第4話 マルタ島
一五六五年、オスマン帝国は、聖ヨハネ騎士団の本拠地であるマルタ島を攻撃した。
――マルタ大包囲戦である。
僕は、その戦場にいた。
それは数ヶ月前、騎士団長に謁見したからだった。
◇
僕は、パウロスにしたためてもらった書簡を携え、マルタ島へ渡った。
市民に尋ねると、『ビルグに行け』と教えられる。
言われた方角へ進むと、やがて港町に出た。
建物はどれも厚いレンガ造りで、トランシルヴァニアより堅牢だ。
真っ青な空の下、ベージュの石壁がまぶしく光っている。
僕は道端の漁師に声をかけた。
「聖ヨハネ騎士団に入りたいのですが……本部はどちらですか?」
「ほう、加入志望か。なら、ビルグの聖アンジェロ砦へ行くといい。
総長の館には、そう簡単には入れないからな」
言われるまま、埠頭の先端にそびえる砦を目指した。
到着するころには、あたりは薄闇に包まれていた。
入り口の衛兵に声をかける。
「すみません、聖ヨハネ騎士団に入りたいのですが」
男は僕を上から下まで眺め、アゴだけ動かした。
「入れ」
中に入ると、数名の鎧を着た男が椅子に座り、話をしていた。
僕は、ここに来た目的と身分を延べ、パウロスの書簡を渡した。
「上官を呼んでくるから、少し待ってくれ」
もう一人の男がぶっきらぼうに僕の方に椅子を持ってきた。
僕はせっかくなので腰を下ろした。
しばらくして、赤いマントを羽織った三十歳ほどの屈強な男が入ってきた。
「君か、加入志望者は」
「アロン・ドラクレシュティと申します」
「カルロス・デ・グスマンだ」
互いに握手を交わす。
「もしかして、トランシルヴァニアの……?」
「はい。祖父は、ヴラド・ドラクレシュティと、フニャディ・ヤーノシュです」
「ほう……あっちも大変そうだが、なぜ前線に? ……というか、本当に祖父? かなり昔だぞ」
カルロスは、僕を怪しんだ。
「僕は死ねない体なんです」
カルロスは、剣を鞘から抜いて僕に向けた。
「ならば証拠を見せてみろ」
ヒュンッ――
カルロスは、僕の腕を切った。
「上官!」
一人の将校が叫んだ。
僕の斬られた腕は、服も切れ、出血はしたものの、傷はみるみる消えていく。
周りの男たちは目を見張った。
カルロスはしばらく無言で僕を見つめていた。
顔には驚きよりも、状況を整理しようとする冷静さがある。
「……確かに常人ではない。だが、なぜそれを隠さなかった?」
「隠して入ってもいずれバレます。隠さず孤軍奮闘したかったのです」
カルロスのその目は警戒でも拒絶でもなく、ただ深い判断を含んだ静けさだった。
「……なるほど。そういう者か」
短く息を吐き、剣を納める。
「恐れず真実を晒す者の目だ。疑って悪かった」
カルロスは、胸に手を当てて頭を下げた。
そして、部下に命じた。
「彼に新しい服を。そして夕食と部屋を準備してあげてくれ」
僕には微笑んでこう言った。
「明日、団長に紹介しよう」
◇
翌日、宮殿の広間へ通された。
聖ヨハネ騎士団の騎士団長の名前は、ジャン・ド・ヴァレットという。
しばらくして、彼が入室し、玉座に腰を下ろした。
カルロスが騎士流挨拶をしたので、慌てて僕も足を曲げてお辞儀をした。
「アロン・ドラクレシュティ、というのだな」
「はい」
「今は一人でも多くの戦力が欲しい。だが、デクの棒は要らない」
「……」
「一戦見せてくれないか? 相手は若手の勢いあるやつだ」
木剣を受け取り、肩を軽くほぐす。背筋を伸ばし、指先に微かな緊張を感じながら、相手と目を合わせて呼吸を整えた。
「よろしくお願いします」
剣を顔の前に掲げ、挨拶を交わす。
剣先を向け合い、互いの動きを探る。素早く相手の剣を弾き、懐に入り、首に剣を当てる。勝負はあっけなく決まった。
一瞬の静寂。広間にいる全員の息が止まったようだった。騎士たちは驚きと緊張で目を見張る。
「強いな」
ジャン団長は拍手を送り、口元をほころばせた。
「実は、オスマン帝国軍がこちらに攻めて来る情報を掴んだ。まだ準備段階のようだが……。剣以外の特技があれば教えて欲しい。あと、若い奴らと相手して欲しい」
僕は言おうか言うまいか迷った。
「僕は飛ぶことができるので、偵察も出来ます」
団長は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「……見せてくれないか」
「蝙蝠の姿にもなれますが、人の姿でも翼で飛べます」
僕は背中の羽を広げ、スイスイ広間の天井を飛んでみせた。
「うわっ!……おおーっ!」
周囲がどよめく中、団長だけは冷静に考え込んでいた。
「アロンは偵察というより、伝令をして欲しい。戦場に行った時の話だ」
「はい。具体的にはどのような動きをしたらいいですか」
「高いところからなら戦況が良く見えると思う。状況を即刻自分に知らせてくれれば、兵を無駄なく、かつ有効に使えると思う」
「なるほど」
僕は団長が驚くより深く考察していることに感銘を覚えた。動じず、柔軟に考えられるのは、さすがだ。
こうして僕は、聖ヨハネ騎士団の一員となった。
日々、技の研鑽と若手の教育に明け暮れた。
それから数ヶ月後、オスマン帝国の艦隊が押し寄せ、マルタ島全体を包囲した――




