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エピローグ

 春。都会にも田舎にある町にも訪れる季節の移ろい。凉暮の町は山はあるが、その山には桜が植生していないせいか、目に見えて春と実感させるものがなかった。

 だが、暦の上では既に春であったし、気温も暖かく落ち着いていたので、違うことなく春だった。

 そんな季節の中、空は快晴。すがすがしい一日。

 凉暮の町の端に位置する武家屋敷のような広い和風の建築物の前庭に一人の青年と一人の女性がいる。

 男性の方は車椅子に座り、女性がその後ろから車椅子を押していた。二人とも表情は穏やかで、ゆったりとしたペースで散歩でもするかのように歩を進めている。

 やがて、前庭の中心程に来て、止まる。

 平和、そんな言葉がよく似合う情景。

 車椅子に座って、全てを女性に任せていた男性が、眠っていると思わせるほどに薄く閉じていた眼を開く。

 同時に柔らかい春風が彼の白銀の髪を巻き上げる。

 琥珀の瞳、この世のものとは思えないほどに整った顔立ち。

 言うまでもなく魔法使い《ギフト》、紀伊大地。

 

「もう、二年以上になるのか……」

「……はい、そうですね」

 

 車椅子を押している女性、神宮夏雪が大地の意図したことを正確に読み取り、少しだけ言葉に迷って返答した。

 

「彼が行方を絶って、二年と三ヶ月になりますね」

 

 大地の言葉を補足するように、ポツリと夏雪はそんなことを口にした。

 それで会話は途切れる。それ以上、全てをわかっている大地が言葉を発する必要がなかった。

 ゆっくりと、春の時間が流れる。

 十分経って、二十分過ぎる。いつまでも、そうしているかのように、二人とも動くことがない。

 まるで、長年連れ添った老夫婦のような二人の間。

 

「あはははっ!」

「ちょ、危なっ!」

 

 楽しそうな声が大地と夏雪の背後から聞こえた。

 軽く眼をやると明が屋根から飛び降り、朝熊がそれを下でキャッチしているところだった。いったいどんな経緯があってそんな行動に走ったか知れないが、危険な行動には違いなかった。

 いくらこの家が一階建てだといっても、屋根から飛び降りたりすれば、下手をすると怪我ではすまない。

 楽しそうな二人を邪魔するのは悪いし、朝熊がついていれば大丈夫だと思ったが、もしもと言うこともある。そう思って、夏雪は一旦、大地のそばを離れて、二人を注意しにいく。

 朝熊は平身低頭謝っていたが、明には全く反省の色がない。そんな明にさらに厳しい口調で夏雪は責め立てる。

 そんな三人のやり取りを見ながら、大地は思う。

 二年前、あの戦いの中、もっともひどい怪我をした朝熊。不幸中の幸いか、傷は中核にまで及ばず、かろうじて仮死状態で彼は現世にとどまった。そんな朝熊を“片手間”で『彼女』は治した。治したといっても一月前の話だが。それまで大地の応急処置により彼は一部の生体機能だけで、植物状態になっていた。

 

「大地、少し出掛けてくる」

 

 脇から唐突に声を掛けられた。車椅子に座っている大地は声の主を見上げた。

 

「出無精のお前が珍しいな、時雨」

「………いや」

 

 髪は相変わらず長いまま、もはやトレードマークとなってしまったパイナップルヘア。その髪を揺らして下を見た。視線を追うようにして大地も視線を下げる。

 時雨の脇腹あたり、車椅子に座っている大地と同じ視線の高さにいる理由を見た。

 

「……せがまれて」

 

 時雨の服の裾をしっかりと握りしめて離さない由愈がいた。じっと大地を見て、時雨に視線を首がいたくなるほど上に向けている姿は何とも微笑ましい。

 あまり笑うことのない大地が笑うほどに。

 

「それじゃ」

 

 由愈に引っ張られるような形で時雨は歩いていく。

 時雨早く行こ、わかった、わかったから髪を引っ張るな、痛い、と言うやり取りが門の辺りから聞こえてきた。

 そういえばと、もう一度、二年前のことを思い出す大地。

 確か、彼女――風間麻紀が出ていくときも、あんな風に騒がしかった。

 麻紀は剣野景色を探しに世界中を飛び回っているらしい。時々、剣野景色の情報を催促するためによこす連絡によれば、いまごろマダガスカルらしい。

 

   ―●―

 

 

「はぁ……」

 

 所変わって、紀伊宅屋上。ため息を吐く人が約一名。

 

