日の行軍はここまでだ」
そのカズの言葉を合図に、魔王討伐隊の面々は足を止めた。深い森の中故に陽の光があまり届かず判別がつき辛いが今は夕刻になろうとしている時だ。
これが普通の行軍ならばもう少し進んだところで野営となるだろうが、生憎彼らの旅は目的地不明の任となっている上に、人里など一切のない旅だ。
どこまでも周囲は魔族由来の土地ばかり。その土地の全てが所有者のいる領域であるとは限らないが、それでも人間の集落などはないし、いつどこの魔族に襲撃されるかすらわからないという普通ではあり得ない旅なのだ。それ故休めそうな時は必ず休み、獲物の手入れを行うこととなっていた。
まあ、それでもこうして旅立ったあの日からもうすぐ3ヶ月にもなろうとなっているのだ。慣れたといえばそれに慣れたといえるだろう。
「ミアンナ、この辺りに魔族の館はあったりはしないだろうね?」
カズがそう訊ねると、彼と同郷出身の獣使いの女性は、ふるふると横に首をふり言う。
「そうね。この子に聞いたけど、とりあえずこの周囲2㎞以内は大丈夫みたいよ」
そう言って、彼女は自分の肩に止まった鳥の頭を撫でた。
「そうか……ならここに陣を張って大丈夫そうだな。と、賢者トルネス、明日の行進についてよろしいかな?」
そういって自然とこのパーティーを仕切っているリーダーたるカズは、目深にフードをかぶり、双子魔道士といつも共に行動している熟練の魔法使いへと話を振った。
それもまあ、当然でありいつも通りの行動といえよう。
なにせ、魔王の住んでいる城の位置など知っているものは誰もいない……どころか年々魔界と大陸の融合は進んでいってはいるものの、それでも相争っている一部の地域を除けば、大体にして魔界の領土と人間の住まうマディウム大陸の地は奇妙に空間が屈折して繋がっているだけで別物として存在しているのだ。これがどうしようもなく混じり合った1000年以上先の未来ならまだしも、魔界とマディウム大陸に次元の穴がただ空いてからなら100年は経ったといえるが、大地の融合化がはじまってから流れた月日は100年にも満たない。
そのため、融合してどちらの大地なのかわからなくなっている、魔族と人間互いにとってのアンノウン部分というのは、せいぜいが互いに持つ領土の10分の1程度が限度であり、その奥は未知数なのである。純然たる魔族の地であるその奥の地に足を踏み入れた人間などアヴィーナ達がはじめてなのだ。これでどこがどうなっているのか知っていろといわれてもそれこそ無茶な話である。
更にいえば、魔界と融合する前のマディウム大陸と魔界のどちらのほうが土地面積が大きいかといえば、マディウム大陸よりも魔界のほうが20倍近く土地面積がでかかった。そもそも魔界と融合前のマディウム大陸はとてもじゃないが大陸と呼べる大きさではなく、強いて言えば島国だった。
マディウム大陸に住む人間の人口だけなら神歴400年時点で240万人と、総人口が3万人程度の魔族とは比べものにならないくらい人間のほうが多いが、土地自体は魔族由来の純粋な土地のほうが圧倒的に大きいのだ。これでどうやって魔界の地理を知ればいいというのか。
それでも彼らは魔界に住まう魔王を倒さねばならない。
どうやって魔王の居城まで進むのか。そこで進む方向を決める指針となるのが賢人トルネスの存在である。
この旅への魔王討伐隊メンバーは原則としては志願者から取られている。その唯一の例外こそがこの目深にフードを被った素顔不明の男であった。
