かつて大牟田村と呼ばれていたこの地は、もともと湿地だった。〜翔んで大牟田
伊藤謙一は古地図を机いっぱいに広げていた。
大牟田市役所の企画課長として、「炭都市構想」をまとめ上げるには、この町の原点を押さえずにはいられなかった。
かつて大牟田村と呼ばれていたこの地は、もともと湿地だった。
海が近く、潮の干満で地面の性質が変わるため、稲作すら難しかったという。作物も育たず、痩せた土地に暮らす人々は、海に出て漁をし、風と雨をしのいで生きていた。
それに対して、隣の三池町は早くから町場として整っていた。
町には旅館が立ち並び、人力車が行き交い、寺も学校も役場もあった。そこに明治政府から鉄道開通の話が持ち込まれたのだ。
当然、駅は三池町に置かれるものと誰もが思っていた。
ところが、旅館や人力車業者が強く反発する。
「汽車が通れば、客は町を素通りしてしまう」
新しい交通手段が、これまでの生業を壊すのではないかと怯えたのだ。
その反対運動のすき間を縫うように、鉄道省は別の選択をした。駅を、まだほとんど何もなかった大牟田村の一角に設置することを決めた。
それが、大牟田駅の始まりだった。
駅ができると、状況は一変する。
物資が動き、人が集まり、商売が始まる。町役場や学校が次々に移転し、鉄道を軸に町が膨らみ始めた。炭鉱労働者の流入も加わって、大牟田村は急速に膨張した。
「本来なら脇役だった場所が、物語の主役になったんです」
謙一は記録に書き込んだ。
その後、大牟田村は町となり、さらに三池町を吸収して市となった。
大牟田という名前は地図の中でどんどん大きくなっていったが、その始まりは、偶然と恐れが引き起こした小さな転機だった。
「歴史は、思い通りには動かない。でも、動いてしまった後に何を選ぶかで町の形は決まるんです」
窓の外には、かつての駅前商店街が今も残っていた。シャッターの閉まった店舗も目立つが、その奥に、可能性をつないでいく場所がある。
謙一はペンを取り、炭都市構想の冒頭にこう記した。
大牟田は、選ばれたのではない。選び続けてきたのだ。