第63歩:世界
榎凪はリヴォルバーを取り落とした僕の手を離すと、嗚咽をもらす僕の背中に手をまわす。自らの顔を僕の白い髪に埋め、背中を軽く二度、子供をあやすように優しく叩いてくれた榎凪。
僕は拒むことなく、その温もりを素直に受け入れた。
正直なところ、僕はまだ榎凪のことを信じきれていないのかもしれない。《失敗作》の言ったことが嘘だとも思えないし、気持ちの整理もついていない。榎凪の言ってくれた言葉をストレートに受け止められないし、僕から好きとも言えない。
けれど、問答無用に榎凪を拒絶する必要も気持ちも、また、ない。
榎凪は最後に一度、僕を強く抱き締め、頬に軽く口づけすると、体を離した。離れてもなお近くにある顔は淡紅色に染まっていて、そして、幸せそうに笑っている。
無邪気で無防備で無垢な笑顔。
そんな笑顔を一瞬にして消し、立ち上がってから一歩離れ、膝についた土をはらう榎凪。
榎凪は美しい体を翻し、紀伊 大地と対峙する。
「秋宮、自分が何をしているか分かっているのか?」
「わかってるよ」
いつの間にか立っている紀伊 大地の前置きのない質問に、榎凪は即答した。
「問題だらけで、お前の言いたいこと、いや、当たり前のことは分かってるつもりだ。だけど、そっち方向に流れていくのは私には無理だ。私が流され出したら、それこそ死んだみたいなもんだろ、精神的に。つーわけで、一つ言っといてやるよ、《魔法使い》」
僕は、言っている意味がよく分からなかった。でも分からないなりに、榎凪が大変な選択肢を、大変な『罪』の様なものを選ぼうとしているのは、雰囲気から読み取れた。
しかし、そんなことは悩みの種にもならないかのような気配で、榎凪はニタァと最高に不敵な笑みを浮かべる。
「悪いな、紀伊。ついでに、ごめんな、世界中のみんな。私は世界を裏切ることにしたよ」
と、榎凪は言った。僕の知らないことを榎凪は確実に知っている。それもかなり重要とされる類いのこと。榎凪の言動から察するに、榎凪の選んだ『罪』と言う奴は、世界と対立するような、とんでもない『大罪』らしい。
「秋宮、やはりそういう選択をしたか」
紀伊 大地は、至極落ち着いていた。自分の思い通りならなかったはずなのに。先ほど、あんなに声を荒げていたというのに。きっと、この場で誰よりも落ち着き払っていた。
「秋宮がそういう回答を出すことは予想していたが、まさかその少年が拒絶しないとはね」
榎凪は不敵に笑ったまま。
紀伊 大地も不敵に笑う。
「お前がそういう決断を下したのならば、もう曲がることはないだろう。だが――」
右手を僕にまっすぐ向け、両目を閉じる。
「その少年にも、選択の権利と機会を与えるべきだな」
驚く暇もなく、榎凪は反応を始めていた。黒い絹のような髪をなびかせて、紀伊 大地へと肉薄する。
そんな榎凪に目もくれることなく、早口に口を動かしているが、何を言っているのかは判別できない。おそらく、呪文であろう。僕に向けて唱えているらしい。
高速で接近する榎凪が、もう少しで紀伊 大地の口をとらえようとした瞬間、世界が、とても静かに思えた。
その為か、紀伊 大地の最後のフレーズだけが、やけにはっきりと僕の耳に届いた。
「ユキツクサキハ」
琥珀色の深い眼が、僕をとらえる。
紀伊 大地の存在が無限に、まるで面積のない点が拡大していくかのように、膨らんでゆく、僕を包み込んでゆく。
例えるならば、それは――光。
「白銀の世界」
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * * * ** * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
酷く浮遊感のある地面だった。
果てなく続く平らな白い大地と白い空。自然な曲線が何一つない幻想的な空間。
この世界には、深々と雪が降っていた。
「第三魔法、《空間》だ」
紀伊 大地が立っている。そこが世界の中心かと思わせるほどに、彼の存在は絶対的だった。
「第一魔法、《才能》で奪った技術の一つだ。まったく、魔法とは便利なものだ」
紀伊 大地は嬉々として、自己の魔法を自慢している。他人の能力に依存しているだけだと言うのに。
「本当はもう少し内容に凝ってみたかったが、何分、秋宮がいたからな」
これだけ不気味であれば十分、と言い返そうと思ったけれど、無駄な問答な気がしてやめておいた。