賢人トルネス。魔法について学ぶものでその名を知らぬものはない。正体も素顔も不明ながら、生まれつき並外れた霊力を持ち、魔法の基礎を確立し、「魔法は全部で11の属性がある」ということを突き止めた魔法学の最高峰であると共に、占星術師でもあり、また呪い師としても最高峰の賢者の称号を持つ男。その手製のカードによる占いは必中であり、彼は未来が視る事が出来るのだと信じるものさえ居た。歳は32を数え、この時代の平均寿命が30代半ばであることを考えれば老人と言って差し支えないが、今だ現役、その目は普通ならざるものを見るという。その噂を信じた多数の王達によって彼はこの旅に同行する事を命じられたのだ。
その彼の役目こそが、その呪いと占星術によって一行を魔王の元へと導くことだった。
「さて、良かろうよ」
暫くカズとトルネスの話は続くだろう。これはパーティーにとっても大事な話である。それを邪魔するわけにもいかない。故に、仲間達は各々の役割に向けて動き出す。
最初に明るく声を上げたのは、ムードメイカーでもある巻き毛にソバカスのが目立つ少年だった。
「さって、じゃあオイラは木の実と果実でも集めてきまっさいね~。うっしっ、メリック競争だァっ。1つでも多くもってけぇってきたほうが勝ちだべよ! んじゃ、おっさき~ッ」
そう言って、チェリックは得意の縄を使って木の上まであっという間に上り、弟のように可愛がっているメリックに向かってうししと笑って彼は悪戯気に笑った。。
「あー、チェリ兄ずりー! おれが動く前に動くなんて卑怯だぞー! 反則だ、反則~っ」
「にしし、悔しかったらここまでおいで~」
「くそっ、負けねーからなっ! あ、ミアンナ姉行ってきます!」
「はいはい。いってらっしゃい。気をつけて帰ってくるんですよ?」
そういってメリックは、自身がこれまた姉のように懐いている相手であるところのミアンナにそう元気よく挨拶をして、兄のように慕っている相手を追いかけて掛けていった。ミアンナもまた笑って2人を送り出す。
そんな仲良し年少組のいつも通りのやりとりにアヴィーナを含め多数が僅かに心和ませる。いつ終わるかもわからないストレスのたまりやすい旅であるからこそ、こうしたどこか日常じみたやりとりは見るものの心を和ませた。
「さて、わたくしは水の補充にまいろうと思っています。誰かついてきてくだされば心強いのですけど、皆様どうでしょうか?」
次にミアンナがそう声をかけると、「ん」そう口にして、ぐいと彼女の裾を引っ張り、小さな2人が意思表示をした。
「まあ、わたくしについてきてくださるのですか?」
そうミアンナが確認を取ると、双子魔道士のラルとカルは、ラルは仄かに微笑みながら、カルは無表情気味にコクリと頷いた。それに続くように、おずおずと大きな手が上がる。
「あ、あの……そ、その、お、オラもついてっで……ええが?」
そう不安そうにベストは190㎝を越える大きな体を縮こませながら訊ねたが、その彼の不安を払拭するようにミアンナはフワリと笑って「心強いですわ。ありがとうございます。ベスト」と答え、3人を連れて場を離れた。
そして次に言葉と共に動き出したのは瑠璃髪の剣士と、優男然とした弓使いの青年だった。
「リーヴ、私たちも行くとしようか。そうだな……今日はイノシシ鍋とかがいいかなあ?」
そんなことを楽しげに笑いながらアークは言う。そんな弓使いの青年を前に、涼しげな切れ長のアメジストの瞳をもつ青年は、いつも通りのどこか皮肉った笑みと共に、挑発的な声で今夜の趣向を述べた。
「ふん……てめえにしちゃ、やけに謙虚な獲物じゃねえかアーク。今夜は鹿だ」
そのリーヴの言動に益々楽しげに笑いながら、アークはこれまた声音だけは優しく、その実挑発的な台詞で訊ねる。
「鹿ね。前回は小熊と鳥が2羽だったのに大きく出たじゃないか。君に仕留められるのかい?」
「出来るから言ってんだよ。誰に言ってる」
「だろうね。でも悪いけど、今回も私の勝ち星で締めさせてもらうよ」
「言ってろ」