「若干、忘れられてますよね、私って」

 

 一人孤独に本を読む間宮和湖。

 

「それぞれみんなパートナーというか、恋人っていうか、そういうのがいるっていうのに、私だけ居ないって、どうなんでしょうね?」

 

 誰も居ない虚空に向かって話しかけているのが、さらに内容を痛々しくしていた。

 

「結局、二年前のこと、私だけ何も関わっていませんし、本当に孤独ですよ。はぁ……」

 

 わざとらしく、切なそうにため息をつく間宮和湖。まるで背後にいる人影にでも聞かせるかのように。

 

「あぁん?それはあたしへの当て付けかこらぁ?」

 

 長身のスタイルのよい体。緩く髪にかかったウェーブが、その体によく似合っていた。

 

「あ……鏡さん、いたんですか」

「さん、じゃなくて、様、だろ?」

 

 彼女、輪廻後の鏡はわざとらしく自分の存在を確認した和湖の頭を片手でホールドする。

 

「あぁ、どうせ私は輪廻しても夏雪にかなわかったさ!大地にフラれたんだよ!コンチクショ――――!!」

 

 空しい絶叫が空に響いた。

 

   ―●―

 

 

「大地さん」

 

 明達を叱り終えた夏雪が唐突に話を切り出した。

 

「未だに、罪悪感がありますか?」

「……あぁ」

 

 突拍子な疑問にとぼけることも、聞き返すこともせず、ゆっくりと頷いた。

 

「私がしたことは自己満足だ。彼に知る必要のない、知りたくもない知識を与え、思考を誘導し、こんな結果をもたらさせたのは、間違いなく私だ」

「そんなことありません。彼はちゃんと最後は自分で決断しました。それに――」

 

 夏雪は一拍間をあけた。

 

「《空間(ドリーム)》を使用した代償で足が動かなくなったっていうのに、それが罪だったなんて、悲しすぎるじゃないですか」

「いくら自分に被害が出たからと言って、自己満足は自己満足だし、罪は罪だ。しかも、それを決めるのは私じゃない」

 

 大地は薄く目を閉じた。

 

「私は罪だったと思ってるが、最善だったと思っている。彼がそれを望んでいたとも、ね」

 

 目を開き、自ら車椅子を動かして、山の頂上を向く。

 二年前、終幕を下ろした場所を。

 

「これも自己満足なんだが……彼は後悔していないと思う。そうだろう、《姉さん》?」

 

   ―●―

 

 私は長い長い石段を上っていく。

 一歩一歩、着実に自分の足で。

 葵と茜は石段の下まではついてきていたが、私が石段を上り始めると、引き返してしまった。私に気を使っているんだろうな。

 はぁ、自分の使い魔に気を使わせるなんて、なんつーか、嫌だなぁ。ま、ありがたいけど。ついてこられたら、迷惑とは言わないが、うっとうしい。

 あー、それもなんか悪い表現だな。迷惑より悪化してる気がする。気にしても仕方ないし、思考を丸投げした。

 要は私が一人で居たい。それだけ。

 私は毎日この石段を上っている。あの日から、一度も欠かすことなく。

 最初は石段なんてなく、獣道を徒歩で上がったものだ。知ってるか?一人で山道を歩くと裏山でも遭難するんだぜ?

 石段の終わりが見えてきた。もうすぐ山の頂上に辿り着く。

 既に日は結構高い。昼食に丁度よい時間だ。今日は頂上で食べることにしよう。小春日和で気持ちいいし。

 最後の一段を踏みしめる。今日も登頂に成功。よくやった、私。

 

「よぉっ」

 

 笑みと共に片手を上げ、あいさつ。

 いつものように誰からも返答はない。当然か。誰もいないんだし。

 有るのは唯の石っころ。3つ上下に重ねられ、一番上にある縦長の大きな石にはこう刻まれている。

 

『秋 宮 世 界』

 

 これは名前。私がこの世で唯一愛している奴。ついでにいうなら命名、私。

 

「最近めっきり暖かくなったなー」

 

 返答がないのを承知で話しかける。

 

「最近、足に筋肉ついちゃってさ」

「ちょっと足が太くなったんだよ」

「っていっても、綺麗なのは変わらないけど」

「昨日希崎が――」

「紀伊と夏雪が――」

「町でナンパされて――」

「また新しい魔術を――」

「今度、総理が――」

 

 とりとめもないことを話しかけ続ける。同じ話題を何度も繰り返したり、しきりに笑ったりして、音を絶やさない。

 音をならしていないと、壊れてしまいそうで、怖かった。

 