「さて、さっそく本題に入ろうか。魔法と言えど、秋宮相手ではもって10分程度だろう。時間がない。黙って聞いていてもらうよ」
僕は素直に手肯する。理解はしていなかったが。
「よろしい。本来ならば昔話――剣野君の話まで遡って話をしたいし、そうすべきなのだが、時間の関係上、割愛させてもらうよ。しかし、ある程度、あらすじは説明しないと、話が通らないか。中途半端になるが、やはり説明しよう。秋宮は昔、一つ魔術仕掛けの半永久機関、『理由なき剣』を作った。これだけで察するには十分だろうが、この剣が現在に至るまでの全ての発端であり、この発端を始まりへと昇華させたのが剣野景色、その人だ。ここで一つ注釈を入れるが、『理由なき剣』の能力は果てしなく、強力なモノでな、本当に何でも切れる剣だった。人や物体は当然のこと、秋宮は空間さえも切り刻むと銘うっていたからな。実際、効果を発揮して斬れないモノはなかった。だがな、効果を発揮させるには一つだけ条件があったんだ。それがこの上もなく厄介で、『斬ることに理由を持たないこと』という制限ものだ。
それが故に『理由なき剣』。全くの矛盾だと思わないか?人は何かをするために道具を作ったというのに、道具を使うことに目的を持つなと言う。まぁ、その矛盾を凌駕したのが剣野君だったのだが。おっと、注釈が過ぎたな。話を戻そうか。その剣野君を中心とする、いや、中心はまた別か。剣野君を一端とする騒動の結果、結果と言うにはあまりにも曖昧な終わりの果て、――剣野景色という人物は死んだ。これだけは間違えようのない事実として残っている。その原因は秋宮で、その過程を辿ったのは剣野君、そして、終末の判断下したのは、つまり、直接剣野景色を殺したのは――この私だ。それは、剣野君が望んだエンディングではない。当然か、自分が死ぬエンディングなど誰が初めから望んでいようか。だからだろう。秋宮は彼の残したたった一言を実行しようとしたのは」
『やり直しを、要求する』
何処からか、そんな声が聞こえた。
「騒動の直後、秋宮は行方を眩ました。目的は明らか、剣野景色の『製造』だ。『理由なき剣』もなくなっていたし、直ぐに確信したよ。だが、秋宮が本気で身を隠した以上、私たちが見つけるなど、到底叶うはずもなかった。さて、これが剣野景色を秋宮榎凪が作ろうとするに至るまでの過程だ。君には勘違いをしてほしくないから言っておくが、過程はあくまで過程だ。今の榎凪にとって、そんな過程無いに等しいかもしれない。自分で勝手に結論付けないことだな。こればっかりは私にだって予想ができないんだ。何せ君ほどに榎凪の傍にいた『人間』はいないのだからな。君を守るため、秋宮がどれだけ傷つき、財を費やしたかなんて、想像もできないほどに莫大な量のはずだよ。君は榎凪に隠されて知らなかったかも知れないが、秋宮は君を寄越せという再三の要求を危険も省みず、全て断っている。この街に来てからもね。あぁいう性格だが、人間である以上、少なからず恐怖が――」
「要求?」
僕は疑問を押さえきれず、思わず問うてしまった。
「たかが一体の、最強の魔術師が作ったとはいえ、人間を作り替えただけの、魔術製合成生命体を寄越せという要求が?」
「まったく、時間がないから口をきくなといったのに。まぁ、そちらの方が的を射た会話になって早いか。君がとんでもない思い違いをしていることも分かったし。たかが一体?作り替えただけ?魔術の知識を半端に知るから、そういうことが考えが起こるんだ。どうやって、知ったかは知らないが、確かに自我と理性を持つ、君のところの葵、茜が良い例となるような精緻なものは、非人道的ながら人間を作り替えて作る。が、君は例外なのだよ。例外中の例外。唯一の例外なのだよ。君は――
無から作られた唯一の有
だ。秋宮が魔術に魔術を重ねて編み出した、な。世界ではそれを第六魔法として数えるほどの魔術だ。《魔法使い》である秋宮もさることながら、その結晶である君を世界は狙っているんだよ。そんな背景を抜きにしたって君は狙われる立場にある。何と言ったって君は第二魔法《血族》の疑似回路が組み込まれているのだからな。不思議に思ったことはないかな?魔術も行わずに、武器を製造するその力を。その力は君の血管が一本残らず、魔術式の役割を果たしているからこそできる技なのだよ。そんな身体に生まれながらに埋め込まれた機能、私の魔術では回収しようがない。君が家の結界に反応したとき、ほとんど直感的に、だが確実に、鏡と共鳴したとき君の中に『神殺し』があると確信を持って思った。私は『神殺し』は榎凪の埋め込んだ才能だと思って、君に鎖を下ろしてみたが、その時初めて分かったよ。『神殺し』の正体が、全く別の君の回路そのものだとね。だから今は、君を殺す気はないとは言わないが、少しだけ様子を見てみるつもりだよ。話が若干逸れたが、君はバックグウンドの面においても、スペックの面においても、間違えなく現代魔法と現代魔術の粋だと言えるだろう。
