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第54歩:ギフト5

 静寂だった。待っていたのは静寂だった。冷たい風の音も、取り繕うような人の声も、歪な笑い声も、擦れた嗚咽も、派手な魔術の音も、何もなく、ただただ、胸を突き刺す痛々しい静寂が、僕ら三人を包んでいた。

 いや、胸が痛かったのは僕だけ。

 《失敗作》……剣野景色の《失敗作》は榎凪に一矢報いてうれしいのかニタニタ笑っていたし、僕の問いかけた榎凪は唖然と喪棒前途も放心状態とも違う、形容しがたい無表情とも取れる表情をしていた。

 まるで、何もなかったかのように、隠そうとして失敗したツギハギだらけの……無表情。痛々しいわけではなく、それ以前に言葉そのものを嚥下し、理解できていないような、表情が僕に向けられていた。

 今までにこんな顔をした榎凪は見たことがない。何があろうと、どんな苦境に陥ろうとも、どんな陥穽に嵌められようとも、笑いながら、おどけながら解決してきた榎凪が、今まさに、僕が、投影機が真実を知った程度のことで、新しい表情を見せた。

 一体、榎凪は僕に何を思ったのだろうか?

 落胆?絶望?失敗?悲哀?

 何にせよ、あまりいい感情をその胸のうちに宿しているとは思えなかった。こんな顔をした人が、明るい気持ちを胸に秘めていると思えるほど、僕は鈍感でも、ずれても、勘違いでもない。

 でもそうしたら何故、どんな理由があって、暗澹とした心情がありそうな顔をする必要があるのだろうか?僕《一個》が、真実を知ったところで心が揺れたような顔をするなんてどうかしている。もう一度、目の前にいる《失敗作》を捨てて僕を作ったように、僕を捨てて新しい《投影機》を作ればいいだけなのに。何なら僕を材料にすればいい。それで『ネクロノミコン』に書いてあった一番高いハードルはクリアできる。もしかしたら次には僕みたいな《失敗作》ではなく、榎凪の思い描く剣野景色そのもの――《完成品》が出来るかもしれない。

 たった、それだけの……それだけのこと。

 だから早く、僕なんか捨ててしまえばいい。僕なんか材料にしてしまえばいい。僕なんか忘れてしまえばいい。思い出なんて微塵も残さず、未来永劫反芻しないよう完膚なきまでに、忘れしまえばいい。僕からも願い出よう忘れてほしいと。心のそこから忘れてほしいと。

 だから、お願いだから、僕にそんな壊れた顔を向けないでください。

 

「クソガァァァァァァ――――!」

 

 絶叫。咆哮。唐突な叫び声。

 最初は誰が発したかさえもわからない叫び声が、僕の耳に届き、電気信号に変えられ、脳髄を刺激し、榎凪の声だと気付く。心臓を鷲掴みにするような、インパクトのある美麗な声。

 僕が榎凪の声だと認識したときには、榎凪はすでに行動に移っていた。

 体の向きを《失敗作》へと変えながら、体中の至るところから『光踊石』を取り出し、中に放る。それぞれが榎凪を取り巻くように、空中で停止し魔術式を自動的に描いていく。単一でも強力なはずの《それら》が……計二十一個。単純に威力が二十一倍になるわけではないが、《失敗作》一個を壊すには、あまりにも莫大過ぎる破壊力。こんな往来でそんなものを使えば、《失敗作》の後ろにある家十数軒は間違えなく全壊だ。

 脳内を駆け巡る違和感。でも、そんなものを気にして思考しているほどの時間を与えず、榎凪の魔術式は勝手に完成した。

 

「sice……」

 

 完成した魔術式にさらに追加で魔術をかけていく榎凪。これより先に用意された魔術を、僕は見たことがない。

 榎凪の発音とともに、それぞれの魔術式がさらに拡張されていく。魔術式がお互いに干渉しあっているかのように繋がっていき、榎凪を中心にすえた一つの巨大な魔術式が生まれる。

 まるで平気にでも用いられそうな巨大な魔法式の中心で、左右の親指と人差し指で輪を作るよう重ね、両腕を前に突き出す。戦車の砲身のように、手で作った輪の照準を《失敗作》に固定する。

 《失敗作》はさすがにあせったように大剣を自分の体の前、榎凪と自分自身との間に攻撃の進路を阻むようにしてつきたて、防御体勢に入る。その程度で防げるとは到底思えなかったが、しないよりかましだろう。

 《失敗作》がとった行動はそれだけではなく、いや、むしろそっちの行動がメインだったかのように落ち着き払って、行動を開始した。榎凪のまねでもするかのように両手を前に突き出す。《失敗作》がとった行動としては、たったそれだけあったが、普通の人間がこの場に居合わせていれば、間違えなく《失敗作》のとった行動は異質なものだった。

