表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
長い彼方から(番外編)  作者: 天笠唐衣


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/7

第2話 珍しい蝶(タイリクコムラサキ)

 澄み切った空、暑い夏の昼下がり。

 

 僕は湖を泳いでいた。

 バシャバシャ――水飛沫が飛び散る。

 (あ、そろそろ先生が来る頃だ。戻らなくっちゃ)

 僕は急いで小さな城に蝙蝠に変身して飛んで戻った。


 城に戻って着替えていると、先生がやって来る。

「ブナ・ズィウア(こんにちは)。今日は古代教会スラヴ語を学びますよ」

「よろしくお願いします」

 

「……アロン君はやはり物覚えが早いね。この本も翻訳できそうだ」

 先生は古い本を僕に渡した。


「ありがとうございます。読んでみます」

 僕は本が好きだ。いろいろな知識が詰まっていて、世界が広がっていく感覚がある。


「次は剣術だ。山の麓まで先に降りているから、休憩したら降りて来るといい」

「はい。先生」


 学んだことを整理して、山を降りた。


 麓には広場がある。鉄製の鎧を着せた棒が三本、静かに立っている。

 先生に型を教わってから、剣で実践する。ごくたまに先生が相手してくれることもあるが、その時は木剣を使う。

 ここトランシルヴァニアでは盾もよく使う。


「今日は、Apărare cu scutアパラレ・ク・スクト=盾受けを習います。先生が相手します」

「はい」

「盾で受け、同時に足払い・突きで崩す技です。アロン君、先生に斬りかかってきなさい」

 

 木剣を握り、上から斬りかかる。

 先生は華麗に盾を翻し、盾で逆に押し返す。と同時に、足払いで足を引っ掛け、木剣で急所を突き体勢を崩す。

 僕はあっさり派手に倒れた。

「いたた……」


「まだ早いな。あとは前回のおさらいをしようか」


 鎧の前で木剣を肩の高さに掲げ、十字を切るように右上から斜めに振り下ろす。


 ギィンッ――! 金属と木の衝突音が、山に響き渡った。


「よくできた。それが ロヴィトゥラ・ン・クルーチェ(十字打ち) だ。刃で十字を描き、悪を断つ。手首で受けて、腰で返せ。さあ、もう一度。何度も繰り返せ」


 何度も繰り返すうちに、だんだん打ち場所が急所からずれてくる。


「立ち方が悪い。右足を半歩後ろ、踵で地を押せ。

 剣は腕ではなく、腹で振るんだ!」


 木剣を振るたびに、霧の中で十字の軌跡が浮かぶ。

 それを見た先生が、うっすら笑った。


「そうだ。それでいい。

 剣を抜くときは祈りを、振るうときは信念を、収めるときは慈悲を忘れるな。

 それが我らの剣――ワラキアの魂だ」

 

 ◇


 夜になり、いつものように僕は抜け出す。

 ビドラル湖のほとりの小屋に飛んだ。


 小屋に入るとセシルが先に来ていた。

「アロン……」

 僕らは抱き合って挨拶する。

「セシルに見せたいものがある」

「私もよ」

 

 油ランタンの揺れる灯りの中、セシルの微笑みが見えた。

 僕は布の袋から一匹の蝶を取り出す。

 

「なにそれ?」

 セシルはランタンをかざす。


「珍しいと思って捕まえた。すごく綺麗だよ――蝶だ」

 僕が手を離しても、蝶は逃げずに手のひらで羽を広げていた。

 

 羽はランタンの光を受け、深い紫にほのかに輝く。

「本当だ、綺麗」

 セシルの目が輝いた。

 

 僕はそんなセシルの表情を見て、満足する。

「……でも、見たことあるかも」

 セシルは蝶をじっと見つめ、小さく笑った。

「そっか、そうか」


「でも、ありがと」

 微笑むセシルの手を僕は握る。

 

「あ、私も渡したいものがあるの」

 そう言ってセシルはバッグの中から本を取り出した。


「今日、父とブカレスト行ったのよ。毎月行くやつ。大きな本屋があって、アロンが欲しそうな本を買ったわ」


 手に取ってページをめくる。

「《呪い・解呪の見解》 まさしく僕が探していた本だ!」

「本当? 良かった! 私はスラヴ語読めないから……店員さんが勧めてくれたの」

 

「もしかしたら、僕の呪いを解く方法がわかるかもしれない」

「その本、見つけて本当に良かった」

 セシルが泣きそうな顔をした。

 

 抱きしめてキスをして、おでこをくっつけた。

「ありがとう。帰って読んでみる」

「うんうん」

 僕はもう一度、セシルにキスした。


 小屋の隅で、油ランタンが静かに燃えていた。

 炎がゆらりと揺れるたび、ふたりの影が重なり、そしてそっと離れる。

 湖畔を渡る風が、二人の秘密をそっとさらっていくように吹き抜けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