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第50歩:ギフト1

 

   ―夏雪―

 

 荒い吐息ガ聞こえた。瞬間的に腰を固定し、足を地面に釘付け、横薙ぎに一閃。ひうん、という空気を切り裂く音が耳に届いたが、何かを斬るような手応えはなかった。

 それでも響く乱れた呼吸音。敵の姿を確認しようと、薙刀前方で盾にするように構えて辺りを見回す。

 周囲には――何もなかった。

 自分が壊し、積み上がっているべき死屍累々はなかった。

 自分が壊し、倒れているべきものが一個もなかった。

 無人駅前のアスファルトの上で、

 人の血の臭いが残っているこの場所で、

 彼女は一人、孤独に佇んでいる。

 そこで彼女はようやく気付く。その呼吸音は他の誰でもない、紛うことなく自分のものなのだと。

 このキモチワルイ排気音は己の口が奏でているのだと。

 吐き気がした。当然のように。

 めまいがした。当然のように。

 まるで貧血でもひこおこしたかのように、クラクラする。頭がうまく回らない。思考がうまく機能しない。

 そんな症状が出るはずないのに。

 カロリーは相当量消費はしたが、地の濃度が下がる程に運動はしていない。

 この程度の戦いで血なんて『一滴も』流すはずないから、血の全体量も減っていない。

 なのにどうして?

 どうしてだろう?

 こんなにも足元がおぼつかないのは。

 疲労なんて欠片もなく、

 恐怖なんて破片もない。

 彼女は心当たりが思いつかず惑う。戸惑う。

 思いつけない理由を思いつかず困惑する。

 彼女を助けてくれる生命は彼女の周りには存在しない。

 『堕天使』は動くことなくただそこにある。共にいたはずのものたちを伴わず。

 生きている赤も青も、紅も蒼も、朱も藍もいない。

 才能のみで戦う彼女の周りには何人たりとも立っていない。

 

   ―朝熊―

 

 体中がギシギシ軋むように痛い。体中から血がダラダラと止め処なく溢れている。痛い。痛々しい。

 でも、それも終わる。

 いや、終わったといってもいい。

 正体不明の侵略者達は全て破壊し終え、彼に与えられた命令は完遂された。

 今回ばかりは彼もさすがに疲れていた。何せ彼は一人で千にも達するような暴力を、暴虐を、暴悪を行ったのだから。

 彼は、そういえば明はどこに行ったのか、と考える。これ以上長い間この姿で入れば、何らかの後遺症でも残りそうで恐怖を感じたので、そろそろ戻してもらおうかと思ったからだ。実際のところ、そんなわけはないのだが、その事実を教える人物はいないし、それを思考する理性もない。本能のままに彼は明を求める。

 

「■■■■■■■■――!」

 

 声を出してみたのはいいものの、ちゃんとした言葉は出てこなかった。むなしく響く雄たけび。

 当然といえば当然で、彼は戦うための道具、コミュニケートなどする必要はないのだから。

 辺りを見回しても彼女はいない。この辺にはいないらしい。彼は探しに行こうかとも思ったが、思いとどまる。

 彼女の命令はここを死守すること。

 もし、自分が動いている間にあいつらが再来したら?その可能性を否定できなかった彼は、結局待つことにした。

 晩冬の北風がかすかに吹く山裾。静寂が彼の巨体を余すことなく包み込む。

 

 キキキキキキキキキキキキン

 

 唐突。予備空白も何もない――殺害。

 一瞬にして全てが止まる。体中の急所を針に糸を通すような正確さで貫く痛みが、彼を止める。

 

「■■■――――」

 

 声も出ない。いったい何があったのか把握できない。

 あぁ、遠くで銃声が聞こえる。朝熊は思う。人間の思考で――思う。自分をこうした敵を麻紀が応戦しているのだと。

 ダダダダと、まるで機関銃のような高速連射の着弾音。これなら大丈夫だと彼は思うが何分、両目とも先の攻撃で穿たれてしまったため、確認が出来ない。

 彼は今度、泣き声聞き取る。ひたすらにうわんうわんと、子供のように泣きじゃくる誰か。

 そんなになく必要があるほどに、自分は壊れてしまったいるのだろうかと、彼は不安に思う。

 その不安と大きな泣き声の中、彼は深い深い眠りにつく。果てしなく深い……深い……眠りにつく。

 

   ―I'm―

 

 僕は結局自分の存在に不安を抱き、走り出した。紀伊 大地の制止にも耳をかさず、全力で階段を下る。転がり落ちるように降りていく。

 何の説明もせず、突然走り出した僕を対面上止めはした紀伊 大地だが、僕なんかいなくても、いや、僕なんかいないほうがあの人はあの場をうまく守るだろう。どんな方法使うかは知ったことではないが。

 そもそも、あの場所に守る人なんて必要ない。どんな人間であろうと、どんな生物であろうと、どんな物体であろうと接触するだけで『存在している』ものが『存在していない』ものになってしまうのだから、攻めるも守るもあったものではない。

 石段を駆け下りるのに武器は邪魔だったので、『葬倒天馬』を消し、『纏断』は服の中にしまった。

 長い階段の中頃まで僕は飛ぶように降り、僕はまったくもって偶然に、ちょうど中間の石段で本当に飛んだ。

 服が破れることも気にせず、幅数メートルに及ぶ巨大な真紅の翼を広げ、空へと羽ばたき、地面と平行に飛行する。

 時速四十キロメートルで空を翔る僕。真っ赤な羽が風を受け、僕は空を滑空する。

 気持ちよさは感じない。

 いつしかのように、自分が人でないことを自覚させられて気持ち悪い。

 そして今では、僕が人から改造されて作られた象徴にもなっている。

 血のように不安が全身を巡る。

 不安のように血が全身を包む。

 榎凪は……榎凪は一体何処にいるんだ?

 より低く、電線に引っかからない程度に低く、ギリギリの高度を保って榎凪を探す。

 二十メートルぐらい前方に人影が見えた。とっさに榎凪かと思い、速度を落として着地。走って近づく。

 息を切らしながら、不安を解消してもらおうと全力で走る。

 十メートル程度走って、その人影が榎凪ではないことに気付いた。榎凪にしてはその人影は、あまりにも小さすぎた。

 人違い。

 ものすごい人違い。

 人違いにも程がある。全然違うじゃないか。いくらなんでも間違いすぎだ。

 だから当然僕は立ち止まった。その人影から十メートルぐらい手前で。

 僕が見つけたその人は一歩も動かず、僕に背を向けて立っていた。

 振り返ることなく、背を向けて。

 つめたい……つめたい風が吹いていた。その風が僕の白髪をやわらかくなでる。

 そして、眼前に立つその人はおもむろに、いまさらながらに振り向いた。

 そうして一言。僕に立った一言だけ、言葉を投げつけてきた。

 不気味な、不気味な言葉を投げつけてきた。

 

「よぅ、《失敗作》」

 

 僕の眼前にゆらりと立っていたのは、僕と同じ白髪をした、僕そっくりの顔をした、僕のようなモノだった。

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