そんなことを言い合いながら、得物を手に2人は連れ立ってこの場を離れた。
「私は鍋と火の準備をしよう。アヴィーナ、準備を手伝ってくれるか。バード、槇集めを頼む」
「わかったわ」
そういって、簡易調理場をテキパキと作り上げ、夕食のための用意を始めるリジィの補佐にアヴィーナは入り、コクリと女剣士のその指示に頷きで返したバードは薪集めへと向かう。
そして、1人だけふんぞり返ったように「飯はまだかよ」とぶつくさ文句をいうオーグだけが暇を持て余している。
そんな慣れた日常がこの日を最後に霧散するなど、この時点で思っているものはそういなかった。
「メリック……?」
異変に真っ先に最初に気付いたのは、いつもメリックと一緒にいたチェリックだった。
若干13歳、パーティー内でも双子の次に若く、明るくひとなつっこかった少年は、ハァハァと荒い息を吐きながら、青い顔をして体を震わせている。
「おい、メリック、どうしただよ!」
そう言って弟分を相手に慌てて近寄り、その手を取ってチェリックはぎょっとする。身体や顔の一部に発疹を浮かばせながら酷い熱を出していた。額から汗を流すメリックは、自分に触れられる誰かの手を合図のようにゲェゲェと夕食に食べたものを吐き戻す。
「おい、みんな、大変だ、メリックがっすげー熱さ、出してるっ!」
それに慌ててチェリックは周囲に呼びかけた。
明らかにメリックは病気にかかっている。
しかし、怪我ではなく病気にかかっているという事実はこの場において最も拙いことだったのだ。その意味に一拍も置かず気付いたのは、賢人と呼ばれているトルネスとリーダーを自負するカズ、そしてアークとリーヴの4人だけだった。
焦るような声で双剣使いの青年は叫ぶ。
「皆、今すぐメリックから離れるんだっ」
「カズ!? 何言ってんだぁよ?」
「いいから、早く!」
それから、同郷でもある女性に振り向き、カズは彼女にそれを尋ねた。
「ミアンナ……あの症状は風邪だと思うかい?」
それにやや戸惑いながらも彼女は答えた。
「え……? いえ、一見重度の風邪にも見えますけど違うと思います。発疹も出ているし……あ」
そこでミアンナも気付いた。彼女はさぁと顔色を変える。けれど、それで気付けない人間も当然いた。その1人である弓使いの少女アヴィーナは戸惑い顔で言葉を吐く。
「ちょっと、一体なに? どういうこと? 説明してよ」
「なんで、あんな苦しんでいるメリックから離れろっていうだよ!」
そこでカズばかり矢面に立たせることは気が引けたのだろう、アークは妹に諭すような声で言った。
「アヴィーナ、この中に治癒術師はいないんだよ」
そうはいうが、治癒師は最初っから居なかった……というわけでもない。ただ薬学に通じていた専門家であった人間が真っ先に死んでしまった、それだけの話だ。けれど、治癒医療師を真っ先に失ってしまったという弊害がこの日、とうとうやってきてしまったのだ。
そのことに対してどこか自嘲気味に笑いながら、瑠璃髪の剣士は言う。
「わかんねえのかよ、お嬢ちゃん。風邪程度ならまだしも、この中でまともに医療を学んだ奴なんていない。つまりあの坊主を治療出来るやつなんていりゃしねえんだ。それに坊主の病気の正体がわからん以上近づくのは危険だ。何が切っ掛けで移されるかわからんからな。最悪今坊主がかかってんのと同じ病気で全滅というのもありうる」
「だからってほっといていいわけないでしょ!」
その冷淡に吐き捨てられたリーヴの言葉に、怒りを覚えてアヴィーナは言葉を返した。
「馬鹿かてめえ」
更に冷酷にすら聞こえる声で瑠璃髪の剣士は言った。
