第3話 聖ヨハネ騎士団
セシルが亡くなって、僕は自暴自棄になっていた。
ヴラド三世が亡くなり、僕は自由の身となった。しかし父はまた僕を、再びポエナリ城に閉じ込めようとした。――地位を奪われるのではと疑ったのかもしれない。
僕は、故郷から逃げ出した。
知り合いの多かったシギショアラの街に身を隠した。ルーマニアから離れることはできなかった。セシルの香りが残るこの国を、どうしても離れられなかったのだ。
やがて、知り合いはみな人生を全うしていなくなり、僕は一人になった。兄弟の孫もすでに老いていた。――気がつけば、百年が過ぎていた。
僕は、セシルの命日の夜、自ら命を絶とうと決めた。
雲の上まで飛び、尖塔の槍に自らの心臓を突き刺した。
ザシュッ――血飛沫が飛び、僕は動かなくなった。死んだ、と思った。
◇
鳥の鳴き声が聞こえる。
チッチ、チチ――。
目を開けると、肩に一羽の鳥が止まっていた。僕が頭を動かすと、鳥はどこかへ飛び去った。
痛みに耐え、歯を食いしばりながら、胸を貫いた槍のような金属の棒から体を引き抜く。
抜いた途端、みるみるうちに体が再生していく――。
その時、頭の中にセシルの声が響いた。
『もしあなたが死なないのなら、私は必ず生まれ変わってあなたに会いに行くわ』
それは、昔セシルが言っていた言葉だった。
「セシル……」
涙が止まらなかった。止めようとも思わなかった。
しばらく屋根の上に座り込んでいるうちに、気がつくと夜になっていた。
僕は蝙蝠に姿を変え、あてもなく風を切って飛び続けた。
しばらく進むと、遠くに神殿のような遺跡が見えてきた。無意識に海岸線に沿って飛んでいたらしい。
「……ここはギリシャか」
話に聞いた神殿の姿。間違いなくギリシャだった。
(敵陣に突っ込めば、死ねるかもしれない――)
――時は、オスマン帝国の繁栄真っ只中だった。
◇
ひと気のない家に入り、服を盗んだ。
そして僕は、城を探した。
皇帝を倒す――。
その時の僕には、死ぬことしか考えられなかった。
僕はたった一人でオスマン帝国に立ち向かった。
だがギリシャには派遣兵しかおらず、現地の小競り合いに過ぎなかった。
(きりがない。直接イスタンブールへ向かおう)
そんな僕を見ていた老騎士がいた。ギリシャの騎士で、ラテン語を話した。
「お主、いくら強いからといって早まるでない」
「僕は死ねない体だ。敵を倒したい」
「……死ねない体、だと?」
「そう。呪われて、死ねないんだ」
「ふむ……」
僕は自分の素性を簡単に説明した。
老騎士はしばらく考え込み、やがて言った。
「今のオスマン皇帝は、無闇に戦を好まぬと聞く。死ねるとは限らないぞ」
僕は返す言葉がなかった。
老騎士は手を差し出した。
「我が名は、パウロス」
「アロンだ」
互いに固い握手を交わした。
「お主、この地の若者たちに剣を教えてはくれぬか?」
「……」
「お主ほどの剣士は今はここにはおらぬ。技を伝えれば、いつか再びギリシャの繁栄が戻るかもしれん。
――力を貸してくれぬか」
思いもよらぬ申し出だった。僕はただ、死に場所を探していただけなのに。
「一晩、考えさせてくれ」
僕がそう言うと、パウロスは笑った。
「今夜はうちに泊まっていけ。飯でも奢ろう」
パウロスの家は、こじんまりとした一軒家だった。どうやら一人暮らしのようだ。
「大したものは出せんが、許せ」
「食べられるだけでありがたいよ」
夕食はスープとパン、そしてワインだった。
「ギリシャには聖ヨハネ騎士団がおる。わしも以前はそこに属しておったが、今はオスマンに追われ、島へ逃れておる」
パウロスはため息をつく。
「オスマンは数で押してくる。太刀打ちできんのだ……。お主なら、もしかしたらと思ってな」
「加勢してくれると助かるなあ」
パウロスはチラリと横目で僕を見た。
思わず笑ってしまった。
「ずいぶん、あからさまだね」
「正直、助けてほしい」
パウロスは深々と頭を下げた。
「……騎士団は今どこに?」
僕は、聞き返していた。
「マルタ島とロードス島じゃ。だがロードスはオスマンに近い。危ういかもしれん」
「まあ、乗りかかった船だ。どちらでもいいよ」
パンをスープに浸しながら言う。
「神よ……! お主が加われば、万人力じゃ!」
「言い過ぎだよ」
ワインを口にして、そう言った。
「書簡をしたためよう。これを持っていけば、すぐに迎え入れられるはずだ」
――こうして僕は、しばらくの間、聖ヨハネ騎士団に身を置くこととなった。




