第9歩:DOUBLE LIGHT AND ONE BLAZE
高く澄んだ金属の悲鳴は耳を介し頭に響く。
でも、僕はそんな音を気にする余裕など無かった。
何せ身を断つような痛みが全身をかけ巡ったのだ。体中の感覚が麻痺しても不可思議なことは粉微塵もない。
『幻夢の誘手』にヒクつかせたり、『鴻の翼』の翼が羽ばたけるように僕についている兵装には神経が通っている。触られればなにかしら感じるし傷つけばいたい。
同様に『葬倒天馬』も肉をたつ感触が直に伝わってくる。故に『葬倒天馬』が折れたのは僕の腕が直接折れたのと同等の痛みが走る。
「――――っ!」
顔をもろに歪ませて、涙、鼻水、唾液を垂れ流す。
痛さのあまり『葬倒天馬』の柄と『断纏』を取り落とした。『断纏』は僕の手から放れて効力を失い、カランと短い音を立て地に落ち、普通のナイフに成り下がる。
それでも膝は折れなかった。不幸中の幸いか長時間戦い続け神経が麻痺していたおかげというものだ。
落とした『断纏』を拾いたかったが、低い姿勢をとるとそのまま崩れて二度と起きあがれそうにないので止めておいた。
これまでと変わらない様子で猿鬼は武器を形無しに構え、こちらを凝視している。攻撃が止まったのは僕の様子が変わり事の行く末をみているのだろうか?恐怖を感じないのに状況判断するだけの知能があるとは――。それとも何か?最初から僕は恐れるに足らない存在だったのか?
「ムカつくなぁ―――!!」
叫ぶように吐き捨てたが言葉。自分でも口が開けたことに驚いた。
まだ、力がある……―
『葬倒天馬』を無に返し、
まだ、動ける……―
『断纏』を拾い上げ、
まだ―――戦える!
まっすぐ、まっすぐ前を見据えた。
「ウオォォォォオオ!」
獣のような叫び。
今まで動かなかった足を急速に動かす。
足の裏に爆発を起こしたかの如く跳躍し、一歩で間合いを零にする。
「失せろぉお!」
信念が折れた。
本能で動いた。
動かなかった腕を無理矢理動かし、一瞬一太刀で二十二の肉片に猿鬼を解体する。
骨が折れようが砕けようが無くなろうが関係ない。
肉が裂けようが喰い砕かれようが抉られようが関係ない。
見境無く、例外無く、目の前の障害物を動かなくしていく。
アパートの廊下を掃討し終えると、入り口まで前進する。アパートの廊下は既に紅いペンキに塗り変えられてベトベトくっつくし滑りもしたがかまわず走る。
榎凪のいる部屋へいくために通らなければならない。安アパートの入り口まで出ると残された力をすべて『断纏』に込め、ひたすら強く握る。
飛びかかってくる猿鬼を軽くいなす様に肉片へと瞬く間に変換。
「雑魚共がぁ!」
反撃のせいて血が中からせり上がってくる。
血でのどが焼けて声を出すだけでも痛いが、何か喋っていないと今にもひざが折れそうだ。
「穿てぇ!」
『断纏』を持っていない左手で猿鬼の心房を直に握りつぶした。代わりに指の骨が砕ける。
なけなしの左手の力を振り絞り、また飛びかかってきた猿鬼をたたき落とすと、たちまちぴくりとも動かなくなった。
それと同時にもう左手も動かなくなった。全治三ヶ月と言った感じ。
なんて自己分析を冷静にしている場合じゃないか。
だらんと左手は重力に逆らえず下に下がっているが、右手は気力を失うことなく上を向いている。両手とも辛いのに変わりはないのだが。
「グォォォ!」
「堕ちろぉ!」
無駄な雄叫びをあげて突進してきた猿鬼を肩口から両断し侵攻を阻む。
別の場所からまた飛びかかってきた猿鬼に気を向けた瞬間。
「グワァァ!」
最初はなにが起きたか分からなかったが痛みの走った右腕に目をやった瞬間にすぐに悟った。
さっき切り裂いたばかりの猿鬼が右手に牙を深く突き立てていた。
「――――っ!クッソォ!」
右手を大地にたたきつけ、頭を砕いて無理矢理はずす。
これで両腕が動かなくなった。足もろくに動かない。
「クッソォ!動けよ、動けよ、動けよぉ!」
呼びかける口からも血が溢れ言葉を遮る。
無情にもまだ数匹猿鬼は残っている。
もう少しなのに、もう少しで守りきれるのに。折れた信念は倒れて砕けた。
こんな簡単なこともできないなんて。
今榎凪のところに猿鬼が行けば確実につれていく。魔術の使えない状態の榎凪をつれていくのはたやすいだろう。
「グワァァ!」
僕が戦闘不能になったのを確認すると残りの猿鬼が群がってくる。
こうなったら自分の体も盾にして守ってやる。絶対に通さないっ!
