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長い彼方から(番外編)  作者: 天笠唐衣


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第5話 焦土

 五月十八日、オスマン帝国軍は、マルタ騎士団の本拠地が集まるグランド・ハーバーへの攻略を開始した。

 

 グランド・ハーバーには、湾を守るように三つの砦が立ち塞がっていた。

 ビルグの《聖アンジェロ》、イシーラの《聖ミケーレ》、そして海に突き出た小さな半島の先《聖エルモ》。

 

 聖アンジェロ砦を眼下に望むビルグに、ジャン団長の館が静かに構えていた。砦はその真の守りであり、指揮の中心でもあった。

 

 僕は、常にオスマンの動向を空から偵察し、状況を逐一騎士団長に報告していた。

 戦闘が激しいところは、直接加勢して戦った。

 日増しに敵の大砲の数が増えていく。戦艦も敵陣後方から戦闘しているはずだ。


 こちらには、城下から集まった市民兵が多かった。

 鍛冶屋、漁師、商人、かつて畑を耕していた者たち。

 慣れない鎧に肩をこわばらせ、盾を握る手は汗で濡れている。


 一方、オスマンの陣には、さまざまな肌の色の兵が並んでいた。

 アナトリアの弓兵、アラブの槍兵、北アフリカの剣士。

 服飾も言葉も違うのに、行軍は乱れず、命令ひとつで動きが揃う。

 訓練と経験の差が、遠くからでもはっきりと見えた。


 数では、こちらは半分にも満たない。

 だが、砦の石壁は厚く、海にはこちらの艦隊が控えている。

 ――この地の守りは、たやすく破られはしない。

 それだけが、皆を支える希望だった。

 

 僕は敵の大砲の数、前線の位置、戦艦の配置を偵察しては報告した。


 ――六月、激戦の煙が一ヶ月近くも空を覆っていた。

 焦げた石壁、崩れた家々。ハーバー一帯は焼け焦げ、もはや大地そのものが黒く染まっていた。

 夏が近づくにつれ、死臭と熱気が街を包む。誰もが疲弊しきっていた。


「アロン、エルモへ向かってくれ」


 戦況が逼迫していた聖エルモ砦に飛ぶ。

 そこでは、自軍の騎士百名と兵士五百名とオスマン軍数千名が血みどろの戦いを繰り広げていた。


 僕も鎧をまとい、最前線に立った。

 いくら倒しても、次から次へと兵士が押し寄せてくる。


「シチリアからの援軍が来るまでは、なんとしても死守するぞ!」

 隊長の声が響き渡る。

 

 砂煙と血の臭いが混ざり、炎の粉が風に舞う。

 叫び声と金属のぶつかる音の中で、僕は仲間の背を守るように立ち続けた。


 だが、全員を守りきることはできなかった。仲間が次々と倒れていく。


 倒れていく者たちの顔は、昨日まで笑っていた顔だった。


 僕だけが死なない。

 その事実が、胸の奥で鈍く軋んだ。


 聖アンジェロ砦と聖ミケーレ砦は隣接し、橋で繋がっていたため、物資の供給や連絡は保たれていた。

 しかし聖エルモ砦は砲撃の的となり孤立、やがて陥落した。


 僕は次の砦を守るため、聖ミケーレ砦へ飛び立った。


「アロン、こっちだ!」

 騎士団長が自ら前線で戦っていた。


 僕は騎士団長を援護し、敵を押し返した。

 攻城塔から侵入しようとするオスマン兵を叩き落とし、味方は塔の下を掘り崩して破壊した。

 なんとか侵入を防ぎきっていた。


 長い夏が過ぎ、戦は終わる気配を見せなかった。

 誰もが、援軍が来るという希望だけを支えに戦っていた。


 九月に入り、ガルシア・デ・トレドの援軍が到着するという報が入る。

 僕は毎日高く舞い上がり、海を見渡して船影を探した。


 そして九月七日、ついにシチリアからの援軍が上陸した。


 僕は片膝をつき、騎士団長に報告した。

「援軍が到着しました!」

「よし、反撃だ!」


「援軍が来たぞー!」

「おおー!」

 兵たちの士気が一気に上がり、反撃が始まる。


 オスマン軍はじりじりと押され、ついに撤退した。

 ――こうして大軍を退け、騎士団は勝利したのだった。


 騎士団は勝利に酔うことなく、砦の復興に全力を尽くした。


 僕のことは《飛ぶ青年》として噂が広まり、その名はスペインまで届いた。

 そして僕は、スペイン王フェリペ二世に謁見することになった。


 出立の前夜、ジャン騎士団長が火の灯る書斎で、静かに僕を見つめた。

「共に戦った友よ……俺は羨ましいよ。長く生きられるということは、長い歴史をこの目で見られるということじゃないか?」


 僕は答えに詰まる。

「そうですが……孤独です」


 団長は少し間を置き、視線を遠くの窓の方に向けた。

「孤独か……。すまないが、それは俺にはわからない。ただ、人はどの時代でも人だ。たくさんの出会いがある。それはやはり羨ましいことだな」

 彼の声には、戦場での激闘とは違う、静かで深い思慮があった。


 僕は黙ってうなずく。拳を軽く握り、胸の奥に去来する感情をかみしめた。

「王には感謝していると伝えてくれ」

「はい」


 しばらく沈黙が続いたあと、僕はようやく口を開いた。

 ――僕は世界を回ります、生き続ける限り、と。

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