「お前はなんのために旅してんのかさえ忘れたのか。たとえ、治せる病気だったとしてもな、病人に拘って、足を止める時間が俺達のどこにある? そうやって足を止めて、その隙に噂を聞いてやってきた悪魔共の襲撃を受けたらどうする気なんだ? それこそ無駄死にもいいとこだろうが」
「あんた、メリックを見捨てる気なのかよっ!」
それに、アヴィーナが怒鳴り返すより早く、メリックを実の弟のように可愛がってきたチェリックが怒鳴って返した。
「そうだ」
「ッ! このっ」
「君たちやめたまえ!」
その一触即発の空気を止めるため、カズが2人の間に割り込み、喧噪を止めた。
「……リーヴ、前から思ってたが、言いたい事はわかるけれど、君は言い過ぎる」
「代わりに代弁してやっただけだろうが」
そういって短く吐き捨てる瑠璃髪の剣士を前に、仕方なさそうにため息を吐きつつも双剣の剣士は言った。
「そうだな……確かにその通りだ。けど、必要以上に挑発するのはやめてくれ」
それからチラリとカズはトルネスに視線を流した。確かに治癒術師はいない。だが、賢人と呼ばれるトルネスならなにか、『それ』以外の方法を知っているのではないかと淡い期待を抱いたからだ。
しかし、フードを目深に被った魔法使いは、左右に静かに首を振ってNOを告げた。
「……そうか」
「一時的に昔の状態に戻す魔法はあっても、人を癒す魔法などはない。……役に立てなくてすまないね」
「いえ、元が虫の良い話ですから」
それから、もう一度ため息を吐いて、気持ちを入れ替えたあとリーダーたる彼は代表として言わねばならないそれを言った。
「……明日の昼、それまでにメリックの病気が完治……もしくは回復しない場合、彼を置いて進むこととする」
「了解した」
その提案を、褐色の女剣士と、彼女と最もよく共に行動する小柄な短槍使いの少年が肯定する。それに動揺するようにアヴィーナは震える唇から言葉を漏らした。
「そんな、どうして……」
カズは決してあの男のように冷淡な男というわけではなかった。なのに何故と、ショックを受けているらしい彼女を前に、それでも冷静な声でリーダーたる双剣使いの青年は言った。
「残酷なようだけど、リーヴが先ほど語った通りの現状でね……。僕はこのパーティーのリーダーとして二次被害を防ぎ全滅の可能性を排除した選択を選ばならないんだ……すまない」
そういってカズは頭を下げた。
結局、次の日の朝になっても、メリックが回復することはなかった。
そして、太陽は真上へと昇る。
「もう、時間だ」
その言葉がパーティーメンバーの多数に重くのし掛かる。
病気がうつることを怖れ、看病すら禁止されていたため、これではどちらにせよ治りようなどなかったのかもしれない。けれど、それでももう待つ事は出来なかった。
「なぁ……ほ、ほんとの……ほんとに置いて……いっちまう、だか?」
不安そうな声でベストが訊ねる。
それにカズはリーダーとして震えそうになる声を押し殺して、答えた。
「ああ……これ以上はもう無理だ」
その言葉にいたたまれなくなってアヴィーナもきゅっと唇を噛む。チェリックも肩を震わせ、顔面をグシャグシャに歪めていた。そんな少年を慰めるように獣使いの女性が寄り添う。
そして旅立ちの一歩を踏みしめたその時……。
「……………チェ…………兄?」
メリックのか細い声が届いた。発熱のせいか、擦れた声で兄のように慕ったチェリックの名を呼ぶ少年。それに押さえられずチェリックは振り向いた。
「…………ど……こ……」
「メリック」
その言葉に、思わず走り出しそうになるチェリックの体をアークが抑える。
「離せよっ! メリックがっ!!」
「駄目だ」
必死になって藻掻くチェリックを見ていられず、ミアンナは視線を逸らした。
けど、それできっとメリックは気付いてしまったのだろう。
自分1人だけが、この深い森の中に取り残されてしまうということに。