「飛ぶだけが……能生じゃないんだよぉ!」
『鴻の翼』をすべて展開。入り口を塞ぐように翼を自分の前に重ねた。
赤き壁。
猿鬼の無秩序に羽に食らいつく音が雨が屋根を叩くように規則的かつ断続的に鳴り響く。
飽きたかのように音が止まったかと思うと、今度は刃物を突き立てている音が響き続けている。
聞いていてあまり気持ちのいいものじゃないな。それに二度と聞きたくもない。
液体の滴る音に自分の血が流れているのかと思ったが違ったみたいだ。音が澄んでいる。
それがすぐに雨だとわかった。周囲に立ちこめていた鼻を突く血の臭いを鎮めていく。急に降り始めたのから見て夕立だろう。
白雨の音はいつもと比べものにならないほど優しく頬を伝い、僕の血も一緒に流してくれたようだ。
さっきよりずっと清々しい気分だ。傷口にしみるほどの神経が残ってないのがよかったようだ。
余りにそれが優しくて。
涙がでるほど優しくて。
その所為でついに
ついに僕のひざが折れた―――
今は翼にすがって身を起こしていると行った具合だ。
その翼も猿鬼にこじ開けられようとしている。あらがう力など疾うの昔に残っていない。『鴻の翼』の重みに開けられないでいるのだ。
ようやく猿鬼一匹が通れる感覚が開いた瞬間。
終わりの刹那。
――光が、
落ちてきた。
それは比喩抜きで本当に落ちてきた。目が眩む眩しさが空中で炸裂したのだ。世の人はこれを閃光手榴弾と呼ぶ。
いくら考察能力のない猿鬼でも視覚はある。大量の光が目に入れば目はたちまち使いものではなくなるはずだ。普通の作りならばだが。
光が止まない内に何かが飛来してくる。直ではないものも目に光が入ったのでよく見えないが陰は二つあった。
「ヒッサァーツ!!」
脳の奥まで響くような高くて明るい女性、いや少女の声だった。
赤髪紅瞳、短髪につり目。榎凪に少しだけ似た明るそうな少女で身の丈ほどある棍棒を両手で力任せにふるう。破壊力は少女の見た目に反してかなり凶悪だ。
何故か――いや榎凪の趣味で装飾過多な白と黒を基調とするフランス人形のようなゴシックロリータの格好をしている。
「掃討します――っ!」
こちらも少女の声だが先にでてきた少女よりも大人びていて落ち着いた感じ。
蒼の髪と眼。髪は棚引くほどに長く美しい。こちらもかなり長い刀を両手で鋭く素速く動かしている。和服という動きにくい格好ではあるが本当に強かった。
翼の合間からみた少女たちは瞬く間に残りの猿鬼を殺した。何の迷いもなく。
僕は見苦しくも生きている――そんな中途半端さに心が痛い。
それに新しい魔術制合成生命体は僕より強い。それなのに僕は必要なのかと自分の存在に心が痛い。
「私の名前は茜だ!よろしく!」
「葵です。今後とも宜しくお願いします」
一通りやることを終えてからようやく二人は自己紹介をしてくれた。
小さな体をくの字に曲げた後、 僕が何も言わないのを了解取ったようで茜は棍棒を三つにたたみ、葵は刀を鞘に収めた。
「榎凪さんは私たちを作った後に倒れました」
「まぁ、能力を使い果たした上に三日三晩飲まず食わず寝ずじゃ当然だろうな」
榎凪のことを聞いたとたん僕は榎凪の側まで行こうと体を動かそうかとうとした。が、二人に制止された上に体がうまく動かなく座り込んでしまった。
