第56歩:ギフト7
僕たちがやってきたのは、なかなかに静かで、そして誰もいない場所だった。
聞こえるのは、冷たい冬の風と、木の葉がこすれる音。
見上げれば満天の星空と、明るすぎるくらいに輝いている月。
この場所にはそれだけしかなかった。ほんの少しだけある町の光もこの場所には、一切届かない。暗い暗い孤独な、静かで静かで閉鎖的な、場所。
それでいて、僕の思い出の場所。偽りの思い出の場所。榎凪が僕にではなく、僕を通してみた剣野景色との、思い出の場所。
僕と榎凪が――口付けを交わした……思い出の、場所。
心が痛い。もう、榎凪のことが苦しくて、重くて、心がボロボロだった。だから僕は、こんなにも死にたがっている。死に急いでいる。
「ここでいいんだな?」
「…………」
気軽に聞いてきた《失敗作》に僕は首肯だけで応じる。もう喋るのも嫌だ。残すような遺言も、遺言を残すような相手も、僕にはいない。
この場所なら、もう誰の邪魔もないはずだ。《失敗作》のためにも、僕自身のためにも、これで終止符が打てる。
僕が、榎凪という呪縛から解放され、投影機としての役目をなくせば、次は……《失敗作》自身の番。彼は唯一、榎凪の作った僕らを、壊す力を持っている。だから……僕を殺して、そして最後に、自殺する。
あの、肉厚の大剣が、僕の存在を、榎凪との関係をキャンセルするすることが出来る唯一の魔法具。
そして、剣野景色愛用の、戦闘道具にして彼の名前の元となっている『理由なき剣』でもある。
剣野景色の《失敗作》が、剣野景色の剣によって殺される。これほどシナリオじみた話はない。本物が偽者を倒すなんて随分とヒロイズムに沿ったストーリーだ。
それもまぁ、良いだろう。
僕みたいな、《物》にはちょうどいいエンディングだ。これ以上ないほどぴったりのエンドマークだ。
「じゃあ、とっとと済ませるぞ。お前はどうやら相当、あっちの世界に嫌われてるみたいだし、それじゃいつまでたっても俺が、《役目》をおえられねぇしな」
もう何度も見た、この大剣を振り上げる動作。
もう幾回も視た、この月光を反射する銀の光。
リプレイ画像を繰り返し繰り返し流しているような感覚。
金色に光る《失敗作》の瞳が、僕を見下ろしている。これから僕を壊すとは思えないほどに、透き通った、何の邪念もない瞳が、僕を俯瞰している。
「地獄があって、そこでまだ人格が残ってるようなら、また会おうぜ。今度はゆっくり話したいしな。まぁ、俺とお前は同じものなんだから、地獄じゃ一個になっちまうかもしれないけどな」
そんな冗句を言いつつ、
「俺もすぐ追いかけるが、どっちにしろ地獄までしばしの別れだ」
そんな徒言を言いつつ、
「じゃあな」
そんな挨拶を言いつつ、
《失敗作》はその銀色の刃を、僕に振り下ろす。
ブオンと風を切る音がした。
グシャと身を斬る音がした。
ピチャと液体が降り注ぐ音がした。
不思議と……痛みがなかった。
いや……不思議でもなんでもなかった。
僕に……銀の刃は届いていなかった。
どうしてこうも、僕はあの世に、地獄に嫌われてしまっているのだろうか。僕みたいな《物》は、地獄も受付拒否しているのだろうか?
「ったく……世話が焼けるな……」
僕の目の前に立っているその人は、深々と、常人ならショック死してしまうほど深々と、肩口からへその辺りまで深々と、銀の刃が刺さり、血が《ドバドバ》と、キモチワルイぐらいに流れているのに、そんなことは気にもせず、そんな軽口をたたいて見せた。
ゴフと咳き込んで血を吐いた後に、剣に支えられた体が、徐々に僕に傾いてくる。
事態が……把握できない。
僕のたっていた場所に、何故他の人がいるんがろうか?簡単なことだ。間に割り込んで、僕を押しのけただけ。その証拠にその人の手は僕を押すような形で、僕の肩にかかっている。
いや、そんなことは、『どうだっていい』。
この際、この人が何故こんな行動に走ったかも、『どうだっていい』。
「な、んで……?」
「どう、して……?」
そんな言葉が自然と僕の口から漏れた。
そんな言葉が自然と《失敗作》の口から漏れた。
理由がわからないからじゃない。起こったことがわからないんじゃない。
僕を無理やり助けた、その人が僕のほうに寄りかかってくる。力の入っていない僕の足ではその人の体重は支えきれず、押し倒される形となる。
ドバドバと流れる血は止まらない。その血が僕の服を汚していく。
その人が倒れた所為で、見えなかった《失敗作》の顔が見えるようになる。
《失敗作》はひどく怯えたようで、ひどく焦ったような顔をしながら、自分の持つ剣と、僕をかばったその人を交互に見つめている。
僕も、《失敗作》と同じような顔をしているんだろうか?
だったら……滑稽なことこの上ない。
二個が同じわからないことをもって、同じような顔をして驚いているのだから。それは二人の間に、この人の血みどろな姿がなければの話だけど。
その人はもう喋らない。
だから驚いているんじゃない。僕たちが驚いていたのはむしろ逆のこと。
その人が喋っていたことが、驚くべきこと。
僕たち二人を邪魔したのは……数日前、四肢をばらばらに解体され、見間違えようがないほどに完膚なきまでに殺された、すでにこの世にいないはずの、希崎 時雨だった。
「ったく……世話が焼けるな……」
まったく同じ口調でそういう影が、《失敗作》の後ろから現れる。
「ったく……世話が焼けるな……」
「ったく……世話が焼けるな……」
「ったく……世話が焼けるな……」
「ったく……世話が焼けるな……」
「ったく……世話が焼けるな……」
計六体の……希崎 時雨。
悪寒が走る。キモチワルイ。
一体何が起こったのか、見当もつかない。
理解の範疇を超えている。
理解する気が起きない。
「さぁ、リベンジマッチとしゃれ込もうじゃないか?」
そういって、六人が六人、別々の武器を、別々の構えを取る。
おぞましいくらいに、僕らを月が照らしている夜だった。