 どろり、と。

 皮膚が融解したかのように、《失敗作》の手のひらから何かがすごいスピードで溢れてくる。どろりどろりと、まるで僕が『鴻の翼』や『幻夢の誘手』、『葬倒天馬』を出すかのような要領で、体から何かを練り上げていく。

 出来上がったのは盾。僕の持っていない、盾。無骨な感じの盾ではなく、豪華絢爛装飾過多な儀礼的な盾だ。

 完全に完成し、手から離れたその盾はかなり巨大で《失敗作》の体程度なら楽々と収まってしまう代物だった。防御力の方は推測しかねるが、玩具(イミテーション)ではないのは確かだ。

 そんなものはお構い無しに、榎凪は魔術の最後のスペルを高らかに、発する。

 

「……velckrantoys!」

 

 歯車のかみ合うような重い音と、歯車が高速回転するような甲高い音が同時に響き渡る。

 目のくらむような光量と喉を焼くような熱量をもった一星一閃一条の光線が光速と呼ぶにはあまりに遅く、人間が感知するにはあまりに速い速度で《失敗作》に向けて突き進む。

 榎凪はまったく動かず、黒く長い髪をたなびかせるだけで、攻撃目標を睨む。光も熱も関係無しにただひたすらに、睨む。

 対する《失敗作》。光が包み込むようにして本体の姿はまったく見えなかったが、自分の体から繰り出した盾がそこにまだのこっれいることを知らせるように、極太の光線がその部分だけ膨らむように、通過していた。

 曲がっている以上、光線ではないのだろうけど、その攻撃が光か、もっと物理的なものかは関係ない。問題はその威力。

 榎凪の放った攻撃が、《失敗作》の縦により曲げられ、その後ろにある民家に間接的ながらも、当たっていた。

 《失敗作》のみを射抜くような都合のいい魔術があるわけがない。魔法でもない限り、そんなものありはしない。

 攻撃を受けた何の関係もない民家が受けた場所から例外なく破壊されていく。消滅していく。

 無慈悲だった。

 冷酷だった。

 やがて、榎凪の攻撃はやみ、魔術式は消える。二十一個あったはずの『光踊石』は跡形もなくなり、そこに立っているのは榎凪だけ。自分が破壊した家の所為で立ちこめる土煙を睨む、榎凪だけが一人孤独に立っている。

 その土煙の中から、《失敗作》の影は見受けられない。消滅したとかそういう類の話ではなく、土煙が濃過ぎて見通せないだけ。

 土煙から目を離し、もう一度榎凪を見る。

 榎凪は……やはり、壊れた無表情をしていた。今にも消えてしまいそうな、今にも感情が壊れてしまいそうな、無表情をしていた。

 自分がやったことなのに、どうしてそんなに壊れてしまいそうな表情をするのだろう。僕はへたり込んだまま、そんな簡単なことを考える。簡単すぎて難しい、そんなことを考える。

 僕は、この状況で一体何をするのが一番いいのだろう?いや、違う。そんな合理的なことを考えたいわけじゃない。僕は一体、何がしたいんだろう?出来る出来ないを抜きにして、何がしたいのか。そんなことも、僕は回らない頭を使って考えてみたが、結局わからなかった。

 そして唐突に。

 目の前に赤色が広がった。暖かな真紅。やわらかそうな朱色。

 

「え…………?」

 

 おもわずそんな間抜けな声を上げた。その赤色に包まれるような感覚が、僕の肌から伝わってきたから。

 何でへたり込んでいるかもわからないような僕を包み込む、そんな生命的な暖かさ。

 抱きしめ、られた。

 と、最初は思った。

 でも、違った。

 だらしなく脱力していた僕の手を無理やりがっちりつかみ、引っ張る。引っ張られたのでそちらに目を向けていると、やはり赤色があった。

 赤い、紅い、朱い、これ以上なく血色(あか)い――翼。

 キシシと笑う無傷の《失敗作》が僕の手を無理やり引っ張り立たせて走らせる。当然、気を失っていた茜と葵は振り払われる形になる。

 右手には僕、左手には大剣、背中には巨大な僕の『鴻の翼』に瓜二つな大翼。

 三歩で助走を完了し、大空へと舞い上がる。ばさりと鳴る羽音が僕の耳の機能を失わせるほどに、大きく聞こえる。

 あまりにいきなりの出来事で理解が追いついていない。

 でも、

 ただ、

 たった一つだけ印象的だったのは、

 僕が飛び上がる瞬間に見た榎凪の顔が、

 いつも快活に笑っていたあの顔が、

 

 


 

 …………涙でグシャグシャになっていたことだった。

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