「……ぉ…………な……ぃで」
少年の手がガタガタと震えながら空に伸ばされる。それが痛ましくて見ていられなくて、アヴィーナやベストは目をそらした。
「ぉ……ぃて、いか……ないで」
「メリック、メリック……ッ」
「…………お……ぃていかない、で…………く、れ、よぉ……ぉ、れ、や……だよ、さみし……ぃよ、こわぃ…………ょ……ゃだ」
ズズズッと啜り泣く声が聞こえる。幼い声変わりを果たしたか果たしていないかというその声が、酷く聞いているものの罪悪感を疼かせた。
「……チェリ……にぃ……」
「…………行くぞ」
それを殊更冷酷な声で吐き捨て、リーヴが行軍を促す。やがて、メリックの姿は森に隠れ見えなくなるまで続く。弟分を見殺しにする形となったチェリックは、茫然自失とした態で滂沱の如き涙を流しながらその力の入らない体をアークに引き摺るように連れられていた。
「…………」
沈黙の中、チェリックの啜り泣く声と森の獣たちのざわめきだけが、音として場を覆っていた。
* * *
しかし、旅に悲劇はつきものでした。
* * *
病気にかかったとはいえ、まだ生きているメリックを、そうと知っていながら置いてきた今回の事件はアヴィーナの心にも大きなシコリを残していた。
けれど、冷静になって考えたら、カズやリーヴ達の主張がわからないわけではないのだ。アヴィーナは感情的になりやすい少女ではあったが、全くの馬鹿というわけではない。結局の所、最終的にその決定に従ったのも、治癒師もいずなんの病気かもわからないのに看病し彼を救う事に固執して死の危険をパーティーに増やすか、彼が死ぬ事を承知で置き去りにすることによって二次被害による全滅の可能性を排除するかでは、後者のほうに道理はあると理解はした。
しかし、理解は出来てもそれで納得出来るほど、アヴィーナという少女は物事に対し冷徹にはなりきれなかった。
だって3ヶ月も一緒にいた仲間なのだ。このいつ終わるか、本当に終わるのかすらあやしい出口の見えない旅の中、人懐っこくて兄貴分と慕うチェリックと無邪気に笑っていた彼の姿に癒されたことだって、数え切れないほどある。
そしてだからこそ腹立たしかった。
勿論、自分より2つ年下の幼い彼を結局あんなところに置き去りにした不甲斐ない自分に対してだって、腹は立っている。此処は魔族の領分である土地の森の中なのだ。病気で動けないメリックは、自分たちが出発するまでは生きていたが、今頃森の動物たちに襲われ、もう死んでいる可能性が高い。そこで別れた時は生きていたのだから生きていると、そんな風に楽観視出来るほどアヴィーナは世間知らずではない。
けれど、それより腹が立つのは何事もなかったかのように前を歩く、この1つに縛った瑠璃色の髪を揺らしながら歩く男だ。飄々とした身に纏っている雰囲気はメリックを置き去りにしたことなんて、なんとも思っていないということを指し示しているようで本当に腹が立つ。
思えば最初っから気にくわない男ではあったのだ。
何かといえば、自分に突っかかってくるし、口を開けば皮肉に嫌味のオンパレード。とはいえ、それはアヴィーナに対してのみというわけでもなく、斧使いの誰かさんと違ってキチンと旅で必要とすべき事柄にはちゃんと協力するし、戦闘でもきちんと剣働きは行うが、平素においてはなれ合いなんてしないとばかりの澄まし顔。それだけならまだしも相手を小馬鹿にする態度と言動にはお前は何様だと言いたい。
トドメとばかりにマリリンが死んだと判明した時の台詞と、今回のチェリック相手に放った強烈な皮肉台詞だ。確かに言っていることの内容だけを鑑みるならば、リーダーであるカズが言っていた言葉と内容は同じだろう。しかし……あそこまでチェリックを傷つける必要はあったのか?
