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第51歩:ギフト2

 衝撃なんてレベルの話ではない。

 全身の動脈という動脈が、臓器という臓器が、細胞という細胞が、生命活動という生命活動が、その働きをやめてしまったかのような、そんな命懸けの感覚。

 血が一滴残さずざわめく。

 心が断片残さずふるえる。

 相手がどんな感覚を僕に対して抱いたのかは知らないが、僕ほどに驚きはしていないだろう。むしろ、逆に冷静になっているくらいの印象を受ける。普通に僕に話しかけてきたし。

 

「《失敗作》からしてみれば、初めまして、だよなぁ?」

 

 旧友と久闊を叙すかのようなフランクさで、僕に話しかけてきた。僕を不遜な態度で《失敗作》と呼びながら、そんなことは関係ないかのように、随分と適当な具合に。

 当然ながら僕には自分にそっくりな知り合いなんていないので、実際のところは初対面の相手に対して《失敗作》という二人称もしくは三人称を使って会話をする、妙になれなれしい失礼な奴な訳だ。

 それにしても《失敗作》か。《失敗作》ねぇ。《悪魔》とか《化け物》ならよく呼ばれるし、マイナーなところを言えば《天使》とか《武神》も言われたことも在る。しかしながら、《失敗作》とはまた、今までにない感じのパターンだ。

 人間の《失敗作》、生命の《失敗作》、なんの《失敗作》にしろ、あたらずしも遠からずなあたり、なかなか良いかもしれない。少なくとも貶し文句には。

 

「おいおい、挨拶ぐらい返せよ、せめて」

「あぁ、どうも、初めまして。もう会うことは無いでしょうけど、よろしく」

 

 とりあえず、普通に言葉を交わしてみたのはいいものの、一体、何を会話しようというのだろう?なぜ会話するのだろう?

 話題も理由も思い当たらなかったので、僕はもともと無かった会話をさっさと切り上げることにした。

 

「じゃ、僕は人を探しているんで、これで」

「つれないねぇ、っていうか、ほぼ無視かよ」

 

 挨拶しただけでも十分よい対応だと思うのだけど。呼び止められた人全員に対して丁寧な反応などしていられない。自分の顔にそっくりな奴がいた《ぐらい》で、僕の反応は変えられない。内心かなり驚いてはいたが、この程度のことは魔術を用いれば、なんら出来ないことではないのだ。難しいし、大変ではあるだろうが。

 そう考えると二、三ヶ月前に榎凪の物真似をして現れた、あの魔術師は結構な手誰の人間だったのかもしれない。あ、あの時って何人かで分担してたんだっけ?

 あの胸糞の悪い本によれば、思考のシンクロは難しい云々と書いてあったが、そこら辺は専門の人間の域内だから、説明は投げることにしよう。

 閑話休題。

 無視かよ、というツッコミが呼び止める言葉かどうかは知らないが、去り際に話しかけられたので、僕はこの場から去らずに、転進しようとしてやめた中途半端な半身の体勢で相手と対峙することになった。

 僕が足を止めたのを見て、相手は勝手に話し出す。

 

「お、話をしてくれるとはありがたいな。礼といっちゃ何だが、質問が在るなら答えてやるぜ、《失敗作》?」

 

 質問を許されたところで、初対面の相手にするような疑問は持ち合わせていないし、質問をしたところで正確な答えが返ってくるとは到底思えない。

 だから僕は何もいわず、押し黙ったまま、ただ片目だけで相手をにらむ。

 こんなことをしている暇はないというのに。

 この間にも僕の中の不安はせっかく心に解けていたのにまた、奥のほうで黒々と、どんどん沈殿していく。榎凪でないとこの問題は解決できない。心の、問題だから……。

 そんな僕の様子を見て、相手はヘラヘラ笑いながら、言葉をゆっくりと紡いでいく。

 

「また無視かよ。まぁ、俺みたいなヤツにはそれが必要十分な対応なんだろうけどな」

 

 そんなことをいって、相手はまたヘラヘラと笑う。内容のない空っぽな笑いが辺りに木霊して、耳障りだった。

 

「そんなお前に敬意を表して、独り言でいろいろ教えてやるぜ」

 

 ビクンと、心臓がひっくり返るくらいのインパクトをつけて、僕に直接語りかけてくる。関心を持たずに入られなかった。関心を持たないはずがなかった。

 僕の不安だらけな心をえぐるような一言が、スイカみたいな赤い口腔から放たれる。

 

「榎凪は最初っから、お前なんか見ちゃねぇよ、《失敗作》――」

 

   ―●―

 

 

「――つう訳だ」

 

 そういうことか。

 そういうことだったのかよ。

 最初から、今の今まで疑問なんて本来存在してはいなかったのか。

 今まで信じていた、信じさせられていた世界はそういう裏があったのか。

 僕の世界が裏返っていく。

 僕の中身が裏返っていく。

 僕の能力が裏返っていく。

 僕の、僕の、僕の、

 僕の榎凪が一片残さず裏返っていく。

 

「俺は何一つ嘘も、偽りも言ってないからな」

 

 そういって、必要のない免罪符でもたてるかのようにそういって、相手は構える。僕同様の《失敗作》は太くて長い刀身の西洋剣を構える。

 

「お前が望むなら、俺は俺のためにお前を、《失敗作》を壊してやる」

 

 そんな言葉、僕の耳に届きはしなかった。

 体中にはりめぐらされた電気回路に逆向きの電流が流れていく。

 

「あアアああアアアあ――!」

 

 反転する。逆転する。暗転する。

 あの神の手を借りずに、僕は裏返っていく。

 知りたくなかった。

 知らなければ良かった。

 知ろうとしなければ良かった。

 歯車を、世界を回す歯車を、僕は逆向きに回していく。

 …………。

 ………。

 ……。

 《失敗作》が僕に教えてくれたのはごく単純なことで、榎凪が僕を作った理由と、僕自身の壊し方だった。

 《失敗作》と《失敗作》。

 二人向き合って僕らは停止していた。

 榎凪が見ていたのは僕でも《失敗作》でもなく、ずっと昔の榎凪の知り合いで、僕はそれを映すだけの鏡。

 僕が榎凪と旅をしてきた数年間。

 僕は榎凪が好きだった。

 榎凪以上なんて何もなかかった。

 なのに、なのに。

 榎凪が見ていたのは僕なんかではなく、僕の知りもしない誰か。

 こんな酷いことがあるだろうか?

 こんな惨いことがあるだろうか?

 他人から見れたかがそれだけのことかもしれない。死にたくなるほどに落ち込むのはおかしいといわれるかもしれない。そこまで好きなら、相手が自分にどんな目を向けていようが関係なく愛せというかもしれない。

 でも、でも、でも、

 それだけのために作られた僕は、それだけの存在価値しかない僕は、一体どうすればいいのだろう?

 こんな僕に対しても、あんな詭弁をのうのうとはけるのだろうか?

 僕は、教えてもらうべく頼る人間を失った。

 何の抵抗もなく、膝を追って座り込んだ僕。

 榎凪が恨めしい。憎たらしい。

 

 僕は完全に――裏返った。

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