第60歩:ギフト11
希崎 時雨のオリジナル、本当に《一人》分の体と精神を持った希崎 時雨が剣野景色の《失敗作》と会話していたころ、そんな事実を知らない僕は、意識をようやく取り戻した。
暗澹とした意識の中、僕は後頭部には木の柔らかさとも、土の柔らかさとも違う、温かな感触があった。
「あー……」
「ん、目を覚ましましたか?」
吐息を漏らし、薄く目を開けると、人の顔らしいシルエットが視界に入る。宵闇にまぎれて、顔つきは見えなかったが、声からその人間は男性ということがわかった。
どうやら倒れているののに顔をつき合わせている体勢から察すると、僕は誰ともわからない人間に膝枕されているらしかった。
「もう少し眠っていてもいいですよ?」
「うー……」
僕は肯定も否定もせず、ただ、息を漏らす。
思考が判然としない。
自分が何もしていて、何をすべきなのか判然としない。
しかしそんな状態は長く続かず、視界は暗順応し、思考もクリアになっていく。
僕を膝枕していたのは、驚くべき人物で、希崎 時雨が六人現れた時の次に驚いた。
希崎 時雨の次、なかなかいい表現だ。僕が頭を預けていた人物は、彼と一緒に死んでいたはずの、他でもない、間宮 和湖だった。
間宮 和湖――『神々の墓守』!
彼の顔を見た瞬間に、死んだ人間がここにいる疑問より先に、敵と認識し、飛び起きる。
腕の力だけで飛び跳ね、踵を木の根に引っ掛けて立ち上がり、そのままの勢いで跳躍と反転を同時に行い、一瞬にして三メートル程度の間合いを取る。
同時進行で、右手にジリリと焼きつけるような痛みを感じつつも、『葬倒天馬』を繰り出す。
『葬倒天馬』を正眼に構えつつ、勝手に荒くなる呼吸を抑えながら睨みつける。
そんな僕を見て、間宮 和湖はゆったりとした動作で立ち上がると、肩をすくめてため息を吐く。
「一体なんだって言うんだい?たまたま倒れているのを見かけたから手当てをしてあげたというのに……『初対面の相手』だからってそれはないだろう?」
は、と息が止まるような感覚。
「ん?もしかして、どこか出会っていたりするのかな、その反応は。割と私は物覚えがいいほうだけど、外国に多く行っていたりするから、出会う人数が多いからね。忘れているかもしれない、髪の色から察すると……白髪、うん?もしかすると、大地の関係者かな?」
そんなことを平気で言う、初対面であるらしい、間宮 和湖に似た誰か。
「それならひとつ教えてほしいんだが……なんで、町に人がこんなにもいないんだ?それに町中いたるところ壊されている形跡があるし、久しぶりに帰ってきたらこんな状況なんて洒落にも冗句にもならないぞ?まさかとは思うが《あの出来事の繰り返し》でもしてるんじゃないだろうね?」
「あなたは――」
僕の目の前に立つ人間の質問を僕は完全に無視をして、まったく別の質問をする。
「ん?あぁ、これは失礼なことをしたね。もしかしたら大地、紀伊 大地から訊いているかもしれないが、私は『神々の墓守』のメンバーの一人」
意味深に一拍おいてから、彼の人は薄く、能面のように張り付いた笑顔を強調して、言う。
「役目無しの『断罪の血族』、間宮 和湖だ。以後よろしく」
刀を突きつけられ、正対しているというのに、何の物怖じもせず、握手でも求めているかのように、三メートルも離れているのに実際に握手を求めているらしく、右手を差し出していた。
そんなものは当然無視し、間宮 和湖と名乗る人間も無視し、僕は思考にふける。
ふけるのは、間宮 和湖について。
この間宮 和湖が本物だとするならば、僕が今まで見ていた、会話していた、あの間宮 和湖は一体なんだというのだろうか。いろいろな人間が、頭の中を交錯しては、消える。
そんな中で、僕はひとつの確信にも似た仮説を立てた。おそらく、このトリックを行っているのは希崎 時雨で間違いないだろう。あの六人になっていた技の応用じみたことをすれば、それはたやすいことのように思えた。