「なぁ、覚えてるか?」

 

 この話題は何度目だったろうか?初めての気もするし、毎日言ってる気もする。

 

「私たちが初めて会った時のこと。はは、覚えてるわけないか。生まれた瞬間を覚えてる人間なんているわけない、か」

 

 何度繰り返しただろう?このフレーズを。

 

「お前さ、クリッとした目付きで見上げてくるんだぜ。ホント、可愛かったなぁ」

 

 誕生の瞬間、あいつは円らな瞳で純真無垢に私を見た。弑虐欲と庇護欲、世界中の人にひけらかしたい欲求と自分一人が独占したい欲求、同時に矛盾した感情が全身に駆け巡ったのを、今でも鮮明に覚えている。

 

「あれから、何年だろうな」

 

 長すぎて忘れてしまった。

 楽しすぎて忘れてしまった。

 

「待ってるのも、そろそろ飽きてくるぞ。いい加減探しにいくぞ」

 

 そんなこと自分では出来ないと理解しながら、呟いた。

 

「こっちはなぁ……白亜の豪邸建てて待ってるんだぞ。ダ・ビンチに負けずとも劣らない、つーかぶっちゃけ勝ってる万能の人、私の設計だ」

 

 ここから見える向かいの山に、ここからはっきり見えるほどに巨大な家。

 あれが私とあいつの――秋宮榎凪と秋宮世界の新居。因みに私は一度だって入っていない。あいつが帰ってくるまで、入らないと決めたから。

 

「だから……早く帰って来ないと……」

 

 不思議な感覚だった。体の奥底が熱くて冷たい。

 

「私がおばさんに、なっちゃうぞ……」

 

 いつものように軽口がうまく叩けない。

 足にうまく力が入らない。

 二年経っても悲しみは衰えない。

 

「ぁ……ぅ……ぁ」

 

 石に前のめりに寄りかかる。両手で一番上にある石をつかんで、膝をつく。もう立っていられなかった。

 下を向くと、石で舗装された地面に幾つもの染み。それを視認してから、私は堰を切ったように泣き始めた。

 

「ぁあ……ぅあ……あぁぁ……」

 

 どうして居なくなったのか。

 どうして助けられなかったのか。

 そんな後悔が今の私の構成要素だ。

 あと一年でも、あと三年でも、あと五年でも、あと十年でも、あと百年でも、待っている。待っていられる。

 待っていられる、けれど。

 

「会いたいよぉ……世界ぃ……」

 

 どうしても思ってしまう。

 どうしても求めてしまう。

 愛し愛されている『永遠の恋人』を。


 

 

 

 

 こつん

 

 

 

 


 やけに、静かだった。

 たった一度だけなった靴音。

 その靴音だけが、やけに、はっきり聞こえた。

 

「…………ぇ?」

 

 一陣の風が運んできた、赤い羽根。血染めしたような真っ赤な、羽根。

 裏切られることを恐れず、期待した。

 

「ぅあ…………」

 

 言葉にならない。

 言葉にできない。

 白い髪に蒼い虹彩。一回り体が大きく、逞しくなっている

 思わず駆け出す。自然と体が動いた。彼の胸へと飛び込む。周りなんて関係無い。恥ずかしさなんて微塵もない。

 ひしと抱き合って、彼は耳元で呟いた。

 

「ただいま、榎凪」

 

 僕は榎凪といっしょにいるよ、と。



どうも、西宮東です。『榎凪といっしょ!』を最後まで読んで頂き、ありがとうございます。掲載日を見てみると第一歩の投稿が2005年10月4日になっているのから計算すると、既に二年も経ってるんですねー。若干驚きです。まぁ、間3ヶ月投稿してなかったり、一日に二話投稿したりと、不規則なことこの上ないのですが……。そんな不規則更新にもめげず、最後までお付き合いして頂いた方もいらっしゃると思います。いると思いたいです。居てくれるといいなぁ……。とにもかくにも、最後まで読んで下さった方、どうもありがとうございました。終わり際、某アニメの影響でバットエンドにしてしまいそうでしたが、何とか書き上げることが出来ました。これも読者の方々、及び椎堂真砂先生を初めとする他の作家さまのおかげです。もう一度、ありがとうございます。あ、最後になりますが、好きなキャラクター、好きなシーン、好きなセリフ、好きな表現技法、等々ありましたら作品評価または感想で、今後の為にもお教え下さい。では、また機会があればお会いしましょう。長々と失礼しました。

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