第55歩:ギフト6
自分のものではない翼で空を生身のまま飛ぶなんて体験、よもやするとは思っていなかった。
赤い翼が空に広がり、羽ばたくたびに真紅の羽が花びらのように舞い落ちる。羽ばたく回数自体は多くないので、そう落ちる量は多くないが。
片手だけもたれて飛んでいるのに、不思議と肩は痛くなかった。痛みを感じる神経さえも狂い、裏返ってしまったのだろうか?
もう、裏返ったとか狂ったとか、どうでもいい気がしてきた。
「なぁ、《失敗作》?」
ポツリとつぶやくように、話しかけられた。
「この辺でさ、誰もこなそうなとこ、あるか?」
これはつまり、お前はどこで死にたいか、と訊かれているととっても良いだろうか?もともとそれが目的で《失敗作》は僕のところに立ち寄ったわけだし、僕ら二個の間で交わされるような話題といえば、それぐらいだ。
まず、最初に思い浮かんだのは、紀伊 大地の家。あそこなら今、全員出払っているからもぬけの殻のはず。そこで、思い出す。あそこには由愈がいるはずだ。彼女が起きてくる可能性はほとんどないし、僕らを止められるとも思えなかったが、不安要素はないほうがベターだ。それにあそこは《敵陣》の真っ只中。どんな仕掛けがあるかはわからない。
そういえば、僕がここに来た初日、紀伊 大地の敷居を跨いだ途端、猛烈な不快感が僕を襲っていた。それだけじゃない、神宮 夏雪との手合わせの時だって、希崎 時雨が何かいっていたがどう考えても違和感の残る意識の失い方だった。鏡が倒れたときに、僕も倒れたのだって。違和感だらけだった。
そんなことも、全部含めた上で、僕はあえて《失敗作》にその案を提案してみることにした。
「完全な無人じゃないけど、ほぼ無人。住んでたからこれは確かなんだけど……紀伊 大地の家なんてどう?」
「はぁ!?っとわぁ!」
落とされそうになった。別に落ちてもかまわなかったが。
素っ頓狂な声を上げた《失敗作》は一気にまくし立てるように一気に不平不満疑問を口にした。
「『紀伊 大地の家』だと!?んなもん、無茶だっつうの!あいつらの表向きの行動は神様の護衛だろうが、俺がいんだぜ!?先頭に疲れ果てて、戻ってこられたらどう住んだっての!つか、住んでたのか!?お前が!?あそこに!?平然と!?ありえねぇー!お前あそこがどんなところか知ってんのか!?あそこはな、確かに名目上、『神々の墓守』の本拠地だけどな、もともとあそこは紀伊 大地が、あいつが個人的に誰にも内緒で作った――」
失敗作は一旦、そこで言葉を切って真剣に、あの家が、『神々の墓守』の本拠地の正体が何なのかを言う。
「剣野景色を殺すために作ったからくり屋敷だぜ?」
そう、終始おどけていた顔を初めて真剣にして言った。
「そんな場所で、剣野景色の《失敗作》がのうのうと生きていけるはずねえだろ」
なるほど、そういうことだったか。あの引きかえしたほうが良いという悪寒も、神宮 夏雪との手合わせでの失神も、鏡と一緒に倒れたのも、全部そういうわけだったのか。
また、ひとつ、価値観が裏返っていく。
「つー訳で却下。お前が榎凪のおかげなんかは知らないが、大丈夫なのかもしれないが、おれにゃ無理。耐えらんね」
「じゃあ……町の外は?」
「いーや、無理。榎凪のヤツ、ここら全域包み込むぐらい馬鹿でかい魔術広げてから、俺らんとこ来たらしい。最初にぶっこいてた余裕はこいつの所為かよ、クソ。まぁ、そんなことしてた所為で、一番知られたくない真実を《失敗作》に知られたわけだけどな」
さっきの真剣さはどこへやら、キシシと笑ってそんなことを言う《失敗作》。そんなに榎凪の鼻を明かせたことがうれしいのだろうか?
そんなこと、同じ《失敗作》の僕でもわからなかった。同じ《失敗作》だからこそわからなかったのかもしれないが。
そんなことより、時間がもうなかった。
刻一刻と、時間は着実に進み、僕らに榎凪は確実に追いついてくる。僕を死なせないように、どんどん迫ってくる。
取られた玩具を取り返す、榎凪はそんな心境なのだろうか?
そんな子供じみた思考で僕を取り戻そうとしているのだろうか?
でも、それは所詮些事で済まされるようなこと。
死ぬのに一生懸命な僕にとっては、本当にどうでもいいこと。
榎凪に捕捉されないためか、《失敗作》は旋回せず、ただグニャリグニャリと縦横無尽に空を飛ぶ。夜空を渡る。
夜を越えて……その先へ。
その先には……一体何があるというのか。
《失敗作》はその答えを知っている、気がする。聞く気に離れなかったけど。
そんなことはおいておいて、今のところは人のいない場所を探さなくてはならない。
何度も買出しに行った賑やか商店街。
地元の人間しか通わない小さな学校。
廃線になりそうな電車がまれに来る駅。
顔見知りの人々が寝静まった住宅地。
……いつもの町の変わらない風景。
僕が、少しの間居続けた、町。
僕が、初めて長く居た、町。
日常に組み込まれてしまった、町。
その町の中、僕は誰も居ない場所が思い浮かばないで居た。
どうしようもなく馴染んでしまっている、町の中にはいつも誰かが居る気がした。
紀伊 大地が、希崎 時雨が、神宮 夏雪が、間宮 和湖が、風間 麻紀が、早苗 明が、南雲 朝熊が、浅辺 由愈が、そして神である、鏡が、僕の記憶に深く食い込んでしまっている。それらが、思考をさえぎる。
どこだろう、彼らとの思い出がなく、無人の場所は。
思い出のない場所は、総じて思いつきにくい。
思いつかれにくい場所を探しているのだから当たり前か。
誰も知らない場所、思い出のない場所、と絞れば絞るほど、想いうかばなっていく場所の数々。
「……――あ」
「んあ?見つかったか、どっか」
なんて滑稽なのだろうか。一箇所あるじゃないか。思い出があっても良くて、誰にも邪魔されない場所。
最初に浮かんでもおかしくないような、ベストなポジションが。
無意識に除外していたのだろうか?そんな理由もやっぱりどうだっていい。見つかったのだから。
僕の死ねる場所が。
嬉しすぎて笑いが止まらない。
嬉しすぎて――涙が、止まらないよ、ホント。
「早く言えよ、時間がねぇんだから」
「あぁ、その場所は――」
僕は、自分の死に場所を《失敗作》に教えた。