しかし、そうすると、この目の前に立っている間宮 和湖も希崎 時雨である可能性も捨てきれない。一度死んだことになっている間宮 和湖を使えば僕を混乱させ、足止めなり何なりをするのは、いとも容易いことだろう。
どうしてそんなことをするのか、その理由は僕にはまったくの推測の及ばない域だ。推測する必要はないし、何度も言っている気がするが、大事なのはそんな人間としての理由でもなければ、導かれる結果でもない。
一体どれほど僕が関与させられているのか、だ。
まぁ、関与を考えれば、おのずと理由やら何やらは必要になってくるわけなのだが。
閑話休題。
いや、別にこの思考が不必要かどうかだったかといえば、必要だったと思うので閑話ではないが、思考の軌道修正を行う。
間宮 和湖がさっき独り言のように喋っていた言葉。
町に人がこんなにもいない。
町中いたるところ壊されている形跡がある。
久しぶりに帰ってきた。
そんなことはどうだっていい。町に人がいないのは、おそらく紀伊 大地の仕業。町中の破壊された後は全員の仕業。久しぶりに帰ったのは間宮 和湖の問題。
僕が気になったのは、最後の一言。
彼は思わず漏らしたのかもしれないし、あえてこちらをさらに混乱させるためのものかもしれないが、やけに喉奥に引っかかった。
『《あの出来事の繰り返し》でもしてるんじゃないだろうね?』
《あの出来事》――おそらくは《失敗作》の言っていた榎凪の仕出かした友人への罪を含む昔話のこと。
この人はそのことを知っており、その状況と現状が酷似しているということなのだろう。
繰り返し、か。
そうなのかもしれない。
昔のことを知らない僕が安直に何か言っていいとは思わないが、その《出来事》の被害者が剣野景色ならば、間違えなく今回の被害者は僕ら《失敗作》で、役者が変わっただけなのかもしれない。
だとしたら、結末を、僕らの行き着く先を、目の前でキモチワルイぐらいに揺るがない笑みを浮かべている間宮 和湖は……おそらく知っている。
この人なら、僕の話にエンドマークをつけられるかもしれない。
魅惑的で魅力的で魅了的な餌だ。毒を盛られているかもしれないのに、食いつきたくなるほどに。
だから僕は迷った。
相手の見せた隙、もしくは罠に何らかのアプローチをかけるべきかどうかを。
嘘と真。
偽と誠。
詐と正。
それを見極められるかどうかが問題。
だから僕は気付かなかった。そんなことを逡巡させることそのものが、相手の狙いなのだと。
考えて見れば当たり前。これだけ長い間、初対面の人間が黙って、それも刀を構えたまま何の行動も起こさない僕に対して、声をかけないはずがない。間宮 和湖が一般人ならばそれはおかしくないことだが、『神々の墓守』たる彼が何の状況打開を図らないのはどう考えても不自然だった。
そんなことを考えていてももう遅い。
間宮 和湖にまんまと僕は嵌められてしまったらしい。
わざわざ相手なんてせず、身を隠し、《失敗作》との合流を待つべきだったのだ。
山林の合間、宵闇を割って現れる人間が一人。
「悪い……さすがに鏡とだといつものようには終われなかった。時間をかけてすまない」
「いえいえ、かまいませんよ。鏡とあなたとの仲の良さは私も知っていますから。もう少し時間をとっていても良かったですよ?」
「いや、大丈夫だ」
白銀の頭髪。
琥珀の虹彩。
至上の美貌。
化け物みたいな完璧な容姿の人間が、その姿を現す。
「いつまでも鏡のことを嘆いていたら、鏡自身に申し訳が立たない。輪廻した後に何を言われるかわかったものじゃない」
「まったくその通りですね。とりあえず、役目無しの私が言うのも変な話ですが、時間稼ぎという役目、果たしましたよ」
「重ね重ね、すまない」
じゃらりと金属同士がこすれるような音がした。
良く視ると無骨な太い鎖が、その人の手に幾重にも巻きつけてあった。
間宮 和湖との会話を終え、宵闇から完全に浮き上がった琥珀の瞳が僕をまっすぐ見つめる。
『葬倒天馬』を取り落としそうになるほどの恐怖と威圧。
「さぁ……そろそろ終幕にしようか、《大罪者》?」
まるで僕を悪を裁くかのように、紀伊 大地はそう告げた。




