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第38歩:LOVERS

 大地さんの家を出て、榎凪のバイクの後ろで揺られること数分。僕はやっぱり榎凪の操縦によるバイクの後ろなんかに乗るんじゃなかったと改めて後悔した。

 今になって思ったわけじゃない。大地さん宅から公道に入ったその瞬間に思った。

 榎凪にとっては軽くアクセルをかけただけなのかもしれないが、あの人のスピード感覚ほどあてにならないものはそうない。制限速度を超えるどころか、百キロ出ていたと言われれば頷けるほどのスピードだった、間違いなく。途中ですれ違った人には赤いものが通った程度でしか認識できていないはずだ。

 それだけならまだしも、そのスピードのまま大地さんの家の裏手にある山を登り始めた。それもちゃんと舗装された道ではなく、獣道。走ってる途中で枝が体に当たるし、石は跳ねるしでとにかく危険なことこの上ない。榎凪がフルフェイスのヘルメットとダッフルコートを着てきたのに今更ながら納得。

 とかく山頂までやってきた。

 榎凪はぼろぼろになったコートは脱いで、ヘルメットと一緒にバイクのサドルに乗せていた。コートを脱いだ榎凪は、この場に全くそぐわない赤いチャイナドレスに身を包み、惜しげもなく抜群のスタイルを見せびらかしていた。


「んんーー!!」


 運転で疲れたのか、両手を目一杯空に突き上げ伸びをする榎凪。ふと僕は、その手はどこまでも伸びていき、空全体を覆いつくすような錯覚を覚えた。時雨さんが言っていたとおり榎凪は強欲だ。たぶんその気になれば空さえも支配可能だろう。そのとき僕はやっぱり止めるべきなんだろうか?それとも榎凪の手助けをすべきなんだろうか?


「空気が美味いなぁ!」


 無造作に髪を風になびかせて、僕に一点の曇りもない笑顔を向けてくる榎凪。その顔を見ていれば、答えなんて出ているも同然だ。

 僕はきっと、誰を敵に回しても、世界を敵に回しても、ずっと榎凪の側に居続けるだろう。だって僕は――榎凪を愛している。それを許されて作られた『永遠の恋人』だから。

 それはさておき、榎凪の言ったとおり、ここの空気にはよどみがない。ある種、聖域じみた空気だ。そして眺めが最高にいい。地方の隠れスポットここにあり、って感じ。


「ここ綺麗だろ?お前と一緒にいろんな所見てきたけどさ、やっぱここが一番好きだ、私は」


 まだ夕焼けにはなっていないがだいぶ低い位置にある太陽が、榎凪の黒い髪を照らす。そういう一瞬一瞬が思わず思わず見入ってしまうほどに綺麗な榎凪。

 僕の隣に立ち、榎凪は目線も交わさず話を続けた。


「お前と出会ってからいつかは一緒に来たいと密かに思ってたんだけど、こんなに早く実現するなんて思いもしてなかった」


 言ったことが恥ずかしかったのか、それともただ単に笑いたかったから笑ったのかは知らないが大声で笑う榎凪。

 僕も榎凪が『作ってから』じゃなく『出会ってから』といってくれた事が素直にうれしかったから、つられるようにしてがらにもなく大声で笑った。最近、こんな風に笑ってなかった。一月前なら何の疑問もなく笑えたんだろうけど、今はいろいろ抱え込みすぎてたらしい。もう少しだけ、榎凪とか葵とか茜とかに頼って楽に行くべきなのかもしれないと素朴に思った。