チェリックとメリックはまるで実の兄弟のように仲が良かった。それは皆知る事実だった。そのチェリックにメリックを置き去りにしろといって、あの少年がすぐはいそうしようと頷けるわけがないのに、どうしてあそこまで彼を傷つける形であんな言葉を吐けるのだ。冷酷非道にも程がある。
まあ、元々あんな性格なので、リーヴに話しかけるような物好きなどリーダーであるカズと、兄のアークくらいしかいなかったが。
カズのほうはまあいい、わかる。リーダーとして彼はメンバーの誰にも平等に接していたし、誰にもああいう態度だったし、リーヴに話しかける時も大抵は旅に関連する話だった。
けれど、兄のアークは違った。彼は親しい友人に話しかけるようにリーヴに接したし、いや、多分実際にあれはあの瑠璃髪男に対して友情を感じているようであった。そしてリーヴのほうも常につっけんどんの涼しげな澄まし面で、口を開けば皮肉ばかりのくせに、兄に向かってはそういう毒を吐く事もなければ、ウマが合うのか彼と居るときだけは少しだけ空気も柔らかだった。
それがアヴィーナには心底理解出来ない。
だが、兄のアークとあのリーヴとかいう男は正反対だ。
高い鼻梁に薄い唇、細面に紫水晶を思わせる切れ長の瞳。後ろで1つに纏めた瑠璃色の髪は背中の半ばほどまであり、ストレートで触り心地がわりと良さそうに見える。加えて均衡の取れた戦士らしい体つきと、女にしては背が高めのアヴィーナよりも頭半個分高い背丈は、美男子だと形容してもいいかもしれない。しかし、あの他人を見下すような……または達観したような、人を小馬鹿にしたような瞳と、皮肉った口元の笑みがそれらを台無しにしていた。
なんて傲慢な男なんだとアヴィーナが思ったことだって数え切れない程だった。けれど、それはアヴィーナだけの意見かといわれればそうじゃないだろう。それくらい男の態度はわかりやすく非友好的だった。そんな世界を拒絶しているかのような男にどうして好感を抱けるというのか。
剣の腕もある。顔も良い。しかし、人望もなければ、愛想も無い。おまけに口も悪くて性格は人の傷口に塩を塗り込むような言動を常にするような最悪な男。それがアヴィーナのリーヴという男に対する印象だった。
兄のアークは違う。優しげな目元に、整った顔立ちに柔らかな菖蒲色の髪に翡翠の瞳。その穏やかな表情だけで見る物を安心せしめせ、兄が微笑めば色めき立たない女性はいなかったほどだ。
その上弓の腕も一族で並ぶものはないほどだったし、弓の名手たる兄は中性的で優しげな風貌に反して身体もしっかりしていて、その大きな手は硬く温かかった。たまに意地悪な時もあったが、優しく穏やかで、妻である義姉とは仲睦まじく理想的な夫婦を築いていたし、いつも笑みを絶やさず社交的で、一族中の敬意を集め、素晴らしい若様だと、人望だって高かった。
アヴィーナにとって長兄のアークという存在は、理想を詰め込んだような男でもあり、また自慢の兄であった。その兄が魔王退治軍に立候補すると言い出した時は驚いたものだ。子供だって生まれたばかりなのにどうして、と言っても「だからだよ」としか言わなかった兄には自分に負けぬほど頑固な面があったが、兄のそんなところの彼の美徳だと思っていたので、無理に兄を引き留める真似はしなかった。代わりに自分も一緒に行くといったし、不安な瞳をする義姉に「あたしが兄が守るから大丈夫」と答えて部落を出てきたのだ。兄の真意は今だ分かりかねるところもあったが、それでもアヴィーナはアークを信頼していた。
けれど、どうして兄は、あの自慢の兄はあんな傲慢で冷酷な男と親しくするのか、それだけが理解出来なかった。
「アヴィーナ」
どうしたんだい? と聞き慣れた優しい声が耳朶を擽ってアヴィーナは顔を上げる。見れば自分と揃いの菖蒲色の髪をした青年が穏やかな表情で自分を見ていた。
「兄様」
「うん?」