《血族》の使い方は君の方が本能的に理解しているだろうから、私から言えることはない。私が言えることはあと一つだけだ。即ち、君そっくりの彼に付いてだけだ。直接私はまだ確認していないが、報告によると、剣野君と問答無用で意識付けられてしまうらしいな、剣野君を知っている人間だと。ここからは推測、誰でも出来るような簡単な推測だ。君は、『零』の理論を聞いたことがあるかな?簡単に説明すると、この世の要素はある一定の基準値で其処を『零』とすると、プラス要素とマイナス要素が差し引き『零』になって、世界はそれを保とうとする、という若干哲学の入った理論だ。が、魔術においてかなりの深い位置にある前提だ。例えば右向きに電流を流せば、付近でで左向きに電流が等量流れる、と言った具合にな。そこでだ、無からでた有のような産物が突如顕れたとしたら、世界は一体どうするだろうな?しかも、プラス要素しかないとしたら?さらに、魔術と魔法の粋という尋常ではない量だとしたら?答えは、簡単だと思わないかい?作るのさ、同じように。無から有を、マイナス要素だけで、尋常ではない量を。一ヶ所ではなく、世界中にだろうが。まぁ、その内、そうだな、三年ぐらいで一ヶ所に固まるだろうが。そんな果てしなく多い量の負の要素、誰が消滅させることができると思う?私だって無理だろうし、核兵器だって無理だろう。消滅させたところで、正の要素が残っている限り、何度だって復活するだろうがな。だが、だがな、例えば、正と負がふれあったとしたら?もともとこの世になかったものだ、きっと対消滅でも起こして消滅してしまうだろうな。ふれあうとしたら、本質と本質同士でないと意味はないだろうが」
紀伊 大地が僕を正面から見据える。
「さぁ、選べ、この世の存在しなかった正の要素。秋宮榎凪と共に負の要素と戦い続け、傷つき合うか、負の要素と共に対消滅をし、世界を元に戻すか。榎凪の意思とは関係のない、君の意思を持って決めるんだ」
「決断を下す前に、一つ聞いて良いですか?」
僕は紀伊 大地を正面から見据える。
「僕を殺そうとしたり、助けたり、結局のところ貴方は一体、何がしたくて、誰の味方なんですか?」
「何をしたいかなんて分からないよ、剣野君を殺したあの日からね。償いかもしれないし、追撃かもしれない。贖罪と怨嗟との間に微妙なバランスでたっていて、状況に流されて、感情のままに動いている。誰の味方か、か。少なくとも、君や秋宮の味方ではないし、ましてや、世界の味方でも弱いものの味方でもない。正義のヒーローではないからな。強いて言うなら私は……夏雪の味方か」
僕は予想外の答えに思わず笑った。
紀伊 大地も今までになく楽しげに笑った。
互いに笑う。
僕は今、裏返らずにいれているのだろうか。そうだと嬉しい。素直にそう思えた。
ピシリ
空間にヒビが入る。
「意外にもったが、もう終わりか」
一瞬にしてヒビだらけになった空を見上げ、紀伊 大地が呟く。
「まるで、示し会わせたようによいタイミングだな」
「ホント、そうですね」
瞬く間に広がったヒビが空を覆いつくす。
「最後になったが、ちゃんと決断は出たんだろうな?」
「えぇ、勿論」
「なら、それでいい」
紀伊 大地はそれ以上、何も言わなかった。
ヒビがまっ平らな地面を裂く。
「それじゃ、また」
「何を言っている、さよなら、だ」
世界がヒビで満たされる。
まるで、綺麗なステンドグラスでも砕くように、あっけなく、儚く、世界が剥がれ落ちていく。
目映い光に視界が奪われていく最中、僕の目は確りと、紀伊 大地の口元をとらえていた。
音は聞こえない。でも、何となく、言っていることは分かった。
それは、僕の言っていた、『また』でもなく、
それは、自分の言っていた、『さよなら』でもなく、
謝罪の『すまない』でも、
怨恨の『ゆるさない』でも、
鼓舞の『がんばれ』でも、
感謝の『ありがとう』でも、
それは僕の事を考えたセリフでさえなかった。
紀伊 大地は、一言こう言っただけだった。
「――――を、よろしく」
紀伊 大地は、深々と降る雪の中、笑っていた。