情けない。
「榎凪さんは倒れる直前に貴方様のことを保護及び治療を依頼されました」
「葵、言い方がかてぇーよ」
「要約したまでです」
「だからぁ、喋り方をくだけよぉ」
「がさつ過ぎるのですよ、あなたは」
「どうでもいいから、言い争いよりも先に榎凪さんのところまでつれていってくれ」
息が戻ったのを確認してから間髪入れず続いていた不毛な言い争いにツッコミを入れた。
どうやら性格は榎凪に似ているようだ。まさかあの鬱陶しい行為が三人に増えるのではないのかという予感はよぎったがとりあえず今は忘れておいた。
「わかった」
「わかりました」
同時に返事をしてくるものだからこの二人が双子に見えた。って事実、双子なのか。性格が似てないことから人間で言う二卵生双生児なのだろう。
後ろを振り返り、安アパートの短い廊下に目をやった。さすがにグロテスク。吐きそうだ。
この光景を見るからに僕が戦っていた間にどんな顔でどんな雰囲気であったか容易に想像がつく。少なくとも好感は持たないだろう。
さてこれからどうやって榎凪のところまで連れていって貰おうか?
肩に担げるほど腕が大丈夫なわけがなく、他の場所も同様に然りだ。
悩んでいる最中。
ドンガラガッシャン!
続いて、
「あいてて……」
それはよく聞き慣れたはずなのにひどく懐かしく感じた中性的な美人。
「か……なぎ………」
自然に口からこぼれた女性の名。一度あったら忘れるはずのない珍しい名前と独特の性格。
「久しぶりだな。三日会わないと、さすがに」
これほど動けないことが煩わしいと思ったことはない。すぐにでも近くにいきたかった。
「足がふらつくから、そっちまで連れてってくれると嬉しいんだけど」
僕の向こう側にいる葵と茜をみながら言った。
「はぁい」
「わかりました」
僕の羽の脇をすり抜け血だまりを気にもせず、榎凪の左右脇に立って支える。
近くまできて気づいたが階段から落ちて転けた所為か、体中のあちらこちらと自慢の黒髪にも血痕がついている。すまないことをした。
そんなことを全く気にかけず、支えられながらだがしっかりとした足取りで一歩一歩向かってきた榎凪に途轍もない安らぎを感じるのは何故だろうか?
羽を納めてから無理矢理向きを転換し地べたに座り込んだ。
こちらまできてから屋根のあるところに座らせようと茜と葵はしたが榎凪はわざわざ雨の中、地べたに座っている僕の目の前に座ってくれた。
榎凪はいつもと同じように。いや、いつも異常に屈託のない笑顔を作っている。疲労の色も強いがそれでも綺麗だと僕は思った。
「ごくろうさま」
榎凪が言ったのはそれだけだったけど、それが心の奥まで染み渡ってくる。
あぁ、もう!言ってやりたかった文句も全部飛ぶし、涙は出てくるし、最悪だ!人生最悪の日だ。
榎凪はそんな僕をじっと見て、抱き寄せる。
「おまえが何かを悩んでるのはわかる。でも、おまえはいつまでもおまえで、私の『永遠の恋人』だ。
ほら、手だってこんなに暖かい」
血塗れになっている僕を気にせず頬に手をくっつけて両手でゆっくり包んでくれた。それがどうしようもなく暖かい。
白雨が止むまで僕は泣き続け、榎凪は暖かく包み込んでくれた。葵と茜は立ち尽くして待つ。
雨は優しく頬伝って地に落ちた。