「おーし、決めた!」

「何ですか、突然」


 いきなりの事で驚いた。でもその場から飛び退いたりせずに、かろうじて切り返せたのは普段からの慣れの賜物といえるだろう。

 榎凪はびしっと天に右手人差し指を突き上げ、左手を腰に当て、排気空気をため込む。僕にも緊張が走りのどが勝手にゴクリとなった。


「秋宮 榎凪は旅を止める!」

「へぇー……って、えええぇえぇぇえぇええ?!」


 いつもこの人は突拍子がない。だからって少しばかり突然すぎる。さすがの僕も心底驚いた。

 ところで今、下ろしている突き上げた右手人差し指は何の意味があったんだろう?決意の表れという奴だろうか。榎凪にとってもこれは大きな決断だったのだろう。


「旅を止めて、何をするんですか?」


 素朴な疑問。純粋な懐疑。僕は旅しかしたことないから、何をしていいのか分からない。だからって止める事そのものに反対意識は欠片もない。榎凪がやるって言ったらやるし、止めるって言ったら止める。僕の思考回路なんてそんなもの。後は二の次だ。

 やっぱり榎凪は視線を合わせず、少し含みのある間をおいてから話し始めた。


「今まで私は幸せなんてものは動かなきゃ見つけられないと思っていた。でも散々動き回って気づいた事は、幸せは動かなくても向こうからやってきてくれることもあるってことだ。動いて見つけられる幸せは一通り見てきたから、そろそろ動かない幸せって奴が見たくなってきたんだ。たったそれだけ。だから、ちょっと人里離れたところに住もうと思う。幸い、働かなくても金なんて有り余るほどあるしな」


 『場所はここから見える山の山頂で』とか、『家は白くて大きな三階建て屋上つき』、『庭には家庭菜園を作って自給自足っぽくしたい』、『時々紀伊たちを招いてパーティー開くのもいい』など、実に多様な自分の楽しげな計画を子供のように榎凪は僕に披露してくれた。僕にとっても本当に壮大な計画で実現したい。いや、実現するんだろう、きっと。何せ榎凪は自己中心的だから邪魔なものはことごとく除外して、地球を真っ二つに裂いてでも実現させるはずだ。

 榎凪は僕へと顔を向け、いつも通りの笑顔で言う。



「この面倒くさい状況を解決したらさ、一緒に住もう、大河」



 顔が熱い。視界が暗い。耳が遠い。口が閉じない。言葉が紡げない。脈が速い。足が動かない。

 いつも通り、当たり前の事をこうして改めて言われると、こうも恥ずかしいとは思いもしなかった。本当に今日はどこかおかしい。

 一日なのに数年の時間が過ぎたように感じ、そのくせ今過ぎている時間は異常に早い。

 はるか遠くでは太陽が沈み始めている。榎凪が急いできたのはもしかしたらこの美しい光景を一緒に見たかったからなのかもしれない。

 二人の間に流れる悠久の時。本当に今日の時間感覚は忙しい。それはそれで楽しいからいいか。榎凪が一方的にしゃべって、僕が時々相槌を打つ。こんなに幸せで贅沢な時間だったとは思いもしなかった。これが榎凪の言っていた動かない幸せなのかもしれない。


「大河」


 不意にまた名前が呼ばれた。

 少しの間、続く沈黙。なかなか話を切り出さない榎凪を不思議に思い、僕は伺うように榎凪を見る。


 ――世界が真っ赤に染まった。


 大地も、地平線も、空も、何もかもが見えない。何があったか僕の頭が理解できていない。

 でもたった一つだけ分かる事は、榎凪の顔が目の前にあるという事実だけ。少しは夕日の所為だったのかもしれないが、本当に真っ赤だった、面白いぐらいに。

 眼前にあった榎凪の顔がちょっとだけ後ろに引き、より明確な事実を教えてくれた。


「……ははっ、キスしちゃった」


 いたずらが成功したような子供の用に満足げに榎凪は笑う。顔が赤い所為かはにかんでいる様にも見える。そんな榎凪が無性に可愛くて僕は、


「……榎凪」


 思わず名前を呼んだ。そしてできる限り背伸びをして、榎凪の顔に顔を近づける。

 続けられる包み込むような淡く甘い接吻。


 その日、僕たちは《初めてのキス》を二人で味わい続けた。


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