一瞬、今まで思考に乗せていた相手の片翼……それに兄が眼前に現れたことに戸惑いを浮かべるアヴィーナであったが、それでも考えてもわからぬことをいつまでも考えるのもまた問題か、と思い直し、遂にそれを問うた。
「なんで兄様はリーヴなんかと仲良くするの?」
そのやや非難と疑問に彩られた妹の翡翠の瞳を前に、弓使いの青年は少しだけ困ったような顔をした。
アヴィーナはアークの妹だ。けれど、だからといってそれを理由に兄の交友関係を妨げるような権利が自分にないことくらいアヴィーナとて承知はしている。この長兄は妹に一見優しく甘く見えるが……優しい顔をしているくせ、誰が相手だろうと怯まず自分の意見を押し通すタイプなのだ。寧ろ、自分の領域を荒らされるのを好まないタイプだろう。だから、気にくわなくても、アークがリーヴと友情を育むことについては自分に関わらない限りは傍観してきた。
「アヴィーナ、いくら妹でもその言葉は流石に聞き逃せないな」
自分だって己の交友関係に口出しされたら怒る。だから兄が少し怒ったような口調でそう言う気持ちとてわかる。それでも敢えてアヴィーナはその自身の気持ちを告げた。
「だって……本当にわからないもの。だって、あいつ酷い奴だわ。冷酷で辛辣で口を開けば皮肉った罵詈雑言ばかり。チェリックにだって、あんな言葉で追い詰めて傷つけて、彼が可哀想よ。あんな酷い奴見た事ない」
その言葉に、アークは少しだけ口調と雰囲気を和らげて、こう妹に言った。
「アヴィーナ、別にリーヴは君が思うほど冷酷じゃない。いや、君が思っているよりもあいつはずっと良い奴だよ」
「え?」
そう聞かれても一体どこが? としかアヴィーナは思えない。しかし他ならぬ大好きな兄の言葉だ。困惑しつつもその言葉の続きを耳へと入れる。
「まあ、なんというか、彼は自分がどう思われようと構わないと思っている節があるからね、その分言葉を選ばない。それが冷酷に聞こえることは否定しないが、だからといって他者をどうでもいいと思っているわけではないよ。そうであったなら、旅に協力すらしない」
そういって、アークは前方を歩くリーヴの揺れる瑠璃髪とその背中を見やった。
「捻くれているように見えて、その実本音しか言わない非常に素直な男なのさ。わかりにくいようで存外リーヴはわかりやすいし、自身の言葉を裏切ることもない。裏がない分可愛いものさ」
そういってアークはにっこりと笑うが、それにアヴィーナは引き攣った笑いしか出ない。
前方に行く男は、美男ではあるがそこそこの長身に引き締まった戦士の身体といい、切れ長の瞳といい、かわいらしさとはどう考えても無縁だ。あの慇懃無礼な瑠璃髪男のどこをどうしたら、そんな微笑ましいものを見るような目で「可愛らしい」のだと、そんな幼い子供相手みたいな評価が出てくるのか、我が兄ながらその思考回路は謎だった。
「自分を弁護することもなく、また弁護しようという発想すらなく自身の考えを述べていく、彼の不器用なそんなところを私は好ましく思う」
そういって、アークは言葉を締めくくった。
「兄様は……」
「ん?」
「兄様はあいつのこと、好きなのね」
そこでアヴィーナは思い出した。
思えば、一族では兄は慕われていたが、それでも対等の友人と言える存在はなかった。
先ほどは何故かあんな毒舌な男なのに、兄に対してだけはあまり毒を吐くこともなく心をゆるしているようにすら見えたとリーヴのことについて回想したものだが、それはアークだって同じだったのだ。思えばあれほど、アークが一線を引かずに気を許した他人というのは……もしかしたらリーヴが初だったのかもしれないと、そんなことにアヴィーナは気付いた。
それに、自覚もあるのだろう、感情のよめない笑顔を浮かべながらアークは言った。
「そうだね。親友と、そう思っている。だから、出来れば君とリーヴも争わないでくれたらとても嬉しい。そして言葉に惑わされず、出来れば彼自身を見てやってくれ、とそう思っている」
「努力はするわ」
そう言い、アヴィーナは言葉を終えた。
続く




